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2006年6月

“あさひホーム吉作”開業に当たって

 2003年4月に北代の資材置場に老人介護事業所「あさひホーム」を開業してから4年目の今年7月、第2の事業所「あさひホーム吉作」を私の自宅のすぐそばで開業する。
 北代の「あさひホーム」の経営は思った以上に厳しかった。2002年6月に(有)朝日ケアを設立してから第3期の決算が終わった昨年5月までは、第1期、第2期とも4000万円近くの大赤字、第3期も800万円の赤字で、累積赤字は8000万円を超えた。しかし、第3期目には単月で黒字の月が現れ、ようやく経営に明るさが見え始めた。そして昨年の6月1日からから今年5月末までの第4期決算では200万円弱だが黒字となった。
 この黒字転換は、支出の削減ではなく収入の増によるものである。介護保険事業では利用料が全国一律に決められているので、収入増は単価ではなく数量の増、即ち、デイサービスやショートステイの利用者数の増加に比例する。そして、利用者数の増加は、利用者さんやご家族、ケアマネージャーの口コミで「あさひホーム」の評判が広がり、ショートステイでは利用待ち、グループホームでも入居待ちの状況が続くようになったことで裏付けられる。
 「土地を買ってまでする事業ではないが、遊休土地があるなら検討する価値がある」という記事を読み、母の介護を自分の施設で行いたいという個人的な思いと、経営資源である人・物・金を有効活用するのが経営であるという両方の思いで始めた老人介護事業であった。けれども、利用者さんからは「ここに居れて幸せ」、ご家族からは、「あさひホームが一番」という言葉を日常的に聞くようになり、何とかより多くのお年寄りやご家族の役に立ちたいとの思いから、「第2あさひホーム」の建設を本気で考え始めたのが3年目に入った昨年の夏であった。
 しかし、なかなか良い土地や建物が見つからないでいるうちに、昨年の11月頃スタッフから、私の自宅から歩いて1分のところにある、院長さんが亡くなられて7年の産婦人科クリニックの建物はどうだろうかと言われた。私は、院長さんの奥さんとPTAでご一緒し顔見知りであったこともあって、以前から考えない訳でもなかったが、病院の建物は介護施設には向かないだろうし、設計にこだわって新築した「あさひホーム」ほどの素敵な建物には改築では絶対にならないだろうと決め込んでいた。でも、まずは貸してもらえるものかどうか聞いてみようと、12月に奥さんとお子さんにホームに来ていただき計画を話したところ、医療と介護なら近いので亡き院長の思いを生かすことになるだろうから、貸しても良いという返事。年が明け、年末の大雪を親子で除けて今建物の中に入ったところだと奥さんから電話をもらい、すぐに出かけて中を見たのが1月9日の日曜日であった。
 産婦人科の病院だけに、1階は受付のほか診察室、内診室、レントゲン室、暗室、厨房などに分かれており、2階も10の病室のほか、手術室、分娩室、陣痛室、授乳室、看護婦室、新生児室、沐浴室などに細かく仕切られていた。見た途端、1階をデイサービスフロア、2階をショートステイとグループホームにし、レントゲン室辺りを浴室にすればよいと思った。また、厨房をそのまま使えるのも魅力だった。しかしエレベータを設けなければならず、コンクリート壁の撤去などを考えれば大改築になることは容易に想像できた。でも私の心には完成した「第2あさひホーム」での日々が浮かんでいた。
その後、丸田ホーム長が収支計画を立て同時に賃貸契約交渉を進め、3月23日には地鎮祭を行い工事に着手した。平面プランの原案は、私が北代のホームの設計作業を思い出しながら、3年間のホームの運営で感じた不都合な点を解消すべく色々知恵を絞って作った。例えば、車椅子用トイレの中に小便器を設けることや、新築の北代のホームのようにはいかないまでも、光を多く取り入れたり風を通すための工夫であり、床暖房への変更も当然行うことにした。現場で働くスタッフからも多くの貴重な意見が出され、設計に反映させた。また、工事担当者を始めとする朝日建設の社員からも素晴らしい提案をもらいコストダウンを図ることが出来た。北代の鉄骨工事で世話になったオータニさんからは、専任者を現場に貼り付けていただき施工管理を全面的にサポートしていただいた。福祉住宅環境協会の東京の武田理事にも、ヒバの浴槽やギャッジベッドの購入でお世話になった。
収容所のような状況も見受けられる現下の老人介護を否定し、"あさひホームから始まる老人介護"を目指して、もっともっと成長しなければいけない。第3、第4の「あさひホーム」も視野に入ってきた。
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