小説家の井上ひさしについて書いたコラムは、昨年11月の「井上ひさし」で、「井上ひさし ベスト・エッセイ(井上ユリ編)」を読んでの感想を書き、今年6月の「聞きなれない言葉」で「自家製 文章読本」に出ていた言葉を紹介しました。6月のコラムの最後に「古志の文学館での井上ひさし展で買い求めた未読の20冊近くの文庫本を読もうという意欲が湧きました。晩酌をほどほどにして、寝る前に数ページ読もうと思います」と書きましたが、晩酌のアルコール量は減らないものの、寝る前の20分ほどの読書を数か月間繰り返して、先日ようやく読み終えたのが451ページの文庫本「野球盲導犬チビの告白」です。
コラム「井上ひさし」では、昨年の9月24日に古志の国文学館で開催された「生誕90年 井上ひさし展」での奥さんの井上ユリさんの記念講演「ひさしさんの思い出」で、井上ひさしは本を書くのに徹底的に資料を集めたという話が印象に残ったと書きましたが、 「野球盲導犬チビの告白」を読みながら、まさにその通りだと思いました。戦後野球史、残るスコアカードや週刊誌の雑記などが紹介されています。また、王貞治や別当監督、金田正一、西本投手、山倉捕手、宮沢主審も登場しますが、本当にあったことのように思わされてしまいます。
この小説は、生まれながらの盲目の田中一郎が横浜大洋ホエールズに入団し、盲導犬チビの助けを借りながら、対巨人戦で2打席連続で予告ホームランを打ち一塁の守備もこなすという話です。チビと田中一郎の出会いは、千葉県市川市の市川駅の北にあるラーメン屋『小人軒』(小人とは巨人の反対でアンチ・ジャイアンツという意味が込められている)の主人の永井増吉さんが店員の田中一郎の野球のコーチで、永井さんと田中一郎が市川市営球場で練習をしていた時に、チビが土手にめり込んだボールを掘り出し、右翼席から投手板まで運んで行ったのが縁でした。それで『小人軒』で飼われるようになったのです。
盲目の天才打者・田中一郎がプロ野球界に打って出るには、守備や走塁時に彼の目となってくれる誰かが必要でした。そんなときに現われたのが野良犬のチビ。前の飼い主の千葉県習志野市の植木屋の次男坊が野球の審判員を目指していて、その時に野球のルールを覚えたのです。野良犬だったチビは野球盲導犬として田中一郎の相棒に昇格しました。
巨人入りを熱望する田中一郎でしたが、盲目を理由に一蹴されてしまいます。しかし、横浜大洋ホエールズのテストに合格し、野球規則を始めとする幾多の問題を乗り越え入団が決まりました。そこから、田中一郎と野球盲導犬チビのサクセスストーリーがスタートし、世間は盲目の天才打者に興奮し、その人気はプロ野球界に止まらず社会現象にまで発展しました。しかし、彼らを快く思わない某球団(巨人)連中がついに妨害行動にでます。チビを田中一郎から引き離すため、チビを囮犬の美しいメス犬に近寄せ、後ろからクロロホルムをかがせて気絶させ、某球団の黒幕の妾である藤山桃枝という女性が住むマンションに監禁されてしまうのです。チビは浴室に閉じ込められ、妾の彼氏である獣医大学の学生長谷吾郎に毒を注射され殺されようとします。しかし、妾のパパである政五郎親分と「日本プロ野球界のVIP」と奉られていた禿頭の老人が入ってきて麻雀を始めます。桃恵が、どうしてみんながチビに血眼になっているかと尋ねたら、VIPはチビの生命を絶つことが巨人のためであり、ひいてはプロ野球界のためであると答えるのでした。この後、江川卓の話になり、チビは隙を見て逃げ出すことができました。これ以上書くとネタバレになり、実際に「野球盲導犬チビの告白」を読む社員の興味を削ぐことになるので、このあたりでこの本の概要を記すのをやめます。
さて、今読んでいるのが、井上ひさしの三女の井上麻矢さんの「夜中の電話」です。この本の第2章には、2009年にがんで療養中の作家である父・井上ひさし氏から「こまつ座」の運営を引き継ぐことになった娘の麻矢さんに宛てて語られた77の言葉が書かれています。父から娘への遺言とも言える言葉には、生き方のヒントと劇団経営のテクニックが込められており、今晩(8月23日)読もうと思っている13番目の言葉は、有名な「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに、ゆかいなことをまじめに書くこと。」です。
この本を読み終えたら、“「井上ひさし」を読む 人生を肯定するまなざし”を読みます。この本では、作家・大江健三郎、辻井喬(実業家堤清二の筆名)、劇作家・平田オリザなどが対談しています。娘さんや井上ひさしと所縁のあった人の見方を知ることは、今後、井上ひさしの著書を読むうえで参考になることでしょう。
連日猛暑日が続きますが、クーラーを効かせた寝室で、今夜も「夜中の電話」を読みましょう。
7月19日(土)から21日(月)まで2泊3日で台湾に行ってきました。2泊3日といっても、19日に小松空港から11時45分発の台湾のEVA航空167便に搭乗し、13時55分に台北の桃園空港に到着。21日の午前6時35分にEVA航空158便で桃園空港から小松空港に向かったので、台北での滞在は19日の午後と20日の終日の1日半でした。
台湾に出かけた目的は、私が会員である富山みらいロータリークラブと友好クラブ関係にある台北の邑徳(イーター)ロータリークラブの創立10周年記念晩さん会が19日に行われるので、それに出席することでした。立派なホテルで開催された晩さん会に16人で出席し15人は2つの丸テーブルに座りましたが、今年度富山みらいロータリークラブ会長であるリスク・マネジメント・システムの岡崎社長は最前列のテーブルで、第11代会長の隣りの席に座ることになりました。晩さん会が終わってから岡崎さんは、テーブルの人が何を話しているのかさっぱり分からず居心地が悪かったと言っていました。
6時開始の晩さん会、初めに邑徳ロータリークラブの新旧会長や幹事、また関係ロータリークラブの会長や地区ガバナーなどの挨拶がスクリーンに写された写真を交えながら1時間半にもわたって行われましたが、岡崎さんも冒頭中国語で二言三言しゃべり、後は日本語で挨拶しました。その後10時前まで懇親会でしたが、78歳の最年長の私が赤ワイン、ウイスキー、紹興酒をたっぷり飲み、かつ出てきた料理に全て箸をつけるのを見たメンバーは、「林さんはよく食べてよく飲まれるね」と驚いていました。
20日は、観光組とゴルフ組に分かれての1日でした。観光組の私は、女性ガイドの陳さんの案内で最初に忠烈祠で衛兵の交代式を見ました。陳さんの話では、衛兵は身長175㎝の20歳のイケメン男性に限られるとのことです。昨年も邑徳クラブの晩さん会の翌日、この交代式を見ましたが、ガイドの説明はこんなに詳しくはありませんでした。その後は、これも昨年訪れた故宮博物院でした。みらいクラブのメンバーで、当社の社員旅行でお世話になっているエヌトラベルの中井社長は、何度も来ているので入らないでおこうと思ったけれど、林さんの車椅子を押さなくてはいけないので入ったが、こんなに詳しく興味深い説明をするガイドは初めてだと言っていました。あとから陳さんに聞いたら、故宮博物院の収蔵品に関する本を何冊も読んだと言っていました。
清朝時代に作られた有名な翡翠の「白菜」には、上にキリギリスとイナゴがとまっていますが、この虫は子孫繁栄を象徴し、白菜は純潔や豊穣を表しているとのことでした。虫がとまっているとは知りませんでした。また、象牙多層球は、鎖や玉などそれぞれを作ってから繋ぎ合わせたものではなく1本の象牙で作られていて、針で象牙をくり抜いて作ったとのことでした。これも初耳でした。
昼食会場は、これも去年と同じ飲茶(ヤムチャ)料理の鼎泰豊(ディンタイフォン)です。有名店なので入り口には20人以上の客が並んでいましたが、我々は予約してあるのですぐ入れました。ここでは数種類のシューマイやギョーザ、そして鶏のスープなどを食し、アルコールは紹興酒と有名な台湾ビールでした。ここでもしっかり食べました。
夕食は、邑徳ロータリークラブメンバーと一緒にホテルの近くのレストラン「梅子台湾料理餐庁 林森店」です。昨夜と違った中国料理をビールや紹興酒と一緒に楽しみましたが、邑徳ロータリークラブメンバーが我々に酒を注ぎに来た時には、一気に飲み干さなければいけないのです。何度も飲みましたが、酒に強い私ですので平気でした。終わってからは、有志で足裏マッサージの店に出かけました。90分で9,800円でしたが、私を担当した中年の女性は自分の拳や腕を使って、長椅子に横たわった私の足やふくらはぎを、時には痛く感じるほどの力で揉むのでした。一緒に出掛けた女性メンバーは、全身マッサージとネイルケアをしてもらっていました。
ガイドの陳さんは、私がヨタヨタ歩くのを気遣い、「段差がありますよ」とか「滑りやすいですよ」と声をかけ、時には手を引いてくれました。また、パイナップルケーキとからすみを買った時は、からすみを手に取り重い物を選んでくれました。本当に親切なガイドさんで、もともと好きだった台湾が陳さんのガイドでますます好きになりました。
帰国した翌日には、google変換でのこんなメールが届きました。
林様 ニーハウ
台湾3日間ロータリークラブ交流会、大変お疲れ様でした!
私は時時林さんの表情で子供見たいな真摯ってピュアな心感じました、
林さんは面白い素直な人、色んな事に一人でも楽しめる人だと思います、お知り合い出来て嬉しいです。
これからも健康第一で元気で人生を楽しんてください、私も林さんの健康元気を祈ります!またお会い出来る日を楽しみに待っています。
では、お元気で!再見❤️
台湾ガイド 陳より
エヌトラベルの中井社長には、小松空港と桃園空港での車椅子の手配ですっかりお世話になりました。空港での入国や出国の際には、車椅子の人専用の審査ブースがあり、他の人たちより早く通ることができました。帰りの小松空港では、飛行機の右側前方の非常用出入口にトラックに積まれた荷物運搬用の5m四方ほどの箱が横付けになり、そこに中井さんと車椅子の私が入って空港の建物の荷物運搬用の入り口に横付けされました。中井さんも初めてだと言っていました。
今回の台湾旅行は、観光よりも陳さんや中井さんの気配りや優しさが印象に残る旅でした。空港では車椅子の老人を何人も見かけました。来年も参加しようと思っています。
私のスマホのメモ欄に、「聞きなれない言葉、面白いい言い回し、漢字が思い出せない言葉、言葉のルーツ」というカテゴリーがあります。これは、今年1月のこのコラムで「趣味は読書」と題して、「読書については、昨年10月のコラム『読書の秋』と11月のコラム『井上ひさし』で書きました。」と書いていますが、今読んでいる井上ひさしの「自家製 文章読本」に、たくさんの聞きなれない言葉や漢字、思い出せない言葉が出てくるのです。
このカテゴリーに書き留めた順に、以下に記します。皆さんはどれだけの言葉が読め、また意味を知っていますか?
梗概、磊落、禍々しい、万里一空、阿諛、畏まる、法匪、有漏路、突忽、顰める、宿痾、
固唾を飲む、勝ち馬に乗る、惹句、因みに、篝火、毟る・挘る、無聊、見巧者、貴種流離譚、 墨守、貶める、伝法、花鳥諷詠、三奸四愚、漱ぐ・嗽ぐ、泆、河骨、砂糖黍、喃語、宿痾、無謬、恩寵
33ありましたが、スマホのカテゴリーに書いてある漢字をこのコラムに書き写すのに、結構苦労しました。漢字変換しても出てこないのが、「挘る」と「嗽ぐ」でした。
聞いて意味が分かっても書けない漢字、そもそも読み方が分からない漢字、読めても意味が分からない漢字といろいろです。スマホには意味も記入していますが、覚えられません。今回スマホに記入していた意味も読み「そうか、こんな意味だったのだな」と思い返しながら33の漢字を書きましたが、ここまで書き進んだ段階で、もう読めなくなった漢字や、意味を忘れた漢字があります。78歳という年のせいでしょうか、いやいや、それほど難しい漢字だったということにしておきましょう。
ここまで書いて、コラムの予定字数の半分ほど。「自家製 文章読本」は292ページで、今は132ページを読んでいるところです。これから、斜め読みしながら難解な漢字だけ拾っていきましょう。ありました、ありました。
隔靴掻痒、重石、彷徨歩く、直接に(じかに。ふつうに変換するとは「直に」ですが、この方が意味が強いですね)、手繰り寄せる、綺麗に、干瓢、完璧、呆れる、一目瞭然、驥尾、痴話喧嘩、馴染んだ、眉唾もの、反駁、罪滅し、鹿爪らしい、曖昧、示唆、語彙、塩梅、按配、把握、混沌、語彙、引き剝がす、破天荒、和臭、漢臭、痛罵、喧嘩、駢儷体、洒落た惹句、訝しむ、嵌め込まれて、暖気(のんき。一般的には呑気か暢気)、匕首、滑稽、面妖、索漠、鯱鉾張って、氾濫、醜悪、大袈裟、揉めごと、西洋(あちら)も五分法、東洋(こちら)も五段法、曖昧、喪い、賄賂、矜持、生真面目、読み巧者(ごうしゃ)、閻魔、大雑把、代物、緻密、混沌未分、宇宙船に乗って故郷(ホーム)への帰途につく、餅搗き(もちつき)、睨み返し、煩瑣、咎める、生命(いのち)、剃刀、基本的枠組(パラダイム)、腑分け、煙草、目論む、面喰らう、噺し家、糊、語彙
今月のコラムは「自家製 文章読本」から漢字を拾っただけの、実に省エネルギーのコラムですが、私にとっては「自家製 文章読本」を読了し、古志の文学館での井上ひさし展で買い求めた未読の20冊近くの文庫本を読もうという意欲が湧きました。晩酌をほどほどにして、寝る前に数ページ読もうと思います。