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朝日建設株式会社 本社地図
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2007年3月

カンボジアを旅して

 3月11日(日)の昼前に富山空港を出発し、翌月曜日から木曜日までの4日間、カンボジア国内の3都市(シェムリアップ、首都プノンペン、シアヌークビル)を訪れ、16日(金)の11時前に富山空港に戻った。国際ロータリー第2610地区富山第2分区カンボジア教育支援事業視察旅行に参加したのだ。
 国際ロータリー2610地区は富山県と石川県にある65ロータリークラブ(RC)で構成され、第2610地区のガバナー(直訳すると統治者。地区内のRCのための手引役と指導者の機能を果たす)から、富山県の4つ、石川県の5つの分区のそれぞれにガバナー補佐が任命される。私は今年度(2006.7.1〜2007.6.31)富山第2分区(富山、富山南、富山西、富山中、富山シティー、富山みらい、越中八尾、立山、上市の9RCで構成)のガバナー補佐を務めている。
 そこで、富山第2分区9RCの全会員からの寄付金にロータリー財団の寄付金、アジア開発銀行からの資金を加えたお金で、シアヌークビル市にあるサムロン小学校とベト・トレイン小学校にそれぞれ4つの教室を建設し、英語とパソコンの教師給与の2年間分を補助し、太陽電池パネル(私が所属する富山みらいクラブの会員が無償提供した中古パソコン6台などを動かすための電源)を設置した。2校の全生徒2156人分の文房具などの贈呈式と開校式は、100周年記念実行委員会のメンバーなど10人が「カンボジア小学校贈呈式及び施設充足度調査団」として出席して、2005年6月3日に2校で行われた。
 そして残った寄付金で2校の現状視察と文房具や運動具などを贈呈するために今回の旅行を実施することになったのである。 
 私もガバナー補佐として参加したが、前回の調査団に実行委員長として参加した富山RCの若林啓介会員以外の5人の会員は私も含め初めての視察であった。
また、大学生の私の次女も参加した。日本とカンボジアの時差はマイナス2時間で、日本時間では12日(月)の午前1時、現地時間で11日の午後11時にシェムリアップに着き、翌日は有名なアンコールトム(写真1〜3)、アンコールワット(写真4〜6)の遺跡を観光した。
                              
       
アンコールトム
(写真1)アンコールトム
アンコールトム
(写真2)アンコールトム
アンコールトム
(写真3)アンコールトム
アンコールワット
(写真4)アンコールワット
アンコールワット
(写真5)アンコールワット
アンコールワット
(写真6)アンコールワット
上智大学による遺跡修復「Sophia Misisson」
 そしてその日の夜、首都のプノンペンに飛び、翌13日(火)の午前中、虐殺記念館(写真7〜8)を見学した。
この記念館は、ポルポト政権時代(1975年4月〜1979年1月)に刑務所として使われた高等学校の校舎であるが、教室の中には、そこで拷問(写真9)を受けて亡くなったり餓死したり、あるいは処刑場に送られて撲殺された市民の顔写真が1千枚以上も展示されていた。
 10歳前と思われる子供の写真や家族全員の写真もあった。3年8ヶ月あまりのポルポト政権時代に、この刑務所に2万人が収容されて殺され、生き残ったのはわずか7人。全土では164の刑務所と343の処刑場があり、虐殺された国民は200万人とも300万人とも言われている。
 赤ん坊を放り上げ、落ちてくるのを下から銃剣で刺し殺す様子を描いた絵には涙を禁じえなかった。処刑場跡で発掘された頭蓋骨も山積みされていた。
 人間のもつ残虐性を目の当たりにして、息苦しくなった。2年前と今回の教育支援事業で全面的に協力してもらったNGO「ジャパン・リリーフ・フォー・カンボジア」の職員で、今回の小学校訪問にも付き添い案内していただいたノウティさん(49歳)にポルポト時代のことを尋ねたところ、10人兄弟のうちの兄と姉の二人が餓死し、高校の教師をしていたもう一人の兄は殺され、母も餓死した、また、本人はプノンペンから遠い農村に強制連行され、水路掘りをさせられたと話してくれた。
 その日の午後、文房具などを後部座席一杯に積んだマイクロバスで国道4号線を約260km、4時間以上かけてひた走り、シアヌークビルに着いた。
                                             
虐殺記念館
(写真7)虐殺記念館
虐殺記念館
(写真8)虐殺記念館
拷問の道具
(写真9)拷問の道具
 翌14日(水)は、午前中はサムロン小学校(写真10〜11)、午後にベト・トレイン小学校(写真12〜13)を訪れ、寄贈した教室で学んでいる児童一人ひとりに、参加者が手分けして文房具セットと歯ブラシ、歯磨きペーストの3点(写真14)を手渡した。渡した生徒の数は400人くらいだったろうか。教室が足りなくて、午前(7時から11時)と午後(1時から5時)の2部授業なので、午後のベト・トレイン小学校で100セットくらい余ったようだが、余ったセットは、翌日の午前中の児童に上手く行き渡っただろうか心配である。ちなみに午前中に訪れたサムロン小学校では、3点セットを受け取るため午後の児童も午前中にやってきていたとのこと。道理で3人がけの机に5人が向かっている教室があったのだ。 
            
サムロン小学校
(写真10)サムロン小学校
サムロン小学校
(写真11)サムロン小学校
ベト・トレイン小学校
(写真12)                
ベト・トレイン小学校
ベト・トレイン小学校
(写真13)                
ベト・トレイン小学校
歯磨きペーストの3点
(写真14)
歯磨きペーストの3点
 ほとんどの子が起立し合掌してから、クメール語で「ありがと」と言って受け取ってくれた。中には恥ずかしそうに、あるいは合掌を省略(?)して受け取ったりする子もいたが、どの子も嬉しそうだった。
 サムロン小学校の英語とパソコンを教えている教室で、前回贈ったパソコン3台(写真15)に向かって児童が慣れた手つきでキーボードを操作していたのを見た若林さんは、「無くなったり動いていなかったりしている可能性が大きいと思っていたが、こうして使われているのを見て感激した」と話してくれた。
  2校の各教室で3点セットを配り終えてから、私と若林さんが交代で挨拶(写真16)をしたが、私は、「アンコールワットの遺跡を見学して、カンボジアは素晴らしい歴史を持つ国だと思いました。皆さんは、カンボジアを誇りに思い、一生懸命勉強して、カンボジアの未来のために頑張ってください。そして、毎日歯を磨き、健康に過ごしてください。皆さんの幸せを祈っています」と話した。
  目の前の輝く瞳の子供たちに、前日の虐殺記念館の写真で見た幼い子供たちのおびえた顔が重なり、すべての子供たちが、貧しくても健やかに成長し幸せになってほしいと心から思った。
                                         
パソコンに向かう少女
(写真15)パソコンに向かう少女
配り終えたあとの挨拶
(写真16)配り終えたあとの挨拶

 ベト・トレイン小学校で、英語とパソコンを教える25歳の女性の先生(写真17)に、どこで英語を学んだのかと英語で尋ねたら、わからない単語で答えられてしまった。ガイドのナックさんに聞いたところ、孤児院で英語もパソコンも習ったということであった。もしかしたら、この先生の両親もポルポト政権時代か、それに続く長い内戦時代に、殺されたか餓死したのではないかと思った。
 2つの小学校を訪問した後は、バスで来た道をまた通ってプノンペンに戻った。
   翌日の15日(木)は、午前中に、ディーゼル発電機(写真18〜19)を贈った建設中の全寮制の学校を見学。贈った発電機はデンヨー製の立派な物で、これなら大いに役立ちそうである

25歳の女性の先生
(写真17)25歳の女性の先生
デンヨー製発電機
(写真18)デンヨー製発電機
発電機格納庫
(写真19)発電機格納庫
 出来上がった教室や寄宿舎、ゲストハウスなども回って見てみたが、私の関心は、外での建設中の作業(写真20〜21)の様子だった。
地震が無いカンボシアでは、柱の鉄筋の本数が日本に比べ極端に少なかった。また、鉄筋を加工している女性(写真22)の近くには、昼食を作っている釜が二つあったが、ひとつの釜にかかる鍋では、ナマズと野菜(写真23〜24)が焼かれている最中であった。また、孤児院を建てる予定地も見せてもらったが、孤児の理由は、両親がエイズで死ぬというケースが多いと聞かされた。の近くには、昼食を作っている釜が二つあったが、ひとつの釜にかかる鍋では、ナマズと野菜(写真23〜24)が焼かれている最中であった。また、孤児院を建てる予定地も見せてもらったが、孤児の理由は、両親がエイズで死ぬというケースが多いと聞かされた。
建設現場の様子
(写真20)建設現場の様子
建設現場の様子
(写真21)建設現場の様子
鉄筋を加工する女性
(写真22)鉄筋を加工する女性
なまずと野菜
(写真23)なまずと野菜
昼食準備の女性
(写真24)昼食準備の女性

 午後は、国立博物館と王宮(写真25〜26)を見学。博物館の入り口では、生後2、3ヶ月と思われる赤ん坊を抱いた4歳くらいの裸足の少女が、「マネー、マネー」と言って、我々にまとわりついてきた。首都のプノンペンでありながらこのような浮浪児がいるところにも、この国の貧しさを感じた。
 連日30度を超す暑さの中の今回の旅であったが、米山奨学事業以外にはあまりロータリーのことを知らなかった私にとり、ロータリーの奉仕活動の意義を新しい角度から実感できた旅であった。また、世界史に疎い自分を認識し、世界史や日本史をしっかり学ばなければいけないという気にもさせられた旅でもあった。さらには、旅の間で交わした娘との会話から、今まで気づかなかった娘の物の見方や考え方を知ることもできた。
 ただひとつ反省すべきは、帰りの飛行機に乗るまでの時間を利用して初体験したタイ式マッサージである。以前痛めたことのある腰をまた痛めてしまったのだ。コルセットをつけてこの原稿を書いているが、新しいものにトライするのは良いけれど、その時には、それなりに内容を調べた上でトライしなければいけないということなのだろう。

 

王宮
(写真25)王宮
まちの風景
(写真26)まちの風景
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