高志の国文学館では良い催しがたびたび企画されますが、9月11日(日)に表題の特別講演会が富山国際会議場で開催されました。「脳と言葉」という講演会で、脳科学者、医学博士、認知科学者の中野信子さんの基調講演と、国文学者であり高志の国文学館館長である中西進先生と中野さんとの記念歓談という構成です。
楽しみに出かけた講演会、メモを取りながら聴きました。
中野さんの講演で印象に残った話は、
・「言葉は噓をつくためにある」それは「虚構を作って皆を団結させる」そして「戦争を起こす」
・文字を読むのが好きな人は選ばれし人。本が100万部出版されたらベストセラーだが、これは日本の人口の1%弱(という選ばれた人)である。
・般若心経や法華経などの経典は美しくつくられている。詩の形で訳した人がいたことは特筆すべきこと。現代は論理で押し、正しいことを言っていれば分かってもらえるはずで、分からない方が悪いとし、美しい言い方をしない。
・空海の文章は繰り返しが多い。「生まれ生まれ生まれ」、「死に死に死に」。先行する刺激が次の刺激の理解を促進する。一度聞いた言葉に対しては反応が早くなり、ふわっとした酩酊感が起こる。
・我々は論理より、美しく分かりやすく短いものを好む。遅くて知的な論理が、必ずしも説得力を持つわけではない。
・約5分と言うが約18分とは言わないのは、5分刻みが切りがいいからで、5本の指を使っているからであり、5と10という指の形に脳が合わされている。人数を数えるのに軍隊では5人の隊の長は伍長。
・顔と名前が分かって自分の仲間だと認知できるのは150人までであり、解剖学的にも言えること。150人以上はよそ者で、よそ者は攻撃しても良いとなる。相手を貶める快感で相手を攻撃する。自分の身を削っても相手の苦しむ顔が見たい。
次に、中西先生と中野さんの記念歓談でメモしたことです。
中西:「額」という字は、「額づく」と「ひたい」と読むが、「ひたい」は「ひたすら」で、脳の小宇宙の中で働き直接認知するという直接の意味があるのではないか。
中野:右脳が芸術的で左脳が論理的という説には根拠がない。芸術的とはどういうことなのか定量的には測れない。前頭前野が芸術的働きをする。前頭前野はまず社会性をつかさどり、自分の欲を先行させない。損得ではなく美しい、醜いで考える。
中西:「美しい」という言葉はまず可愛いという感情。夫が妻に「美しいね」と言うのは可愛いと言っているだけ。「麗しい」が美しいの意味あい。
今回の講演会には1,200人の応募者から800人が抽選で選ばれたが、会場を見ると空席がある。これは麗しくない(会場に笑い)
仏教は絶望からスタート。人間は醜い、そこから立ち上がることが仏教。 中国の儒教は社会学であり、そこには美しい、醜いではなく、善か悪かである。良いか悪いかだけの人とは友達になりたくはない。徳とは真っ直ぐな心であり、美しい心ではない。
中野:月を見て美しいと思うのは千年前と同じ。しかし、美女を見て美しいというとき、千年前とは基準が変わっている。
地域や情勢によって善が変わる。戦争で人を殺すことは善。それに対応して善悪の基準が変わるように脳が設計されている。
中西:善とは羊のスープの意味で良いもの。人間の認知の仕方として善と美は同じと考える。
中野:善と美は同じ機能だろう。カントの真善美の哲学で真だけが浮いている。真には価値がないのではないか。脳には真をジャッジするところがない。真そのものが実態が確かめられない虚構である。脳科学的には、個人的には真はいらない。真は統治のための思考装置である。日本人は真よりも和を大事にする。真など必要ない。
中西:仏教の世界の三千世界など嘘。
中野:前世も後世も誰も知らないが、あると便利。
歓談の最後は、スクリーンに映し出された二つの和歌
「春の苑紅にほふ桃の花 下照る道に出で立つ少女」
「之乎路から直越え来れば 羽咋の海朝凪ぎしたり 船梶もがも」
について、中西先生は最初の歌は、文字の線を見ただけで情景が浮かんでくる。5感を包むアートであると話され、中野さんは二つ目の歌について、「来れば」の「ば」に、何とかすると何とかだという因果関係の処理をしていると話されました。国文学者と脳科学者らしいコメントだと思いました。
文系の私にとって、良い時間を過ごすことが出来ました。
富山県水墨美術館で7月15日から9月4日まで、前期と後期に分けて「コレクター福富太郎の眼(め) 昭和のキャバレー王が愛した絵画」展が開催されています。
この展覧会は、全国でキャバレーチェーンを展開して大成した実業家、福富太郎(1931~2018年)が自らの審美眼だけを頼りに買い求めた絵画を紹介していますが、これにちなんで、7月30日の北日本新聞に、「この沼、深きことかぎりなし」のタイトルで、私へのインタビュー記事が記者の署名記事として掲載されました。
この記事の冒頭には「美術品を集める醍醐味(だいごみ)や作品の楽しみ方は人それぞれということで、アートの「沼」にはまる県内コレクターに、関心を持ったきっかけや収集の魅力を聞いた」と書かれていて、3回シリーズの初回に取り上げられたのです。
この記事を書いたのは生活文化部の女性記者です。当社の玄関にかかっている県内在住の画家能島芳史さんの絵「宇宙船かぼちゃ号・メムリンク星雲」を毎朝出勤時に見ていて、私のことは彼女の知人である能島さんにコレクターとして紹介され、当社のホームページにある代表メールアドレスに取材依頼があったのです。
記事は「棟方志功の板画や浜口陽三の銅版画、現代美術家、李禹煥(リウファン)の抽象画…。応接間の壁にずらりと名品が並ぶ。」で始まり、横書きの「朝日建設社長 林和夫さん(75)」の下に書かれた「楽しむ心 母から子へ」のタイトルが目に入ります。その下の写真には応接室で棟方志功の板画を背にした私の写真、そして縦書きの「いい物が目を養う」のタイトルと会長室で熊谷守一のリトグラフ「猫」をもつサスペンダー姿の私の写真、さらに「目利きの底力感じた 福富太郎展を見て」の欄では竹久夢二の「かごめかごめ」の写真が載っています。
私はこの記事を読んで感心したのは、1時間ちょっとの取材の間にした盛り沢山の話から、女性記者が私という人間を以下の様に生き生きと描写してくれていることです。
・「この青、いいでしょう」と指さすのは難波田龍起(なんばたたつおき)の油彩画「聖夜」。深い青を基調とした画面の中に、見つめ合っているかのようにも見える2人の像がうっすらと浮かぶ。「描かれているものが何なのかよく分からなくても自然と想像が膨らむ。眺めているだけで落ち着くね」とほほ笑む。
・作品を所有したいと思うようになったのは亡き母、絹子さんの影響が大きい。絹子さんは知る人ぞ知る「目利き」で、(中略)「私が高校2年の時には弟と一緒に学校を休ませて、東京国立近代美術館に連れて行ったことがあった」と笑う。
・「母は時折、雑誌の『婦人画報』に載っている絵を切り抜き、額に入れて飾っていた」。印刷された絵画で心を慰める母親の姿が脳裏に焼き付いている。
・生前、絹子さんは「いい物を見ていれば、自然と目は養える」と語った。
母親の「眼」を受け継いだのは、長男で民芸品店「林ショップ」(富山市)を営む悠介さん(42)。林さんは美術品を購入するに当たり、悠介さんに相談することも多い。「母親が生きていたら、どんなに喜んで息子と美術鑑賞を楽しんだことか。隔世遺伝ってこういうことだね」と言う。
・母親や息子とは異なり、購入する時に作家名や金額を気にしてしまう“邪念”は拭いきれないが「絵を眺めて楽しめる心は母親譲りだと思う」。
なお、「この沼、深きことかぎりなし」の全体タイトルも彼女が考えたものですが、コレクションについて非常にうまく言い表していると感心しました。
6月の最終日曜日にほとり座に出かけましたが、ほとり座以外でも3本観ていますので、今月は9回の映画館通いでした。
6月最後の映画はほとり座での「シバ 縄文犬のゆめ」で、ストーリーは、天然記念物柴犬保存会会長の照井さんが、縄文時代に私たちの先祖が狩りの戦友として暮らしを共にしてきた日本犬を理想に掲げ、柴犬をその理想に戻す保存活動に、仲間たちと半世紀にわたって取り組んできたヒューマンドキュメンタリーです。
観終わって、ついつい我が家の柴犬の雑種クロスケと比べてしまいました。2009年9月2日生まれの12歳で、一般的な柴犬の雄の体重は8~11キログラムですが、クロスケは15キロほどもあります。朝の散歩は私、夕方の散歩はもっぱら妻がしますが、クロスケは力が強く、妻は引っ張られて転んだこともありました。クロスケの母親のことは2007年10月号「ガールフレンドができた」に、ハナが産んだ5匹の子犬のことは2009年の9月と10月に「初孫誕生―その1-」、「その2―」として書いていますが、一番やんちゃだったクロスケは残しました。犬を飼う名目が私の健康管理だったので、2匹になるとなおさら健康管理に効果的だという理屈もありました。
このクロスケ、小さいときはとても臆病で、我が家の近くの介護事業所「あさひホーム吉作」に連れていくと、テーブルの下に潜り込んだのは良いが、前からは出られなくお尻から後ずさりして出てきました。また、側溝を跳び越せず、グレーチングがかけてあってもダメでした。
こんな臆病なクロスケでしたが、その後は何にでも好奇心や攻撃精神が旺盛になり、何を見つけたのかなと思うと、クロスケの目線の先の梨畑には雉や狸がいて、100メートルほど先の丘に狐がいたこともありました。自分の父親である柴犬ダンの飼い主の奥さんが、クロスケの頭をなでようとして右の手首を噛まれて大量出血し、救急病院にお連れして傷口を縫った後1か月ほど妻が毎日被害者の奥さんを車で整形外科に連れて行ったこともありました。奥さんの休業補償も含めた慰謝料を払って解決しましたが、なぜ噛みついたのかいまだに謎です。
また、リードを引っ張ってもなかなかついてこないときは、必ず遠くに犬を連れている人がいます。犬は「鼻で考える動物」といわれ人間の3,000倍から1万倍の嗅覚力を持つと言われていますが、嗅覚なのでしょうね。
母親のハナは今年1月4日に14歳で死にました。死ぬ前の2、3か月はおしっこやウンチを外でしなくなり、玄関に紙パットを敷き詰めていました。散歩もしたがらず、何とか連れ出しても側溝に落ちたり、途中でへたり込んだりして動かなくなるなど、明らかに余命いくばくもない状態になりました。12歳のクロスケは、毎日散歩と食事以外はひたすら寝ているだけですが、今のところは腎臓が少し悪いのと、散歩中に時々右の後ろ脚が震える程度で元気です。
2週間ほど前までは、朝の4時半になると玄関で「キューン、キューン」、「ワォン、ワォン」と吠えるので、玄関横の寝室で寝ている私はたまらずに様子を見に行き叱ったり(効果はありませんが)、下駄箱の上のオルゴールを鳴らしたりしました。これは今年になってからのことです。
映画で見た天然記念物の柴犬たちとは違いますが、クロスケは我が家の大切な一員です。私が喜寿になるまで後2年、願わくは傘寿になるまで後5年は毎朝一緒に散歩をしたいものです。