本文へ移動
朝日建設株式会社 本社地図
0
5
2
2
6
9

2009年7月

400号

社内報400号
社内報400号

 1976年(昭和51年)4月24日に創刊してから33年と3ヶ月間にわたって毎月発行してきたこの「社内だより」が、今月で400号となった。私が当社に入社したのが前年の4月だから、「社内だより」の歴史は私の当社での勤続年月より1年だけ短いということになる。そして、1976年生まれの社員は誰だろうかと調べたら、Mさん(1月)、Iさん(2月)、Mさん(7月)、Iさん(8月)、Tさん(12月)の5人であった。「社内だより」が誕生した年に生まれた彼らが今年33歳だと思うと、「社内だより」の歴史が重く感じられるのである。
 そこで、今月号のコラムは400号に関して書くことにしようと、当社のホームページの「コラム」のタイトルをさかのぼって見てみた。すると、そのものズバリの「300号」が目に飛び込んできた。2001年(平成13年)3月号のタイトルで、そこには、創刊号、100号、200号の内容が紹介されていて興味深かった。長くなるが前半を紹介しよう(手抜きではありませんよ)。


 創刊のきっかけは、給料が全従業員銀行振込となり、給料袋の中に給料明細1枚では愛想も無いので、私が前に勤めていた新井組の社内報の名前も構成もそのままに「社内だより」を発行し、給料袋に同封することにしたことである。今、創刊号を読み返すと、新入社員として3人の名前が載っているが、現在も勤めているのはKさん一人だ。また、当時の第1工務所を八尾工務所(現 八尾オフィス)、第2工務所を呉羽工務所(現 資材置場)、第3・第4工務所を富山工務所(現 富山オフィス)と名称変更したことが記されている。原稿作成はタイプライターで、サイズはB5で3ページであった。
 創刊から8年4ヶ月経った100号は昭和59年7月号である。記念号として薄緑色の紙に印刷され、サイズはB5で6ページ。機種は変わったがやはりタイプライターによる作成で、所々に活字ではなく手書きの文字が書かれており懐かしさを感じさせる。特集として、退職されていたKさん(取締役総務部長)、Sさん(業務課長)、Tさん(工場長)、Tさん(土木部次長)の4人の方から原稿を頂いており、北陸地建富山工事事務所から流杉護岸工事(現場代理人Tさん)の表彰を受けたという記事も目につく。 
 100号からさらに8年4ヶ月経っての200号は、年号も変わり平成4年11月25日に発行されている。色は会社のカラーのレモンイエロー、サイズはまだB5で11ページ。しかし、もうタイプライターではなくワープロで作成され、100号と同じく、Aさん(土木営業部長)、Sさん(営業担当)、Hさん(土木工事部長)さんの3人のOBから特集原稿を頂いている。富山農地林務優良工事として、林道牛岳線舗装工事(現場代理人 Uさん)が表彰されたという記事や、前年の4月に社長に就任してから私が毎月書き始めたコラム「見たり聞いたり出会ったり」が掲載されているが、この号のコラムでは船井式信頼獲得法(世代別)を紹介している。 


 300号に書かれた文章だけからでも、発刊してからの25年間と、その後今日までの8年間余の時代の変わりようを、以下のように私なりに感じ、また思い出した。

・用紙サイズの主流がB判からA判に移った 
・文書作成が、タイプライターからワープロ、そしてパソコンへと進化した 
・私のコラムは社長就任の1991年(平成3年)から続いているが、だんだん長文になって2ページになることがあり、長すぎると1ページに納めさせられた 
・北代の第2工務所が呉羽工務所に名称変更し、さらに資材置き場となり、今は老人介護事業所「あさひホーム」と一変した 
・寄稿していただいた7人のOBの内の3人の方のお葬式に参列した
・Uさん以外にも、在職中に亡くなった方を何人か思い出した 
・編集者が、当初は電気部(現 ユニバーサルデザイン室)のOさん、次にFさん、それから総務部に移って、Hさん、次にKさん、そして現在のMさん、Mさんの産休中は、F.Hさんと変ってきた 
・新入社員だったKさんが、今では部長 
・ずいぶん長い間、国の河川工事を受注していない 

などなど、変化に驚いたり、懐かしく思ったり、悔しがったりした。  

 雑誌や会社の歴史にも、また個人の歴史にも、何百号とか何十周年とかいった区切りがあるが、人はそれぞれの区切りに当たって、何らかの思いを持つものだと思う。私にとっては、昨年が結婚30年であった。妻はどう思っているかは分からないが、私は満足している。当社にとっては、来年は創業70周年の大きな区切りの年である。50周年を記念して記念誌を作り、保養所を作った。60周年には、ホームページを開設した。社員の皆さん、70周年には何をしましょうか。

TOPへ戻る