富山市総曲輪の浄土真宗本願寺派本願寺富山別院(通称 西別院)の西側を南北に走る通称別院通りに、西別院を大家さんとして6軒の店子が店を構えています。その一番北側に、私 の長男のYが営む民芸店「林ショップ」と「スケッチ」があります。
「林ショップ」と「スケッチ」では皿や茶碗や酒器などを扱っていますが、「林ショップ」は2010年1月9日に開業しました。開業のきっかけは、私の母がよく訪れたくさんの品物を買っていた「きくち民芸店」の店主のKさんから2009年12月に「年なので店を閉めようと思っているのだが、Yさんが店を継ぐ気がないだろうか」と私に話しかけられたことでした。長男は金沢市立金沢美術工芸大学で環境デザインを専攻し2003年に卒業しました。卒業後は写真撮影が好きだったので東京の写真現像所でアルバイトをしていました。しかし時代がフィルムからデジタルに変わったことから現像所が閉鎖し、写真を撮りながらアルバイトをして暮らしていました。そこへKさんからの話。Yに話したところ「やりたい」ということで年内に富山に戻り、祖母の命日の1月10日の前に開業したいとの思いから命日の1日前の1月9日に開業したのでした。「林ショップ」の名前は、東京の老舗の民芸店「柳ショップ」に倣ってつけたものです。
開業当初は、Kさんが商品を仕入れていた栃木県の益子窯にKさんの車で連れて行ってもらって窯元の人たちに紹介してもらい、買い付けて来ました。今はYが車を運転し、全国へ買い付けに行っています。
「林ショップ」の左隣りにはかわいい石や雑貨品を扱う「いしころや」という店がありましたが、店をやめることになりYが後を引き継ぎ「スケッチ」と名付けました。
さて、時々林ショップで買い物をする北日本新聞社の人にYが「北日本新聞で随筆を書いてみませんか」と2018年に声を掛けられ引き受けました。そのタイトルを何にしようかと考えていて思いついたのが、私の社内報のコラムのタイトル「見たり聞いたり出会ったり」でした。ここから「うれしい出会い、あれこれ」が生まれたのです。この連載は、月に一度第4金曜日に、4年近くにわたって46項が掲載されました。そして、この度Yの友人であるグラフィックデザイナーの高森さんからこの連載の書籍化を提案され、新たに2項を加えて5月に自費出版しました。1冊1,650円で1,500冊印刷しましたが、新聞に掲載した時より写真が増えていて、見ごたえがあります。15項の「長さんと姪っ子」には、物語が予想もつかない展開をする絵本作家の長新太さんの作品と、私の孫が3歳になる前のころ、我が家にやって来て長さんの絵本をビックリするほどすんなりと受け入れ気に入ってくれたこと、そしてソファーで足を投げ出して居眠りしている私の靴下にYちゃんがおもちゃのトンカチをこっそり入れて遊んでいるのを見て、Yちゃんが長さんの絵本に何の違和感もなく入っていけることに合点がいったと書いています。
また9項は2019年5月24日掲載の「緑と光の5月」では、我が家の庭で見つけた不思議な模様の葉を調べたらアオキという常緑低木であったこと、そして葉には同じものは一つもなく、同じ瞬間も一度もないと結んでいます。この随筆は、原稿の締め切りが迫っているのに何を書いたらよいかと悩んでいた時に、たまたまYが寝室から庭に出て見つけた葉のことを書いたものです。彼が悩んでた様子が懐かしく思い出させられます。
この本は「林ショップ」で販売していますが、今週は6月22日から26日まで広島にガラスの器を仕入れに行っています。今年はどんなガラスの器を仕入れてくるか楽しみです。
5月21日(木)の午後6時からパレブラン高志会館で、昭和37年(1962年)3月に富山大学教育学部附属中学校を卒業した同級生30名が参加しての同期会が行われました。傘寿とは、数え年で80歳(満79歳)を迎えることを祝う長寿の祝いですが、八十が「傘」という漢字の略字(仐)を縦に分解すると「八十」に見えることに由来しています。
附属中学校は1学年150名の生徒がA、B、Cの3クラスに50人ずつ分かれていましたが、私は1年生の時がAクラス、2年生がBクラス、3年生でCクラスでした。
この同期会は、私が20歳代のころから2,3年ごとに日帰りで、時には1泊で開催されてきました。そして毎回私が代表世話人を務めてきました。
私には、S.O君という小学4年生の時に附属小学校に転校してきた親友がいます。彼のお父さんは富大の理学部生物学教室で教授を務めておられました。蓮町にある富大の官舎に住んでいて、私は一度だけですが岩瀬港線(現在のライトレール)の電車に乗り、生まれて初めて他所の家に泊まりました。彼も、今の朝日建設の本社がある場所にあった我が家に一度泊まっていきました。その日はカレーライスでしたが彼はあっという間に平らげ、母が再度肉を買いに出かけたことを覚えています。彼は野球部でキャッチャーをしていて、体もがっしりしていたので「ブーちゃん」と呼ばれていましたが、今回の同期会でも「ブーちゃん、久しぶりだね」と声をかけられ、「そんなに太っていたかな?」と言っていました。私は「花」と男性からも女性からも呼ばれていました。なぜ「花」なのかは分かりませんが、花のようにかわいらしかったからだと勝手に思っています。
彼は九州大学の博士課程を卒業後、九州大学で助教授や准教授、長崎国際大学で教授を務めていましたが、現在は東京理科大学の客員教授として2、3か月に一度、大学で講義をしているとのことです。もらった名刺には理学博士(九州大学)とあり、界面科学の研究に携わっているようです。
今回の同窓会の案内を彼にメールしたら、東京での学会と重ならなかったので参加するとの返信。世話をしてくれている女性二人に連絡したところ、最初の出席の返事だということでした。
彼は前日に富山に着いていたので、彼と以前出かけた桜木町の行きつけの居酒屋「ちろり」とホテルグランテラス富山の最上階にあるBAR白馬館に行きました。前回も彼と同じ2軒をはしごしましたが、白馬館はトイレが広かったと言いました。その白馬館は、去年92歳で亡くなった白馬舘創業者の内田輝廣さんが80歳で西町に新たに開店した白馬館のことです。
彼はホテルにチェックインした後市内を歩いたが、中央通りがシャッター街になっていたことに驚き、道に迷ったとも言っていました。「ちろり」には歩いて出かけましたが、足元がおぼつかない私の手を引き、「お花、前に段差があるよ」と何度か声をかけてくれました。
同窓会では受付で参加者名簿が渡されましたが、分かっている方のみとして、物故者の名前が31名も載っていました。男性19人、女性12人でしたが、彼も亡くなったのか、彼女も亡くなったのかと驚いた人もいました。
司会者から「乾杯の音頭は一番遠くの佐世保から参加したS.Oさんにお願いします」ということでS.Oさんが乾杯の発声をし、続いて私が開会の挨拶をしました。冒頭に、5月6日の富山新聞のコラム【時鐘】に書かれていた川柳を紹介しました。「同窓会 病や介護は禁句との 約束なれど他に何ある」です。そして、病は5月7日に大腸ポリープの切除手術を1泊入院して行い、介護は、両親や義母は亡くなったが、今は16歳の老犬の介助をしています。昨年この犬と散歩していて、近所の男性から「腰が曲がりましたね」と言われ、「78歳ですから」と応えたら、「クロちゃんですよ」と言われたことを話して、老人が老犬と毎朝散歩をしていますと言ったら、笑い声が聞こえてきました。
近況報告では、奥さんが認知症で施設に入っていて、本人はサービス付き高齢者住宅で暮らしているという男性、とうとうとしゃべる男性、趣味がジャズボーカルという女性、今も喫茶店を営んでいる女性など様々でした。
次回の同窓会は、88歳の米寿には8年もあるので3年後に行おうと決めてお開きになりましたが、11人で2次会に白馬館に繰り出し、富山の夜景を楽しみながら酔いしれました。人生は楽しいと思った同窓会でした。
4月16日、17日の両日に高知市で開催される第38回全国経済同友会セミナー高知大会に参加するため、2月に旅行社を通じて富山⇔羽田、羽田⇔高知の飛行機の予約をしました。しっかりスマホのTeamsのカレンダーにも記入しました。
4月15日、11:55発の富山から羽田に向かうANAに乗るため空港まで妻に車で送ってもらい、途中、会社の近くの高田屋で高知の2人の知人にあげる鱒寿司を2個買って富山空港に着いたのが11:30。受付で案内表示を見たらANA316便の表示がなく、窓口の女性に尋ねると、316便は11:30発で今離陸するところだと答えるではありませんか。改めてチケットを見ると、確かに11:30発と書いてありました。後で旅行社に聞いたら、11:55は冬ダイヤで11:30は3月からの春ダイヤだったのです。羽田から高知への便は14:05羽田発。窓口の女性は、その次の高知行きは19:10発で高知空港に着くのが20:30。富山駅から新幹線を使って羽田に行き、19:10発の高知便に乗ったらどうかと言い、12:22に富山駅発の新幹線はくたかがあると親切に教えてくれプリントアウトしてくれました。
そこで妻に電話し、婦中大橋を走っていた妻に富山空港に戻ってもらい、富山駅に送ってもらいました。浜松町からモノレールに乗り、羽田空港第2ターミナルに15:36に到着。
3時間半も待ち時間があるものの、早めに47番ゲートに行こうと搭乗手続きを済ませ手荷物検査を終えて通路に出たところ、車椅子を持った女性(グランドアテンダント)が近づいてきて、「47番ゲートは一番端で、そこまで700メートルあるから車椅子で送ります」とのこと。私が背中をまげて歩いているのを見ての申し出でだと思いました。乗せてもらいながら「車椅子を押すことは1日に何回もあるのですか?」と尋ねると「5回くらいあります」との返事。さらに「搭乗ゲートが変更になることもあります」と言われました。47番ゲートの搭乗口に近い座席に座るように促され、また使うこともあるかもしれないので車椅子も置いておきますとのこと。長い待ち時間なので、本を持ってこなかったことを後悔しました。
その内に搭乗ゲートが59番ゲートに変更になったとのアナウンス。59番ゲートは47番ゲートの反対側にあるので、車椅子を置いていったのはさすがだと思いました。車椅子の私は、車椅子のおばあさんと盲目のおじいさんと最初に飛行機の入り口まで連れて行ってもらいました。座席はエコノミークラスでは入り口に最も近い5Cに変更されていました。
飛行機の中では、映画「東京タクシー」を観ていました。山田洋次監督で倍賞千恵子主演の映画で、フランス映画の「パリタクシー」を題材にして作られた映画とのこと。「パリタクシー」を観たことを思い出しました。しかし最後まで観終わらないままに飛行機は20分遅れで20:50に高知龍馬空港に到着しました。飛行機を出る時は最後で、用意されている車椅子に乗り、エレベーターを使って到着ロビーまで連れて行ってもらいました。友人からは、友人2人で飲んでいる寿司屋にタクシーで来るようにとメールが届いていましたが、空港前にはタクシーが全く来ないのでバスに乗りました。友人から、はりまや橋バスターミナル前で降りてください。迎えに行きますと再度のメール。タクシーで行ったのが、彼らが2軒目に入っていた「大黒堂」という居酒屋でした。食べたのは、鰹のタタキ、クジラの刺身、卵焼き、チャンバラ貝の煮つけと、四万十川で採れるアオサ海苔の天ぷらで、アルコールは栗を原料にした焼酎「ダバダ」でした。チャンバラ貝よりバイの方が美味しいと思った以外は、全て満足でした。特に鰹のタタキは大きくて分厚く、これまで食べた鰹のタタキの中で一番美味しいと思いました。
大会2日目の17日、11時半に大会会場からタクシーで空港に向かいました。車窓から見る山並みは富山で見る山並みと全く違いました。運転手さんに一番高い山はどれくらいかと聞くと1800メートルくらいとのこと。福島県には安達太良山、岩手県には岩手山、青森県には岩木山があり、それぞれ名山と言われていますが、3000メートルの雄大な立山連峰を持つ富山県は素晴らしいと思いました。
高知空港の売店で土産を買い込み、キャリーケースは手荷物として預け、土産が入った紙袋を持って機内に入りましたが、キャビンアテンダントが紙袋を座席上の荷物置きに載せてくれました。羽田空港に着いた時、私だけ最後に右側の扉から出ました。小松空港で経験したことがありますが、車椅子が乗れるリフトが扉に横付けになっています。リフトが地上に着くと、マイクロバスほどの車両に移動します。リフトでも車両でも車椅子のシートベルトはしっかり締めます。富山空港でもバスが空港の建物に着くと、グランドアテンダントが車椅子を用意して迎えに来ていて、エレベーターを使って到着ロビーに連れてきてくれました。彼女に、富山空港の滑走路はうちの会社が造ったと話すと、5年前に82歳で亡くなった祖父が土方として滑走路の建設に携わっていたとのこと。縁を感じました。
ANAのスタッフが配慮してくださった車椅子と数々の気配りのおかげで楽しい旅行ができました。帰宅して妻に「どの空港でも車椅子が用意されていて、親切に移動してもらった」と話すと、妻から「歩かないと脚が悪くなるよ」と言われてしまいました。7月にはロータリークラブの用事で台湾に行きますが、去年台湾に行った時も、今回の高知行きと同じく車椅子での移動でした。しかし脚が弱ることを考えると、今年は車椅子はどうしたものかと考えてしまいます。リュックを背負い、以前買った2本のステッキをつきながら移動することにしましょうか。