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2001年7月

リストラ

小泉首相の「聖域なき構造改革」が今月29日投票の参議院選挙の大きな争点になっている。経済構造改革は、企業や国民にとって一時(いっとき)非常な痛みを伴うものであっても日本経済を立て直すことになるのか、それとも企業倒産、失業者を増大させ景気をますます低迷させることになるのかが与野党で議論されている。
 23日支給の上期賞与での私のメッセージの最後に、「この2、3年が企業が勝ち残れるかどうかを決定付ける時期であり、当社の体質改善を図るチャンスとも言えます。『お客様の満足』を追求し、地域に必要とされる『厳しいけれど、温かい会社』であれば勝ち組みに入れます。頑張りましょう。」と書いたが、私はこの体質改善という言葉を構造改革と同じような意味合いで使っている。そして、表題のリストラと言う言葉も、私にとっては体質改善や構造改革と良く似たニュアンスの言葉としてとらえている。
 このリストラという言葉は、もともとはアメリカでの企業改革を指す言葉として1985年に初めて「リストラクチュアリング」という語形で紹介され、その後「リストラ」と略されて使われるが、バブル経済が崩壊して全国の企業で賃金カットや人員削減が行われ出してからは「リストラ」は「リストラする」、「リストラされる」といった使い方で「解雇」の意味で使われている。しかし、「リストラクチュアリング」は英語のrestructuringであり、動詞restructureの名詞形である。reは接頭語でこの場合は「再び」の意味であり、structureは組み立てる(struct)こと(ure)で「…を組み立てる」だから、restructureは  「…を再構築する」なのだ(ちなみに、constructは、共に(con)積み上げる(struct)だから「建設する」の意味)。だから「リストラクチュアリング」の字源からわかるように、「リストラ」は、企業経営においては「事業構造の再構築」が本来の意味である。事業構造は「人」の他にも「物」、「金」、「情報」など経営資源全てに関わっていると言う意味では 「聖域」は無い。また、「再構築」なのだから、「減らす」だけではなく「再び組み立て築く」のであり、「人のリストラ」は単純に人員整理、人員削減ではなく、社員が各自の能力を発揮できる適材適所の配属や組織になっているか、ヤル気の出る公平な処遇になっているかどうかなどを検討して改革し、その上でどうしても「付加価値」を生むことが出来ない人が「解雇」されるということだろう。物や金についても同じで、「在庫減らし」ではなく 「適切な在庫(資材)管理」であり、「経費の一律カット」ではなく「費用対効果を吟味しての支出」だろう。今までより金をかけなければいけない場合もあるのである。「情報」においては、情報共有体制をレベルアップするために、コミュニケーション、ネットワーク、データベース化を強化するということだろう。
 建設産業に身を置く私であるが「公共事業の見直し」は日本国民として理解でき、小泉首相の「聖域なき構造改革」は日本の再生にとって必要だと考えている。そしてそれが公共事業依存体質の当社にとって死活問題になることが明らかだからこそ、当社の 「リストラ」を止むことなく続けることが必要なのだ。従来の発想から抜けきず、現状で良しとする人にとっては「リストラ」を痛みとしか感じないだろうけれど。
 

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