朝日建設株式会社
富山県富山市安住町7番12号
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2015年8月

周年に想う

 私は、今年2015年は朝日建設創業75周年の年だと、昨年から事あるごとに社内でも社外でも話していますが、きっかけは昨年6月に金沢で開催されたタナベ経営の「ファーストコールカンパニーフォーラム 2014」への参加でした。このフォーラムのタイトルが「ファーストコールカンパニーへ挑む〜100年先も一番に選ばれる会社を創る〜」で、「100年先」という言葉が、日本には100年以上続いている長寿企業が2万6千社あるという帝国データバンクの調査数字を思い出させ、そこから当社の創業は1940年(昭和15年)だから100周年は2040年、それなら来年2015年は創業75周年なのだと急に強く意識させられたのです。

 そんな思いから、今年の5月15日(金)16日(土)に、通常の業務を休んで社員全員参加で行った「目標管理と人事考課の効果的な進め方」研修会も、当社の創業75周年記念研修会と自分で勝手に名付けてひとり悦にいっていました。

 創業75周年が気になりだしたら、今年は私が朝日建設に入社して40年だということにも気付きました。そして、この間に行った周年行事を思い出してみました。

 1990年の創業50周年には、記念事業として、当時の社長であった父の反対を押し切ってレモンイエローの表紙の50年記念誌を発刊(1991年)し、八尾町桐谷に研修所兼保養所「アサヒツインドームズ」を建てました(1993年竣工)。60周年には会社のホームページを作成しましたが、この年に記憶に残る事業は特に何もしなかったことから、後付で60周年記念事業はホームページ作成だったと言っています。5年前の創業70周年には、10月23日、当社の社員とアサヒ会会員が一緒に、富山電気ビルで「創業70周年記念 感謝の集い」を楽しみました。役員はタキシード姿で入場者を出迎え、照明を落とした会場で、70年間の出来事やパーティーに参加している社員の入社時の写真などをまとめたDVDを上映した後、スタンダードジャズ「朝日のようにさわやかに」の生演奏が流れる中、暗いステージにスポットライトが当たり、その光の中で私が開会の挨拶をしたというお洒落な演出が思い出されます。また、90歳になっていた会長である父が出席してくれたことも、良い思い出です。

 さて、今年は戦後70年の節目の年ということで、7月頃から新聞紙上では、例年より多くの第二次世界大戦の関連記事が掲載されていました。8月2日未明の富山大空襲、6日の広島原爆、9日の長崎原爆、15日の終戦、さらに14日に発表になった安倍首相の戦後70年談話などです。おかげで、富山大空襲では51万7千発の焼夷弾が落とされ、2737人が亡くなり、当時の市街地の焼失率99.5%は地方都市の中で最大であったことなどを知りました。

 そして、母から聞いた、シンガーミシンを背負って焼夷弾の降る中を逃げ回ったという話が甦り、今生きて自分がいるのは、当時24歳の母が富山大空襲を生き延びてくれたからだと思うのでした。

 しかし私は、自分の節目の年齢の時に何かをしたとか、何かを意識したということはありません。42歳の厄年には、地元の貴船社に出かけてお祓いを受けましたが、これは自治会から案内があったからで、自発的ではありませんでした。60歳の還暦にも何もしませんでした。普段から自分の年齢を意識することは少なく、それが節目の歳であってもほとんど意識しない性分のようですが、前述のように、会社の創立や終戦というような出来事は、かなり強く意識してきたと言えます。

 出来事といえば、結婚も人生における大きな出来事です。でも、結婚25年目の銀婚式は、「銀婚式っていつかな?」と思ったときには過ぎてしまっていました。30年目は、この原稿を書くために調べたところ真珠婚式というそうですが、これも意識してはいませんでした。しかしなぜか35年目だった一昨年は「何かしよう」と思い、結婚記念日の10月10日に、家族で自宅近くのイタリアンレストランで食事をすることにしました。しかしこのレストランにはたびたび家族で出かけているので、私なりのパフォーマンスをしてみようと、妻には内緒で事前にレストランに35本の真紅の薔薇を届けておき、デザートが出される頃を見計らってオーナーシェフの奥さんに薔薇の花束を持って来てもらい、妻に「これまで35年間ありがとう」(この言葉通りであったかどうかは定かではありませんが)と言って渡しました。結婚してからの35年の歳月の重さがそうさせたのだと思います。

 私が節目の年を、自分の年齢より、私と関わってきた人たちが体験し、関わってきた人たちと共有した出来事を通して意識するのは、もともと人が好きだからなのだと思います。それが創業75周年そして戦後70年の今年、そして一昨年の結婚35年目に節目を感じることになったと思うのです。さらには、この節目の年を未来へのステップにしたいという潜在意識もあるのだと思います。
これからは今年を起点に、私自身も会社も5年ごとにステップアップしていきたいと思っています。25年後の2040年がとても楽しみです。