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朝日建設株式会社 本社地図
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2006年12月

オーストラリアとバヌアツ共和国を旅して

  私が所属している富山みらいロータリークラブは、12月3日(日)から12月11日(月)まで、友好クラブであるオーストラリアのケントフォーストロータリークラブ訪問と、ケントフォーストクラブと我々のクラブが資金援助して建設したバヌアツ共和国のベネクリニック(ベネ診療所)視察の旅を実施した。参加メンバーは11人で、その内の私を含めた4人がバヌアツまで足を延ばした。
 
 3日の夜、関西空港を出発して翌日の昼前にオーストラリアのシドニーに着き、空港に出迎えてくれたケントフォーストクラブの会長さんとミスタージャパンと呼ばれる旧知のネイビルさん(68歳)にシドニー市内を案内してもらい、午後4時過ぎにケントフォーストに着いた。一行はホームステイ先の5つの家庭に分かれて一服した後ホストファミリー(写真1・写真2)と一緒にケントフォーストクラブのクリスマス例会(写真3)に参加し、来年6月に開催する我々のクラブの創立10周年式典への参加を要請した。
(写真1)ホストファミリー
(写真2)ホストファミリー
(写真3)クリスマス例会
 翌5日は、ケントフォーストクラブの会員が所有する大きな船(1億円とのこと)(写真4・5)に乗って、半日のクルージングを楽しんでから、シドニーのホテルに宿泊。1999年5月、富山みらいクラブの会長としてケントフォーストクラブを初めて訪れ、友好クラブ締結へ向けて打合せを行った私にとって、3回目のケントフォーストクラブ訪問となった今回、顔見知りの会員やその夫人との再会を喜び、また、これまで通りの気さくな態度と親切なもてなしに、友好クラブ締結をして良かったと実感した。
(写真4)大きな船
(写真5)大きな船
 6日は皆でシドニー観光をしてから、バヌアツ組4人はネイビルさんと一緒に夕方シドニー空港からバヌアツ共和国の首都ポートビラへ向かった。バヌアツ共和国はオーストラリアの東方に位置する83の島々からなる郡島国で、人口は約20万人である。日本からの直行便はなく、エファテ島にあるポートビラにはシドニーから飛行機で3時間半あまりかかる。到着したのは深夜だったが、空港では、現地のメラネシア系の人が数人で民俗音楽(写真6)を奏でて到着者を迎えてくれていた。暗い夜道を、かなりのおんぼろの10人乗りバスでザ・メラネシアンポートビラホテル(写真7)に向かったが、中心街にも人通りが無く、周りの景色も見えないため、大変な国にやってきてしまったと思った。
(写真6)民族音楽
(写真7)ザ・メラネシアンポートビラホテル
7日は、まず昨夜通りすがりに見た大きな市場(写真8)を見学。バナナやサツマイモなど多くの野菜が売られていたが、コウモリ(写真9)も売られていたのにはビックリした。どうやって食べるのだろうか。夜は家族で市場に寝泊りしているようで、あちこちで子どもが走り回っている。女の子が貯水タンク(写真10)からコップで水を飲んでいたが、このタンクの上部には屋根からのパイプがくっついていて、雨水を受けているようだ。雨水を飲んでいるのかとショックだった。
(写真8)市場
(写真9)コウモリ
(写真10)貯水タンク
その後、中央病院(写真11)を見学。木造モルタル塗りの平屋の病棟が並んでいたが、建物や設備にロータリーのマーク(写真12・13)がたくさん取り付けられていて、ロータリークラブの開発途上国支援の様子がうかがえた。夕方、飛行機に小一時間乗ってバヌアツで一番大きな島エスプリッツサント島(4010平方キロ)のルーガンビルに到着。ここで泊ったホテル(デコ ストップ ロッジ)(写真14)にはエアコンは無く、バヌアツは以前マラリアの危険があったところ故か、部屋には日本の渦巻き型の蚊取り線香(写真15)が備えてあった。夕食をとったサントロータリークラブの会員の自宅では、会員数12名のとても小さなクラブなのに夕食前にしっかり例会(写真16)を行いミーティングしている光景に、日本では会員数20名以下のクラブの運営が難しいとされているが、意識次第、やり方次第だと感心した。私の隣のサントクラブ会員からは、一般的に雨水を貯蔵し石灰(lime)で浄化して飲んでいる。毎日スコールがあるので汚くは無く、川の水(?湧き水)の方が動物の糞などで汚染されている、というような話を聞いた。飲み水ひとつにも、お国柄があるものだ。 
(写真11)中央病院
(写真12)ロータリーマーク
(写真13)ロータリーマーク
(写真14)デコストップロッジ
(写真15)蚊取り線香
(写真16)例会
 翌8日は、いよいよベネクリニックの視察日。前夜に会ったサントクラブ会員がマネージャーをしているショッピングセンターに寄ったら、彼は、国際ロータリーの今年度のテーマ「LEAD THE WAY」(写真17)と背中に大きくプリントされたスポーツシャツを着て、レジで仕事をしていた。ロータリー会員としての誇りを見た思いがした。バスが町を出ると程なく道路は未舗装に変わる。途中で部落に立ち寄り日本から持ってきた子供用のTシャツやボールペンを配ったり(写真18)しながら車を走らせること3時間あまりでベネクリニック(写真19・20)に到着した。
(写真17)リードザウェイ
(写真18)Tシャツやボールペン
(写真19)ベネクリニック
(写真20)ベネクリニック
 ケントフォーストクラブはお金だけでなく、数人の会員が実際に現地で3週間増築工事に当たったこの診療所で感じたのは、本当の援助とは何かということである。電気はソーラーパネルからしか取れないので、電気容量の大きな薬品貯蔵用の冷蔵庫(写真21)は使われないままであった。段ボールをはずすとゴキブリが飛び出してきたこの冷蔵庫には「JAPAN」のシール(写真22)が張られていて、日本の援助品だと分かり恥ずかしかった。また、診療所は風通しが悪く、赤ちゃんのベッドやトイレ(写真23)も使われていないようであった。多分、赤ちゃんは母親の側に置いて育てるのだろうし、貴重な水はトイレの水洗には使わないのではないかと皆で話し合った。ヤシの葉で屋根を葺いた隣の掘っ立て小屋(写真24・25)では、女性陣がバナナを焼き、タロイモをすり(写真26)、野生豚の肉を煮込んだりして昼食の準備をしていた。周りで子ども達が遊んだり、小さい子の世話をしたり、炊事を手伝ったりしていた。大人も子どもも、不平不満は何も無さそうな穏やかな顔つきだった。自給自足の生活で、収入を得ることには慣れていなさそうな人々であり、欧米人や日本人から見れば文明が劣っているということになるのだろうけれど、だからといって彼らを哀れんでの自己満足の援助ではいけないとの思いを強くした。
(写真21)冷蔵庫
(写真22)JAPANのシール
(写真23)トイレ
(写真24)掘っ立て小屋
(写真25)掘っ立て小屋
(写真26)タロイモすり
 オーストラリアやバヌアツの人々とかなり密着して過ごした今回の旅では、文化の違い、文明の発達度合いの違いを目の当たりにし、今後日本が目指すべき文明の方向や、自分自身の生き方を真面目に考えさせられた。帰国間際になって、右腕の肘から手首にかけて、大小の水ぶくれがたくさん出来た。日焼けとは違うみたいで、帰国して1週間たち治りつつあるが、黒い跡が残った皮膚を見たり、痒くて掻いたりするとき、バヌアツで会った子どもたちのきらきら輝く目を思い出す。ベネクリニックで会った、私の末っ子と同い年のチョッと恥ずかしそうにしていた少女(写真27)、彼女は私に焼いたバナナを差し出してくれたのだが、この少女はこれからどんな生涯を送るのだろうか。再会する可能性はゼロに等しい少女だが、幸せに暮らしてほしいと願う。 
(写真27)少女
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