本文へ移動
朝日建設株式会社 本社地図
0
5
2
2
6
9

2008年3月

ホームでの最期

 2月4日の月曜日、「あさひホーム吉作」でショートステイされていたTおばあちゃんが亡くなった。その日が97歳の誕生日だった。
 Tさんは、このコラムに2度登場している。北代で「あさひホーム」をオープンしたのが平成15年の4月だが、その直後の5月号のコラム「あさひホームで出会った話−その2−」で、「Tさんは一見気難しそうでチョッピリこわそうな顔立ちなのだが、話していると何かの拍子に実にかわいらしい笑顔になられた。目の表情が大変わりするのだ。」と書いており、9月号のコラム「あさひホームで出会った話−その4−」では、「夕方ホームを訪れTさんたちとテレビで大相撲を観た後、"熱海の海岸"のことを思い出し、Tさんに歌ってくれるように頼んだ。そうしたらニコニコしながら金色夜叉を低い声で歌いだした。2題目となり3題目になって、もうおしまいかと思ったら4題目も歌った。」と書いている。
 Tさんは私と同じイノシシ年生まれで、私より36歳年上。年齢が覚えやすいこともあるが、なぜか気が合うおばあちゃんで、ホームに行けば「ツヤツヤな顔だね」と声をかけていた。
 そのTさん、北代のショートステイを利用されていたころは、朝の申し送りで夜勤スタッフが、夜中ずっと大きな声で娘さんの名前を呼んでいたとしょっちゅう報告していた。それを聞くと、スタッフには悪いけれども、面白いおばあちゃんだなあと笑えてしまった。平成18年7月にオープンした「あさひホーム吉作」のショートステイを利用されるようになってからは体も弱ってこられたが、テーブルについている時やベッド上で、常に「ア〜ア〜」と大声を発しておられた。同じテーブルの利用者さんから「チョッと、うるさいです。静かにしてください」と言われても、お構いなし。でも、声かけにチャンと返事されたとか、"熱海の海岸"を歌われたとスタッフが嬉しそうに話すのを聞いて、一昨年85歳で亡くなった母のことを思った。母は亡くなる前の10年間近く、何もしゃべらず声かけにもほとんど反応が無かった。Tさんの大声もTさんらしさならば、母の無言も母らしさだったのかもしれないと、無理やり考えてみる。
 そのTさん、今年になってから日増しに弱ってこられ、朝の申し送りで、介護部長がTさんの対応についてスタッフに指示する場面を目にするようになってきた。でも、私には死期が迫っているという感覚も無く、毎日の仕事に追われていたところ、2月4日の10時半頃に総務部長から、「Tさんの息が止まりました」と電話があった。きっと人工呼吸で蘇生するだろうと思いながらも、チョッと様子を見てくるかと、仕事に一区切りついたところでホームに出かけた。1階にいた総務部長と2人のスタッフは無言。2階に上がり出会った女性スタッフの目には涙。これは亡くなったのかとTさんの部屋に入ると、息子さん夫婦が入り口近くの椅子に座っておられた。お悔やみを言ってTさんの頬に触れる。まだ温かく、安らかなお顔だった。北代のホームで予約していた昼食を取り、再び吉作のホームに行くと、Tさんの遺体はスタッフの手で2階から1階に運ばれ、ヒバ製の風呂に入った後、葬儀会社の車でホームを離れたとのこと。
 死亡診断書を書いた主治医が、床ずれが全く無い遺体に驚いていたと言う話、何かあったら連絡して欲しいと言っていた非番のスタッフ二人が駆けつけ風呂に入れたという話、そして、日勤のスタッフが、Tさんが亡くなったことを同じフロアーの利用者さんに気付かれないよう涙をこらえて振舞っていたという話を聞いて、素直に感動した。翌日のお通夜に参列したスタッフから、喪主挨拶の間に10回近くも「あさひホーム」の名前が出て、平成15年の開所当時から最期まであさひホームでお母様が世話になったことを感謝されていたという話を聞いて、これにも感激した。最期の看取りを「あさひホーム吉作」ですることについて、Tさんの生前にご家族ときちっと話し合っていたことも、喪主挨拶につながったのだろうと思った。
 初めてのホームでの最期だったが、取り乱すことなく協力し合ってTさんの死に対応してくれたスタッフを心から誇りに思う。そして、病院に9ヶ月間入院し、気管切開しての呼吸、胃ロウを作っての栄養補給を受けながら息を引き取った母のことを思った。「死に方」を考えるのも、介護の大事な仕事だと思う。
TOPへ戻る