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2006年8月

お伊勢参り

 急に思い立って、お盆休み中の8月13(日)、14日(月)に、父の実家のある三重県伊勢市に86歳の父と21歳の次女そして15歳の次男と出かけた。この小旅行を実行した理由は二つある。
 昨年の1月、父の次姉の葬儀に参列するため、父と私は日帰りで伊勢に出かけた。父は6人兄弟の5番目で、伊勢に住んでいた長姉と長兄は享年96歳と90歳で既に亡くなっていて、今度は次姉が95歳で亡くなったのであった。父のひとり旅が心配で私も付き添って伊勢に出かけたが、葬儀を終え帰りの列車を待つ近鉄宇治山田駅のプラットホームで、私は父に「伊勢に住んでいた兄さんや姉さんが3人とも亡くなったから、お父さんも伊勢に来るのはこれが最後だろうね」と話しかけた。その父が今年になってから急速に足が弱くなり、その時の思いはより強くなっていた。しかし、お盆が近づくに従い、何故だか、もう一度父を生まれ故郷に連れて行きたい、父と一緒に父の実家のお墓参りをしたいと思い始めた。これが第一の理由だ。
 第二の理由は、まだ伊勢に行ったことの無い私の次女と次男に、彼らの祖父の生まれ故郷を見せてやりたいとの思いだ。長男と長女は十数年前に父と母に連れられて伊勢から奈良、京都への旅行に出かけているし、今はそれぞれ働いているので今回は誘わなかった。
 8月13日、富山駅7時46分発の特急列車に乗り込み、名古屋駅で充分に時間を取って近鉄特急に乗り継ぎ、13時13分に宇治山田駅に着く。タクシーの運転手に「二軒茶屋餅へ」と告げる。父の昨年亡くなった姉の嫁ぎ先が「二軒茶屋餅角屋(にけんじゃやもちかどや)」なのだ。店に着くと、社長である私の従兄のSさん(75歳)や奥さんに迎えられ談笑するうちに、初めて会う大阪に住むという従兄のTさん(69歳、Sさんの弟)や、2、3度会ったことのある従姉のYさん(Sさんの妹)、そして従兄の中では一番多く会っている父の長兄の長男Aさん(68歳。東京在住)もやってくる。驚いたのは、Sさんに見せられた父の作文だった。父が尋常小学校5年生の時書き、陸軍記念日の文集に載った作文で、母に読んでもらった「爆弾三勇士」について書いていた。また、亡くなった姉達の話では、男3人の内で一番頭が良かったのは父であったという話、Aさんたちが子供のころ、俊郎叔父さんが富山から「月世界」をお土産に持ってきてくれ、甘いものが少なかった時代に大変おいしく、足長おじさんに思えたという話、また、Aさんが小学生の時、宿題の絵を、たまたま来ていた叔父さんが小さい時から絵が上手だったということでザラ紙に描いてもらって提出したら先生が感心して、大きな画用紙に描き直すように言われ、ばれてしまったという話など面白く楽しく聞いた。
 ひとしきり昔話に花を咲かせた後、我々家族は墓参りに出かけた。平成15年に、父の兄の葬儀で訪れたお墓だ。その時は小雨だったが、今回は炎天下のお参り。父の父(私の祖父)は村長で、墓地は父の実家の人たちだけの墓が立っているとのこと。お参りを済ませ、ホッとした。
 その後私と子供たちは、Aさんと奥さんの案内で伊勢神宮内宮へ出かけた。Aさん夫妻から、伊勢神宮の歴史や遷宮、境内の大きな杉の話や子供の頃の思い出など、興味深い話をうかがった。
 夕食会は親戚が一堂に会して、Sさんの長男が始めた地ビール(伊勢角屋麦酒)を飲ませるレストラン「麦酒蔵(ビヤグラ)」<で行った。私の顔はAさんと似ている(これは今までも何度か言われていた)とか、私の次男の顔はAさんの歯医者をしている長男と似ている(私は会ったこともないし写真も見ていないが)とか言われ、「親戚」を感じた。また、父の母が、私が小学生の頃、私の家に1ヶ月以上滞在した時の話も出た。「富山では、"ダラ"と言う」とか、「朝から、(当時珍しかった)ハムがでた」という話を聞かされたというのである。ハムの話に、私の友達が、小学生の頃私の家に遊びにきて、母から外国製のお菓子や飲み物(紅茶)を出してもらったと懐かしそうに話してくれたことを思い出した。
 翌日は、Aさんの弟のMさん(63歳)に車で案内してもらう。子供たちを内宮前の「おかげ横丁」で降ろし、私と父はMさんのお母さん(90歳)を入院先の病院に見舞う。その後、子供たちと合流し、伊勢志摩スカイラインを通って朝熊山(あさまやま)の展望台へ行った。Mさんは、展望台から見える神島(三島由紀夫の『潮騒』に「歌島」として登場する)の小学校の教頭としての4年間の生活を話してくれた。朝熊山山上に建つ金剛寺で、父の兄の塔婆に書かれた私の名前を発見して、父の血筋を感じた。父の実家であるMさんの家では、大阪で小学校の先生をしている帰省中の長男さんから学級崩壊の話、Mさんから不登校の児童の家庭の様子など仕事がらみの話を聞くことで二人が身近に感じられた 帰宅して子供たちに感想を聞いたら、二人とも「(親戚の)人が多かった」であった。確かにそうだが、親戚が多かろうと少なかろうと、自分が今ここに生きているのは「ご先祖様」がいたからであり、私にとっては先祖に感謝し、また、これからの生き方を考えさせられた旅となった。父も何とか元気に旅ができて良かった。
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