コレクション

2022.08.23

 富山県水墨美術館で7月15日から9月4日まで、前期と後期に分けて「コレクター福富太郎の眼(め) 昭和のキャバレー王が愛した絵画」展が開催されています。 

      

 この展覧会は、全国でキャバレーチェーンを展開して大成した実業家、福富太郎(1931~2018年)が自らの審美眼だけを頼りに買い求めた絵画を紹介していますが、これにちなんで、7月30日の北日本新聞に、「この沼、深きことかぎりなし」のタイトルで、私へのインタビュー記事が記者の署名記事として掲載されました。

      

 この記事の冒頭には「美術品を集める醍醐味(だいごみ)や作品の楽しみ方は人それぞれということで、アートの「沼」にはまる県内コレクターに、関心を持ったきっかけや収集の魅力を聞いた」と書かれていて、3回シリーズの初回に取り上げられたのです。

      

 この記事を書いたのは生活文化部の女性記者です。当社の玄関にかかっている県内在住の画家能島芳史さんの絵「宇宙船かぼちゃ号・メムリンク星雲」を毎朝出勤時に見ていて、私のことは彼女の知人である能島さんにコレクターとして紹介され、当社のホームページにある代表メールアドレスに取材依頼があったのです。

      

 記事は「棟方志功の板画や浜口陽三の銅版画、現代美術家、李禹煥(リウファン)の抽象画…。応接間の壁にずらりと名品が並ぶ。」で始まり、横書きの「朝日建設社長 林和夫さん(75)」の下に書かれた「楽しむ心 母から子へ」のタイトルが目に入ります。その下の写真には応接室で棟方志功の板画を背にした私の写真、そして縦書きの「いい物が目を養う」のタイトルと会長室で熊谷守一のリトグラフ「猫」をもつサスペンダー姿の私の写真、さらに「目利きの底力感じた 福富太郎展を見て」の欄では竹久夢二の「かごめかごめ」の写真が載っています。

      

 私はこの記事を読んで感心したのは、1時間ちょっとの取材の間にした盛り沢山の話から、女性記者が私という人間を以下の様に生き生きと描写してくれていることです。

      

・「この青、いいでしょう」と指さすのは難波田龍起(なんばたたつおき)の油彩画「聖夜」。深い青を基調とした画面の中に、見つめ合っているかのようにも見える2人の像がうっすらと浮かぶ。「描かれているものが何なのかよく分からなくても自然と想像が膨らむ。眺めているだけで落ち着くね」とほほ笑む。

      

・作品を所有したいと思うようになったのは亡き母、絹子さんの影響が大きい。絹子さんは知る人ぞ知る「目利き」で、(中略)「私が高校2年の時には弟と一緒に学校を休ませて、東京国立近代美術館に連れて行ったことがあった」と笑う。

      

・「母は時折、雑誌の『婦人画報』に載っている絵を切り抜き、額に入れて飾っていた」。印刷された絵画で心を慰める母親の姿が脳裏に焼き付いている。

      

・生前、絹子さんは「いい物を見ていれば、自然と目は養える」と語った。
 母親の「眼」を受け継いだのは、長男で民芸品店「林ショップ」(富山市)を営む悠介さん(42)。林さんは美術品を購入するに当たり、悠介さんに相談することも多い。「母親が生きていたら、どんなに喜んで息子と美術鑑賞を楽しんだことか。隔世遺伝ってこういうことだね」と言う。

      

・母親や息子とは異なり、購入する時に作家名や金額を気にしてしまう“邪念”は拭いきれないが「絵を眺めて楽しめる心は母親譲りだと思う」。

      

 なお、「この沼、深きことかぎりなし」の全体タイトルも彼女が考えたものですが、コレクションについて非常にうまく言い表していると感心しました。

クロスケのこと

2022.07.26

 6月の最終日曜日にほとり座に出かけましたが、ほとり座以外でも3本観ていますので、今月は9回の映画館通いでした。

      

 6月最後の映画はほとり座での「シバ 縄文犬のゆめ」で、ストーリーは、天然記念物柴犬保存会会長の照井さんが、縄文時代に私たちの先祖が狩りの戦友として暮らしを共にしてきた日本犬を理想に掲げ、柴犬をその理想に戻す保存活動に、仲間たちと半世紀にわたって取り組んできたヒューマンドキュメンタリーです。

      

 観終わって、ついつい我が家の柴犬の雑種クロスケと比べてしまいました。2009年9月2日生まれの12歳で、一般的な柴犬の雄の体重は8~11キログラムですが、クロスケは15キロほどもあります。朝の散歩は私、夕方の散歩はもっぱら妻がしますが、クロスケは力が強く、妻は引っ張られて転んだこともありました。クロスケの母親のことは2007年10月号「ガールフレンドができた」に、ハナが産んだ5匹の子犬のことは2009年の9月と10月に「初孫誕生―その1-」、「その2―」として書いていますが、一番やんちゃだったクロスケは残しました。犬を飼う名目が私の健康管理だったので、2匹になるとなおさら健康管理に効果的だという理屈もありました。    

      

 このクロスケ、小さいときはとても臆病で、我が家の近くの介護事業所「あさひホーム吉作」に連れていくと、テーブルの下に潜り込んだのは良いが、前からは出られなくお尻から後ずさりして出てきました。また、側溝を跳び越せず、グレーチングがかけてあってもダメでした。

      

 こんな臆病なクロスケでしたが、その後は何にでも好奇心や攻撃精神が旺盛になり、何を見つけたのかなと思うと、クロスケの目線の先の梨畑には雉や狸がいて、100メートルほど先の丘に狐がいたこともありました。自分の父親である柴犬ダンの飼い主の奥さんが、クロスケの頭をなでようとして右の手首を噛まれて大量出血し、救急病院にお連れして傷口を縫った後1か月ほど妻が毎日被害者の奥さんを車で整形外科に連れて行ったこともありました。奥さんの休業補償も含めた慰謝料を払って解決しましたが、なぜ噛みついたのかいまだに謎です。

      

 また、リードを引っ張ってもなかなかついてこないときは、必ず遠くに犬を連れている人がいます。犬は「鼻で考える動物」といわれ人間の3,000倍から1万倍の嗅覚力を持つと言われていますが、嗅覚なのでしょうね。

      

 母親のハナは今年1月4日に14歳で死にました。死ぬ前の2、3か月はおしっこやウンチを外でしなくなり、玄関に紙パットを敷き詰めていました。散歩もしたがらず、何とか連れ出しても側溝に落ちたり、途中でへたり込んだりして動かなくなるなど、明らかに余命いくばくもない状態になりました。12歳のクロスケは、毎日散歩と食事以外はひたすら寝ているだけですが、今のところは腎臓が少し悪いのと、散歩中に時々右の後ろ脚が震える程度で元気です。

      

 2週間ほど前までは、朝の4時半になると玄関で「キューン、キューン」、「ワォン、ワォン」と吠えるので、玄関横の寝室で寝ている私はたまらずに様子を見に行き叱ったり(効果はありませんが)、下駄箱の上のオルゴールを鳴らしたりしました。これは今年になってからのことです。

      

 映画で見た天然記念物の柴犬たちとは違いますが、クロスケは我が家の大切な一員です。私が喜寿になるまで後2年、願わくは傘寿になるまで後5年は毎朝一緒に散歩をしたいものです。

Facebookに思う

2022.06.27

 長男が毎月第4金曜日に北日本新聞に連載しているエッセー「うれしい出会い、あれこれ」が、今月26日に46回をもって終了しました。同じ日に、当社が昨年の8月から隔月の第4金曜日に掲載を始めた広告も第6回のA部長で終了しました。

      

 長男のエッセーも新聞広告もその日のうちにFacebookに取り上げてきましたが、私がFacebookに投稿する話題は、新型コロナウイルス感染が始まり出す前はほとんどが長男の経営する民芸店「林ショップ」に並んでいる皿や花瓶や雑貨などと店で開催する作家さんの企画展の案内、そして当社が経営する介護事業所「あさひホーム」や「あさひホーム吉作」で私が食事をしたときにスマホで写したホームの様子です。そして新型コロナ感染予防で私がホームでの昼食を禁じられてからは、北日本新聞に掲載を始めた当社の広告でした。

      

 この3つの話題以外は、「林ショップ」で購入した花瓶に妻が庭で積んできた草花を玄関に生けた様子や、「ほとり座」で観て感動し多くの人にも観てもらいたいと思った映画などです。

      

 このように私がFacebookに投稿するのは、ほとんど「林ショップ」か「あさひホーム」のことですが、投稿の目的はひとえに宣伝です。「林ショップ」に関心を持ち店に出かけてほしい、それが売り上げに繋がったらよい、また「あさひホーム」を知ってもらうことでお年寄りの利用につなげたいとの思いです。

      

 Facebook友達の投稿は、もっぱら旅行先や出張先での写真、同窓会での写真、食べて美味しかったという料理の写真、また自分の子供や飼っているペットの写真などです。故人との思い出をつづったお葬式の写真もありました。これらの写真やコメントの中には、土木構築物の写真とその解説や美しい風景などに「へー!」と思うこともありますが、どこそこのラーメンが美味しくて3杯食べたとか、今日のペットの様子ですとか、子供がこんなに大きくなりましたなどと言われても「それがどうした?」と思うことも多々あります。また、文章が長くて読む気がしない投稿も結構たくさんあります。

      

 人それぞれの思いでFacebookに投稿するのですから、自分の感覚に合わなければ読まなければ良いだけです。しかし読んでみなければガッカリしたとか時間の無駄をしたと分かりません。でも一人ひとりの話題の傾向は分かりますので、これからは極力そのような友達の投稿はパスしようと思います。

      

 私の投稿もパスされないように、たまに投稿するときにはシッカリ考え、読み手に心から「いいね」と思ってもらえるように書きたいと思います。