今回のコラムのタイトル「孫」にちなんで、「孫」という歌謡曲の一題目の歌詞「なんでこんなに 可愛いのかよ 孫という名の宝もの じいちゃんあんたに そっくりだよと 人に言われりゃ 嬉しくなって 下がる目じりが 下がる目じりが えびす顔♪」を紹介します。歌手の名前は検索したら大泉逸郎という歌手でした。「孫」は、彼のメジャーデビューシングルで、発売は1999年4月21日とありました。
私には、来年1月に6歳になる女の子(Yちゃん)と、10月に3歳になった男の子(S君)の2人の孫がいます。長女の子どもですが、時々土曜日に我が家にやって来て、時には泊まっていきます。この二人の孫への思いは、まさに「孫」の歌詞の出だしと同じで、可愛くてなりません。「親ばか」ならぬ「じじばか」だと、我ながら思っています。
私の高校時代の同級生で硬派だった男が、「(友達が、)孫は可愛いいというのを聞いても、何がそんなに可愛いのか?と思っていた。でも孫が出来たら、孫ちゃ可愛いもんだぞ」というのを聞いたとき、私は「この男がね」と微笑ましくなりましたが、私自身は子供が結婚もしていなかったので、「そんなものかね」と思う程度でした。
しかし孫が出来たら、生後間もなくの時からスマホで写真を撮りまくり、名前ごとにフォルダーを作ってスマホの中で整理しています。また、スマホには「Yちゃん語録」、「S君語録」というフォルダーもあり、自宅に二人が来ているときに、妻や私が体験した面白い話を記録しています。
まず「Yちゃん語録」です。どんな状況だったかは書き留めていませんが、去年の秋頃、「どういたしまして、朝飯前ですよ」。今年の2月に我が家に来ていたYちゃんとS君が、おもちゃの木の台所セットでお料理屋さんごっこをしていたときの妻とYちゃんとの会話。メニューは、から揚げ、ラーメン、くまさんカレーなので、妻が「くまさんカレー、ください」というと、Yちゃんが「大変なのでできません。5歳と2歳のシェフですから、から揚げもできません」。笑ってしまいました。Yちゃんはお鍋を使ってラーメンを作りたかったのだそうです。
次に「S君語録」です。妻はウイークデーの朝は娘のマンションに出かけ、孫が保育所に出かけるのを手伝っていますが、今年の5月、娘のマンションの部屋の入口に行くと、S君が「入ったらまめ」と言ったとのこと。「まめ」とは「駄目」のことだそうで「まめ、まめ、あっち(駄目、駄目、あっちに行って)」とも。保育所に行くのが嫌なのです。7月には、私が「おじいちゃん、お腹すいた」と言うと、S君「大丈夫、たくさん食べたから」。まだまだありますが、切りがないのでこれだけにします。
車を運転していても、お母さんやお父さん、時にはおじいさんやおばあさんと手を繋いで歩いている私の孫と同じ年頃の子どもや、赤ちゃんを胸に抱っこしたり乳母車を押してたりしている若いお母さんを見かけると、自然に微笑んでしまいます。
「子供は未来の宝」と言いますが、世界では戦禍で逃げ惑い食べ物も十分にとれない多くの子どもたち、初等教育就学年齢に相当するこどものうち学校に通っていないこどもは世界で5,700万人、日本でも7人に1人の子どもが貧困状態な日本などの記事を目にし、これまでも国際UNHCR協会、国境なき医師団、ユニセフ、善意銀行などに寄付をしてきましたが、最近公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンという団体を知りました。経済的に困難な状況にある家庭を支援する団体ですが、チルドレンという言葉に反応して、毎月定額を寄付することにしました。ネット上ではこれらの団体に対する非難めいた意見も目にしますが、非難する前にまずは行動しろ!と思います。
今日は12月23日、クリスマスイブの明日、世界中の子どもたちがサンタの夢を見られたらよいと願うばかりです。
新聞での本の紹介欄を見て買ったのが、愛蔵版「グレイがまってるから」という405ページもある分厚い本です。定価は税込み2,420円で、いせひでこ(伊勢英子)という1947年生まれの画家・絵本作家が書いています。
本の帯には
「犬、ひとと会う。―30年の軌跡
シベリアンハスキーのグレイ。犬が歩いたあとを、絵描きは目を掃除機にして拾い歩いた。表情、行動、季節のうつろい・・・・・・
迎え入れ~看取りまでの、絵描き家族との5年のいとなみ。愛犬ものがたり三部作に、あらたなスケッチ・エッセイをそえて集大成した愛蔵版。」
とありました。
我が家には、クロスケという名の9月に13歳になったやや黒っぽい色の柴犬のミックスがいるので、5歳で死んでしまったグレイ(灰色)とついつい比べてしまいながら、毎晩寝る前に2か月くらいかけて読みました。
この本の章立ては、◎グレイがまってるから、◎気分はおすわりの日、◎グレイのしっぽ、の3章で、それぞれの章には、そして運命の日がきた、うちのめされて、夜の集会、訓練士とグレイ絵描きとグレイ、ひとりぼっち、失恋、グレイがまってるから、グレイが何をまっていたのかかきそびれた話、発作、てんかん、くすり、アレルギー、うんち、緑陰コンサート、ハイドン、ブラームス、サンサーンス、笑う人笑う犬、グレイの入院、グレイをまちながら、みえない犬、グレイの不安、ヨドコーの犬小屋、インフォームド・コンセンント、在宅ケア、それでも「ね」の顔、夜空の向こう、抜糸、誕生日、ガン、透きとおる羽毛のような巻雲がどこかに向かって急いでいた、空のてんらんかい、1000人のチェロコンサート など惹きつけられるタイトルが105あります。タイトルを書きだしながら、内容を思い出したのもあればどんな話だったろう?読み返してみよう、と思うのもありました。
そして挿絵に添えられた言葉も秀逸です。例えば「さんぽをしていると、時々わけのわからないことを言う人に会うことがある」では、おばさん「犬は犬好きを知る、といってね、わかるんですよ」、グレイ「ぼく、別にこの人のこと好きじゃないけど・・・」にクスリ。「せなかがまるくなって急に年とってみえるグレイ」には、私がクロスケと散歩中に時々会う人ふたりから「背中が丸くなりましたね」と言われ、「10年前に脊柱管狭窄症の手術をしましたが、ここ数年また再発したようで」と答えると、「クロのことです」とふたりともに言われたことを思い出しました。ボクもクロスケも背中が丸いのが共通点。ボクは歩くときは下を向き加減で歩き(前を向いては歩けないのです)、クロスケは何を探すのか鼻が道路にくっつかんばかりにして歩きます。
訓練士が「すわれ」というと1回で正座するのに、絵描きが「すわれ」「おすわり」「すわりなさい」と何度も言われてようやくおかま座りするグレイの挿絵には、我が家のクロスケが「おすわり」をするのは、餌をもらえる時だけだなと思いました。ジンマシンにかかり天狗のような鼻になり「ぼくのかおかわいい?」と言ってる挿絵には「かわいいよ」と言ってやりました。
クロスケの毎朝6時からの散歩と終わってからの餌やりは私で、夕方のそれは主に妻、ときに次女や長男がします。犬は餌をくれる人より散歩させてくれる人が好きだと聞いたことがありますが、クロスケが大好きなのは間違いなく次女です。次女に飛びつくときの嬉しそうな様子は、明らかに次女以外に対する態度とは違います。見ていてほほえましくなります。
妻は、犬や猫は好きではないと言っていましたが、散歩をしてくれ「クロちゃん、何でそんなに鳴いてるの?」とちゃん付けで呼びかけます。私は「クロスケ!」とピシリと呼びます。「仕方がないでしょう」と言いながらも散歩してくれる妻に感謝です。
私はあと5年で80歳、その時クロスケは18歳。最近ネットで20歳まで生きられるとうたったプロテインの白い粉を、高価でしたが買いました。クロスケ、20歳まで生きろよ!
私は、1階に地場もん屋総本店が入っている総曲輪のウィズビルの4階にある映画館ほとり座で、毎月映画を観ています。観る映画は、ほとり座から毎月送られてくる予定表に書かれている、その月に上映される全ての作品についての100文字ほどの解説を読んで決めています。
これまでに観た映画は数百本になるかと思いますが、最近観た映画で良かったのは8月に観た「長崎の郵便配達」です。この映画は『ローマの休日』のモチーフになったといわれるタウンゼンド大佐と、長崎の原爆被爆者谷口稜曄の出会いに端を発するドキュメンタリーで、大佐の娘イザベル・タウンゼンドが、父の著書『THE POSTMAN OF NAGASAKI』を基に長崎を訪れ、父の足跡を辿りながら、父と原爆被爆者の谷口稜曄が願った平和への思いを紐解いていく姿を映しだす映画です。悪かったのは上映時間が205分で、料金もシニアでも2,000円の「わたしのはなし部落のはなし」というドキュメンタリー作品で、同じような場面が繰り返され時間とお金の無駄だったと思います。
今月は既に連続5日間に6本観ましたが、さっぱり分からなかったのは「シャンタル・アケルマン映画祭」と冠した5本の映画の内の「私、あなた、彼、彼女」です。解説には「アケルマン自身が演じる名もなき若い女がひとり、部屋で家具を動かし手紙を書き・・・」とあったので観た映画でした。
あくまでも個人の感想ですから、良かったと思う作品もあれば悪かったと思う作品もあって当然とは思いますが、良い映画だったと思って、初めて2度目の足を運んだ作品が9月に観た「こちらあみ子」です。
この映画は、芥川賞作家・今村夏子のデビュー作を映画化した作品で、主人公は、広島に暮らす小学5年生のあみ子で、少し風変わりな彼女のあまりにも純粋な行動が、家族や同級生など周囲の人たちを否応なく変えていく過程をあざやかに描き出す(パンフレットより)というものです。主人公のあみ子を演じるのは、応募総数330名のオーディションの中から見出された大沢一奈(おおさわかな)さんですが、きりっとした眼、チョット太い眉、上向き加減の鼻と忘れられなくなる顔立ちです。映画の内容は書きませんが、観終わって少し疑問に思ったのが、お母さんが実母ではないのかなということです。これは「あみ子さん」と「さん」付けで話しかけるところからの想像です。もう一つ確認したいと思ったのが最後の浜辺のシーンで、少し離れたところを行く何艘かの小舟を漕いでいる人の顔です。ぼやけたような顔なのです。そこで観終わってからパンフレットを買いました。母親が継母だとは書いてありませんでしたが、最後の船の人たちはオバケだと分かりました。それは、あみ子がさまざまな霊と交信できると書かれていて、だから「おばけなんかいないさ」と歌っていたのでした。
パンフレットの解説を読んでますますこの映画が好きになりました。DVDが来年2月に発売されると知り、早速ネットで注文しました。3度目を観るのが、今から楽しみです。
ちなみに「こちらあみ子」の「こちら」は、誕生日にお父さんに買ってもらったおもちゃのトランシーバーに向かって話しかけている「応答せよ、応答せよ、こちらあみ子」からのものです。