自宅に来ていた初孫のY(4歳7か月)が、私が新聞を読みながらカッターで記事を切り抜いているのを見て、「じいちゃん、どうして切り抜いてるの?」と聞いてきました。とっさには答えられず、社員に対して常々「仕事をするときには、その仕事の目的は何かを考えることが大事」と言っていた手前、私は「さて、なんで切り抜いているのかな?」と考えてしまいました。
よく切り抜く記事は、富山新聞の1面のコラム「時鐘」、記者が交代で書いている「紙風船」や矢口誠(翻訳家)さんが紹介する「きょうの言葉」、そして「時鐘」の筆者の一人の小倉さんが毎週金曜日に書いている「小倉さんの時鐘30年こぼれ話」や外交ジャーナリストの手嶋龍一さん、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さん、参院議員・作家の青山繁晴さん、政治評論家の筆坂秀世さん、私と高校同期生の昭和女子大学総長の坂東眞理子さん、国際政治学者の三浦瑠麗さんなど多彩な筆者による「北風抄」、そして日経新聞では1面のコラム「春秋」と政治、経済、国際、文化などの最新情報です。北日本新聞では毎月第4金曜日に掲載される私の長男のブログ「うれしい出会い、あれこれ」と、以前は「時鐘」や「春秋」に比べてレベルが低く読む気がしなかったのに去年から見違えるようによくなったコラム「天地人」です。
切り抜く記事は「いい話題だな!」と思ったコラムや「きょうの言葉」、こんな文章を書きたいものだと思う、私と同い年の小倉さんの「小倉さんの時鐘30年こぼれ話」、多方面にわたる知識や見方を知ることが出来る「北風抄」、そして政治や経済、文化などの最新情報です。それらの記事は読み返すこともあるだろうと、コラムや「きょうの言葉」などの小さい記事はクリップで止めて、私の席の後ろのスチール戸棚につけているマグネットフックに引っ掛け、大きめの記事はスキャンしてパソコンにフォルダー分けして入れています。となれば、切り抜く目的は読み返して知識や感動を再現できるようにしておくということになりそうです。でも現実は読み返すことはほぼありません。そこでゆきの質問をきっかけに、少しでも記憶に定着させるよう読み返してからクリップに止めスキャンするようになりました。
では、なぜ記事を通して知識を得ようとするのでしょうか。アイバックの小沢社長からずいぶん以前に、英語のphilosophy(フィロソフィー:哲学)は「知ること(sophy)を愛する(philo)」すなわち「よりよく生きるためには、よりよく知らなければいけない」から生まれている、また英語の知る(know)と名前(name)は方向を示す日時計の指示針gnomon(ノモン)から生まれた兄弟の言葉だと教わりました。時刻を知るには「正午」「noon」とか「4時」「four o’clock」という名前が必要だからです。名前を知らなければ、新聞も本も読めません。試験問題も意味が分からなければ合格は最初から無理です。
「最近の若い者は」と言いたくはありませんが、若者に「本や新聞を読んでいますか」と尋ねても、ほぼ「読んでいません」の返事ですし言葉も知りません。こう言う私も、知らない言葉にいまだに出会います。先日は朝日新聞の「天声人語」で、「アフガニスタンでのタリバンによる死者が17万人を数え、うち市民の犠牲が4万人を超え無辜(むこ)の犠牲者がさらなるテロを招く」とあり、無辜という言葉を知りました。私は自宅の食卓と会社の机の引き出しに電子辞書を置いていますので、即調べたところ(「辜」は罪の意)罪のないこと、また、その人。「―の民」とありました。
これからも、せっせと新聞記事を切り抜き、よりよく生きるための糧としていきましょう。
7月10日の土曜日に、高志の国文学館でこの日から開催された企画展“「まど・みちおのうちゅう~「ぞうさん」の詩人からの手紙”の開会式に出席し、その後、コロナ禍のため学芸員の案内無しで会場を見て回りました。おそらく入場者の中では一番長く1時間半ちかくかけて回りましたが、学芸員の案内で回ったらこんなにゆっくりとは回れなかったことでしょう。
まど・みちおさんについては、「ぞうさん」「やぎさん ゆうびん」「一ねんせいになったら」などの童謡を、ほとんどの社員のみなさんは知っているか歌ったことがあると思います。私は、NHKのみんなのうたで歌われた「むかし なきむし かみさまが あさやけ みて ないて ゆうやけ みて ないて」で始まる「ドロップスの うた」がお気に入りですが、この歌もまどさんです。まどさんをさらに好きになったのが、2014年に、中部地方整備局の企画部長時代からの知り合いで当時北陸地方整備局局長だった野田さんからメールで紹介された3篇の詩のひとつにあった、まどさんの「朝がくると」でした。「朝がくると とび起きてぼくが作ったものでもない 水道で 顔をあらうと(中略)ぼくが作ったものでもない道路を ぼくが作ったものでもない学校へと ああ なんのために いまに おとなになったら ぼくだって ぼくだって なにかを 作ることが できるように なるために」と、水道、道路、学校とインフラが登場し、おとなになったら洋服、ごはん、本やノート、ランドセル、靴、そして水道、道路、学校など何かを作ることができるようになるために学校に出かけて勉強すると言っています。土木を学ぶ意味もそこに語られていると思いましたが、野田さんの注釈に、もともと(台湾では)土木技師でしたとあり、納得でした。
会場のエントランスでの最初が「まどさんの詩のとびら」コーナーです。6枚のパネルには、開くと出てくる動物や植物の詩を抽象的に表した絵が描かれた四角や丸、三角の窓が取り付けてあり、取っ手を引いて窓を開けると動物の詩が書かれています。最初はシマウマで詩は「シマウマ 手製のおりに はいっている」でした。他の5枚も読むとニコッとしてしまいます。ぜひ観に行ってまどさんの世界で遊んでください。またこのコーナーには「まどさんからの手紙」という、詩が書かれたパネルが天井から下がっていますが、写真を撮った詩が「おじいちゃんの はげ頭」「するめ」そして「そうしき」でした。
次のコーナー「上皇后陛下美智子さまの英訳とご朗読」では、「まど・みちおの詩を世界に送り出すー上皇后陛下美智子さまとまど・みちおー」というパネルに、美智子さまが選定し英訳された詩が、まどさんの東洋人初の国際アンデルセン賞・作家賞受賞として実を結んだと記されていて、美智子さまが英訳されたまどさんの詩「リンゴ」をご自身が日本語と英語で朗読されているビデオが上映されていました。とてもお優しい語りでした。
企画展示室は、第1章 まど・みちおの生涯、第2章 まど・みちおの絵画(絵も描いていたとは知りませんでした)、第3まど・みちおの詩と童謡です。第1章には国際アンデルセン賞の授賞式でのビデオスピーチ、第2章には「104歳の軌跡」と「まど・みちお 詩と絵の世界」が上映されていましたがどれも興味深く観ました。
翌日の日曜日には、まどさんの詩集を10冊以上手掛けた編集者の市河紀子氏の記念講演「まどさん、まどしてる」を聴きました。まどさんは5~9歳の間、台湾に移った家族と離れて祖父と2人で暮らしたが「独りぼっちの時間を幸せだと思った性質と運命がまどさんを形作った」という話や、担当した詩集「ぼくがここに」は、当初まどさんは「だじゃれはだれじゃ」にしようと言ったという話から、まどさんのことを少し深く知ったように思いました。
今回、高志の国文学館で買ったまどさんの本は、分厚い「まど・みちお全詩集」や孫に読んでやるための4冊の童話など8冊ですが、新しい詩に出会うことや孫の反応が楽しみです。
私は毎朝犬の散歩をしながらNHKラジオ第一(R1)をイヤホーンで聞いていますが、先日、東京都調布市での新型コロナウイルスワクチンの集団接種のニュースを聞いてびっくりしました。
高齢者が集団接種をするときに、本人が各ブースへ動くのではなく、その場で接種から副反応確認まで行うことで、それまでの1日50人から4倍以上の人に接種ができるようになったというものです。帰宅してから、詳細を確認しようとネットで検索したところ、以下の記事を見つけました。
「高齢者(被接種者)が、受付、予診、接種、経過観察(副反応確認)をするにあたり、高齢者が各スペース(ブース)へ動くのではなく、接種する医師に動いていただくことで、その場で接種から副反応確認まで可能となり、安全・安心な接種体制を構築することはもとより、効率的な接種が可能となる」と記されていて、図解もされていました。ポイントは「被接種者(高齢者)に動いていただくことなく、接種する医師に動いていただく方式とする」ということですが、これは「逆転の発想」だと思いました。そして国が示す会場設営イメージに対して、調布市での会場設営イメージという図解を見て、国から県、県から市、市から町村へと指示・命令が下りてくるという上意下達に異を唱えた勇気ある対応だと感心しました。
仕事においても、上司からの指示をその目的を考えることなく前例踏襲で行いがちです。その方が楽なのです。しかしそれでは進歩がありません。突飛なアイデア、奇想天外な発想が進歩につながります。
当社では5月から「ビジョン2024」策定プロジェクトが動き出しました。昨日2回目のプロジェクト会議にちょっと顔を出したら新規事業について話し合っていましたが、逆転の発想、奇想天外な発想、あっと驚くような発想で新規事業を考えてほしいと思いました。7月7日の中間発表会でどんな新規事業が発表されるか、今から楽しみです。