私は来年の1月2日に満75歳になり、いよいよ後期高齢者の仲間入りをします。私が富山支部の世話人代表(支部長のようなもの)を務めている「新老人の会」は、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生が、75歳以上を後期高齢者と呼ぶことに対して異議を唱え、75歳以上の人を「新老人」という名称でシニア会員、65歳以上の前期高齢者の人をジュニア会員として2000年9月に設立されました。私が誘われて「新老人の会」富山支部に入会したのは2009年62歳の時でしたが、世話人代表にさせられたおかげで当時98歳であった日野原先生に直接お会いする機会が出来ました。先生は105歳で亡くなられましたが、その間、背中は曲がっても頭脳明晰で理路整然とした話しぶり、体を前後左右に揺らしながら楽しそうに合唱の指揮をとる姿、ユーモアを交えた講演などにじかに触れることが出来たことは、かけがえのない経験でした。また、富山支部や全国の70代、80代の会員の方々と知り合いになり、「亀の甲より年の劫(こう)」ではありませんが、しっかりした意見を持ち堂々と発言される姿に感心したことも度々ありました。ようやく後期高齢者の仲間入りができたので、これまでお会いしてきた元気な「新老人」に負けないように元気で生きていこうとの思いを新たにしています。この思いから最近は「私は今74歳ですが、93歳で迎える当社創業100周年記念式典でのあいさつを今から考えています」とあちこちで言っています。
さて、私は60歳代から腰が曲がり気味でしたが、ここ3年曲がり方がひどくなり、歩くときは臀部に痛みを感じています。整形外科に通い、整体や鍼灸院にも通いましたがはかばかしくありません。今は、通販で買ったオムロンの電気治療器に望みを託しています。しかし今のところ生活習慣病健診でもほとんどの項目が「異常なし」で、「要経過観察」が身体計測(肥満)、「治療中」が血圧と肝機能でした。脳ドックの検査も脳梗塞・心筋梗塞発症リスクは「低」でした。これで安心しているわけではありませんが、365日ほぼ毎日、家でも外でも多種多様なお酒と料理を楽しんでいます。72㎏を切ることを目標に毎朝測っている体重は、コロナ禍のせいにしているのですが、このところ74㎏超が続いています。年末年始のご馳走と酒を少し控えようかと、この原稿を書きながら思っています(無理だろうなぁ)。
さて、当社の初代社長である私の祖父林銀蔵は、1940年の創業から亡くなる1966年まで26年間、二代目社長の私の父林俊郎は1966年から70歳の1991年3月末まで25年間社長を務めました。父は60歳代後半に大病を患ったことから70歳を機に社長を退くと決めたようです。私が社長に就任したのは1991年4月で44歳でしたから今年3月で30年経ち、社長歴は祖父と父を超えました。この30年間、そして28歳で入社してからの46年間を振り返ると、かっこよく言えばチャレンジの連続で、コンピュータを始め新しい機械や新しい制度をたくさん取り入れてきました。思いもかけぬ事件に遭遇した時も、先頭に立って解決してきました。
私も腹の中では社長を退く年齢をほぼ決めていますので、75歳を機にこれまで以上に副社長、専務、本部長などの幹部社員に権限を委譲していこうと思います。しかし好奇心が旺盛で新しもの好きという私の性格は変えられません。変わったら私が私でなくなります。
最近ますます尊敬の念を深くしている中村天風師の言葉に「人生で最も大切なことは、何をおいても自分の心に積極性を失ってはならないということである。」(「中村天風さんの最近のツイート」から)があります。好奇心も新しもの好きも積極性の一面だと思いますので、私が何か新しいことを言い出したら、私がまだ元気な証拠だと思ってください。
9月のコラム“「玉磨かざれば光なし」と言うけれど”では、「SDGs宣言して社外に情報発信していない企業は、採用活動において最初から負けたも同然だと思います。ですからSDGsの目的は前述の通り当社の課題をあぶりだし、解決に向かって行動したり今後の成長分野への参入を考えたりすることですが、SDGsを採用の手段にしない手はありません。」として、最後に「今日、全ての企業の最重要課題は採用であると言っても過言ではありません。(中略)私が尊敬する中村天風師は『百歩譲って、いくら磨いても玉にならないとしてもだよ、磨かない玉よりはよくなるぜ。ここいらが非常に味のあるところじゃないか。』と言っています。宝石の原石ではなく普通の石であっても、先ずは手にして磨きましょう。」でした。
こうしてコラムでも書くくらいに、最近の私の頭の中は採用で一杯で、このコラム「私は白鳥」も採用つながりの内容です。
10月のはじめにチューリップテレビから、11月9日に総曲輪のほとり座で行うチューリップテレビが開局30周年でTBSと共に企画制作した映画「私は白鳥」一般向け試写会への協賛企画が持ち込まれました。この概要はチューリップテレビの番組の中で「朝日建設presents」と読み上げる試写会告知用CMを20本放送し抽選でペア40組80名を招待する、当選ハガキ・落選ハガキには当社の広告を掲載する、来場者にチラシなどサンプリングを実施し、上映前に司会のアナウンサーが当社を紹介するというものです。
提案を聞いた私の頭の中では、ほとり座は毎月2~3本は映画を観ているお気に入りの映画館であり、それなりに料金はかかるものの当社だけの提供ということなので、CMを見た人や試写会に来た人に当社を知ってもらう良い機会になるだろうとの思いがかけ巡り、「しましょう」と即答しました。
映画は、越冬のために富山市の田尻池に飛来してきたものの翼が折れ、シベリアに帰れなくなった白鳥と、その1羽に自分を投影しながら世話を続けた“おじさん”こと澤江弘一さんの4年間を追ったドキュメンタリーです。
さて11月9日の試写会に私も知人と観に行き、受付でチューリップテレビの担当者に当社の会社案内とトミカの建設機械(ブルドーザー、バックホウ、グレーダーなど8種類)を入れた会社の封筒40枚を渡したところ、上映前のアナウンサーからの紹介の後、私もステージ前で一言話してほしいとの依頼です。アナウンサーからの紹介文は「朝日建設は1940年、昭和15年10月に創業し、先月創業81周年を迎えました。1946年、昭和21年以来、土木舗装工事をメインに電気設備工事も行い、戦後の富山市の復興そして成長発展に寄与してきました。当社の経営理念『建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる。』のもと、一昨年、水道工事事業にも進出し、災害時には土木舗装、電気、水道の復旧にワンストップで対応できる体制を整えました。2040年の創業100周年に向け、現在3ヶ年中期経営計画を着実に進めています。」として渡してありこれ以上何を話そうかと思いました。しかしこれも当社を知ってもらう良い機会だと捉え、予告編が上映されている30分ほどの間に考えて次のように話しました。
「今は建設業に限らずどんな産業でも採用が最重要課題になっています。そこで今日の試写会でこの映画を提供し、当社の宣伝をしようと思いました。皆さんにトミカの建設機械をお配りしたのもその思いからです。3K6Kと言われ敬遠されがちな建設業ですが、建設業とりわけ当社が携わる土木事業は英語ではシビルエンジニアリングと言い、シビルはシビリゼーション、文明に通じ、文明をつくる重要な産業です。当社に限らず土木工事業者は皆そんな使命感を持って日々仕事をしていますので、温かい目で我々を見ていって下さい」
そしていよいよ映画が始まりました。映画の中で、タイトルの「私は白鳥」は白鳥たちの美しさの虜になり、ビデオカメラでその姿を記録し続けてきた澤江さんの「心の隙間がどういうわけか白鳥の形をしていたようで。」「私は人間の形をしてますが、自分は白鳥だと思ってます。」「白鳥が白鳥の世話をしているだけなんです。」の言葉から名付けられたと知り、こんなにも純粋な心を持った57歳の男性がこの富山に実在することに感動しました。20日から先行上映されていて12月9日まで上映しています。社員割引きもしていますので、ぜひご家族でご覧ください。
追記。映画が始まる前に、私の近くに座っていた男性が会社の封筒から取り出したバックホウを眺めていたので、すかさず「朝日建設の社長です」と挨拶しPRに努めました。
先月のこのコラム“「玉磨かざれば光なし」と言うけれど”で、最後の方に「今や小学校でも取り組んでいるSDGsです。SDGs宣言して社外に情報発信していない企業は、採用活動において最初から負けたも同然だと思います。ですからSDGsの目的は前述の通り当社の課題をあぶりだし、解決に向かって行動したり今後の成長分野への参入を考えたりすることですが、SDGsを採用の手段にしない手はありません。
今日、全ての企業の最重要課題は採用であると言っても過言ではありません。」と書きました。採用に向かってのさらなる行動が、今回のコラムの内容です。
まず映画の試写会への協賛です。数々の賞を受賞したチューリップテレビ制作のドキュメンタリー番組「私は白鳥」がこの度映画化され、全国上映に先がけて富山市総曲輪のほとり座で11月20日(土)から先行上映されることになりました。その一般向け試写会が11月9日(火)にほとり座で行われるにあたり当社1社だけが協賛するものです。
協賛することで、①試写会告知用CMを20本放送し、告知画面とともに「朝日建設presents」と読み上げます。これは既に始まっていて、あさひホームの職員や総務部の社員から「見ました」と言われ、妻も17日の日曜日の朝「テレビから朝日建設と聞こえたので画面を見たら会社のロゴと社名が出てた」と言いました。②試写会の当選ハガキと落選ハガキに当社の広告が掲載されます。③来場者にチラシなどサンプリングを実施できるので、当社では採用案内のチラシとトミカの重機を渡します。④上映前に当社のPR時間が用意され、司会のアナウンサーが当社を紹介します。
そして5番目がチューリップテレビでのコマーシャル20本の放送で、6:00から26:00の間でランダムに放送されます。テレビコマーシャルは1本15秒で、「100年カウント篇」と「笑顔を照らす朝日建設」篇の2本を作り、2本続けて30秒間流します。ただ今打合せ中ですが、10月19日現在それぞれに登場する出演者7名が決まりました。
さて、この度のチューリップテレビの企画の提案は、チューリップテレビの山野社長から県民会館で開催するチューリップテレビ開局30周年記念“間寛平芸能生活50周年+1記念ツアー「いくつになってもあまえんぼう」”の案内メールがあったので申し込んだチケットを山野社長自身が9月8日に会社に届けに来られたときでした。山野社長とは富山経済同友会の事務局に山野さんがインテックから出向していた2003年からの知り合いで、バンドでアルトサックスを吹きイベント案内を軽妙な文面でメールしてくる楽しいキャラクターの人で、8年前からチューリップテレビの社長です。今回間寛平のチケットを届けに来られた時に同行してきた若者はチューリップテレビの営業部社員で、なぜ社長と一緒にやってきたのかと思っていたら前述の試写会協賛企画を提案したのでした。山野社長が北日本新聞に出した当社の選択定年制の広告を見て、テレビコマーシャル出してもらえるかもしれないと直感(?)してこの社員を同行されたのでした。
私は、6月24日の午前中におこなわれた令和2年度大雪対応支援感謝状贈呈式の終了後NHKテレビから受けた私のインタビューの様子が、その日の昼と夕方のニュースで流され、その直後から多くの人から「見ました」と言われメールや手紙ももらい、その後も8月ころまで朝の犬の散歩時に梨農家の方から「社長さん、テレビ見ましたよ」と言われたことで、映像の印象は長く残るものだと思ったのでした。そこでこのテレビコマーシャルの提案を聞きながら、当社の社名が見た人の印象に残り、後々まで採用のきっかけづくりに使えるだろうだろうと思い、出すことを即答しました。
今回の映画の協賛やテレビコマーシャルにいたった流れを振り返ると、いろんな人とのつながりの中で仕事が進んでいくと思い、人生はだから面白いと感じました。