2016年から富山大学経済学部で、富山新聞文化センターの寄付講座「現場の経営学:地域企業の経営者から学ぶ」の講師を務めています。昨年は、新型コロナウイルス感染を避けることから、一昨年の私の講義の録画を観てもらいましたが、今年は4月21日(水)に、今年の寄付講座のトップバッターとして、経済学部と人文学部の2~4年生81人に対してオンラインで講義を行いました。
講義のタイトルは、昨年まではずっと「私の経営観」でしたが、今年は「経営者として46年」としました。私が当社に入って46年たち、今年から新たな気持ちで2040年の創業100周年に向かおうという思いから、このタイトルをつけたのです。
スライドの内容はこれまでとほとんど一緒ですが、個人も企業も「目的を明確にすることが大切である」ということを強くアピールできるように順番を設定し、講義でコメントをしました。
最初に私の経歴を紹介した後、本題に入り、「アンパンマンマーチ」の歌詞の「何の為に生まれて何をして生きるのか」が、作者のやなせたかしさんの弟が特攻隊員として戦死したことから生まれた歌詞であると話し、生きる目的は何かと問いかけました。次の中村天風師の言葉「ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものはない。」では、ばい菌でもこの世に出てくる目的があるのなら、我々人間には生まれてきた目的があるはずだと進め、植物人間状態だった母を病院に見舞ったときに私が発した言葉「こんなになって、なんで生きているのかな?」に対する看護婦さんの言葉「人間が生きているのには、必ず意味があります」を挙げ、生きる目的、生きる意味を考えようと展開しました。
次に「働くという字は漢字ではなく、端・楽であり、端、周りの人を楽にする、即ち、他人の役に立つ、世の中の役に立つという意味の和字、国字です」と解説し、再び中村天風師の言葉「この世、この時人間に生まれてきたのは、人の世の役に立つために生まれてきたんだよ。」を紹介した後、イギリスの天文学者ハーシェルが言った「I wish to leave this world better than I was born.」を映して、「われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして往こうではないか」という訳を説明し、英語の土木Civil engineeringと社会資本Infrastructureの言葉の意味を説明しました。そこから1920年から10年間かけて台湾で烏山頭ダムを建設した石川県出身の八田與一技師の業績に話を進め、台湾で聞いた「飲水資源」、水を飲む者は、その源に思いを致せという故事成句を紹介した後に、モンゴル出身の大相撲力士が日本に来て、蛇口をひねれば水が出ることに驚いたという新聞記事を映し、さらに私が取材を受けた2010年の北日本新聞の記事「新経済人」での冒頭の私の言葉「建設業は人の生活基盤を支える仕事。人の役に立つという意味で、介護の仕事と同じ」を映し、当社は土木工事をメインとして世の中の役に立とう目的、富山をより良くしていこうという目的を持つ会社であると語りかけました。
その後は、会社の概要や工事実績へとスライドを進め、近年に災害対応で出動した自然災害の一覧表の後に、私の親友の土木技術者が彼の講演で語った「みんなの日常生活を支え、気付かれないのが土木の価値。でも、土木なくしては誰も生きてはいけない」という言葉を紹介しました。そして、何のために企業経営をするのかという経営の目的を明文化し経営理念を映し出しました。「建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ」という経営理念を実現するための戦略として、工事部ではODSC(目的、成果物、成功基準)を明確にしCZ(クッション・ゼロ)式原価管理で施工していること、「人は経費ではなく成長する資源と考える」という経営理念を実現するための戦略として人材育成を経営方針に掲げ、その戦術、戦術として適切な人事評価、適材適所の人事、人材開発体系の構築などを行っていると説明しました。さらにこれまでの女性技術者採用の歴史を年表で映し出し、Tさんと、昨年退職したSさんのインタビュー記事も見せました。
そして終盤では、2000年から今年までの売上と利益の推移を説明した後、2016年から策定を始めた中期経営計画・ビジョンの解説をしました。VISION2021では「3C」(Chance、Challenge、Change)を説明し、私が入社以来これまでに行ってきた多くのチャレンジの事例を紹介しました。そして、吉田松陰の言葉「夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。」を踏まえて、私の夢は2040年の朝日建設100周年パーティーに、2017年1月に生まれた初孫の「ゆき」に振袖を着せて出席し、立派なスピーチをすること、理想は朝日建設がしっかり存続していて、今よりも立派な会社として世の中の役に立っていること、計画は3年ごとの中期経営計画を繰り返して、2039年(創業99周年)に至ること、実行は毎年確実に中期経営計画を進めることであると締めましたが、最後のスライドで「袖振り合うも他生の縁」という言葉を紹介して、今日の講義はオンライン上であっても、皆さんと繋がることができたのは、前世からの縁だと思っていると話して、講義を終えました。
講義の翌週に、受講した学生の感想文が送られてきましたが、私がスライドで紹介した数々の言葉や説明した内容のそれぞれにしっかり反応してくれ、働く意義や土木の大切さに気づいたとか、有意義な時間になったという感謝の気持ちなどが述べられていました。その中で印象に残っているのが、「感動したのは林先生が授業の最後に言われた『今日は楽しかったので、帰って女房のおいしいごはんを食べます。楽しかった、ありがとう』という言葉だ。システムがうまく行かずに出遅れたご講義だったが、このように最後は満足して感謝と家族を大切にしておられる様子が伝わってきて、なんて素敵な方なのだろうと思った。私も一つひとつのことに感謝し、有意義に時間を使えるようになりたい。」と、「経営理念の中にあったフレーズとして『ふるさと富山を発展させる』とあったが、これに対して林社長自らが『とやまはいいよね、海や山がきれいで、食べ物もおいしい』と、漏らすように説明していただきました。もともといいものをより進化させてもっと多くの人に知ってもらおうとする姿勢が会社の経営理念につながっているのだろうと感じた。」です。リアルの講義だと、「居眠りしてるな」とか「質問しても手を挙げないな」などと考えたりしますが、オンラインの講義ではそれがなくて実際に楽しくやれたから出た言葉であり、また、水や空気そして魚や日本酒から富山県は一番だと常々思っているので出てきた言葉でした。
感想文の中に、経済学部6人と人文学部4人が質問を書いていましたので、延べ3日間かけて丁寧に回答しました。回答する中で、今後の経営に活かそうと思ったこともあり、講義をしてよかったと改めて思っています。
今年2月の第2週に、10年ぶりに税務調査を受けましたが、2日間と半日弱の調査を終え「しっかり経理されています」とお褒めの言葉をいただきました。そこで、毎月一度来社し、経理伝票のチェックやアドバイスをしてくださる担当の税理士さんと、この税理士さんが働く税理士事務所の所長さん、そして今回の税務調査に立ち合ってくださった税理士さんがたと一席設け懇談しました。
その席で、私が朝乃山富山後援会の副会長を務めていることを知っている担当税理士さんが、「来月始まる大相撲春場所で、朝乃山の取組みに朝日建設の懸賞金をかけたらどうですか。寄付金として損金にも参入されることだし」と言うのです。その言葉に、レモンイエローの「朝日建設」の懸賞旗を作り、朝乃山の取組みに限って懸賞金をかければ、テレビに映された当社の懸賞旗を観た富山県の人は、富山市の朝日建設だとすぐにわかるだろうし、前期と同様この6月も好決算が予想されるので節税にもなり良いなあと思いました。このやりとりを聞いていた所長さんは、「林さんが出されるなら、私も個人で『ありがとう村』の懸賞を出しますよ」と、とんとん拍子に話が決まり、翌日には後援会理事長に連絡し、後援会経由で懸賞金を2本出すことにしました。レモンイエローの懸賞旗が2本揃って土俵上を回れば、インパクトが強いと思ったのです。懸賞金は1本7万円なので、15日間で30本かけると210万円になりますが、宣伝と節税になるのだから良いだろうと思いながら、ネットで調べた東京の染物屋さんと打ち合わせして懸賞旗を発注しました。そして日本相撲協会に210万円の振り込みを済ませ、3月14日の大相撲春場所初日を心待ちしたのです。
朝乃山の成績は皆さんご承知の通り、千秋楽に同じ大関の正代に勝って、何とか大関の責任の10勝に届きました。しかし、NHKテレビの実況中継を毎日目を凝らして観ていましたが、初日は、出番を花道で待つ白鵬を映し、他の日も、朝乃山の取組みの前の相撲をビデオで解説したりで、当社の懸賞旗がチラッと映ったのは2日だけでした。考えてみれば、公共放送のNHKが、土俵上を回る懸賞旗をしっかり映す訳がないのです。なんとも考えが浅かったと反省しました。ただ唯一の慰めは、終盤戦に入った3月25日の北日本新聞で、当社のレモンイエローの懸賞旗2本と「ありがとう村」の赤色の懸賞旗1本が続いて回っている写真が「勝ち越しが懸かる一番に多くの懸賞旗が土俵を回る」という見出しと共に掲載され、それがあさひホームのグループホームに貼ってあったことでした。
春場所が終わって、今回の朝乃山への寄付を通して思ったことは、会社の寄付は宣伝効果を狙ってするものではないということ、そして、儲かったからするというものでもないことの2点です。
私は長年、個人で色んな組織に寄付をしています。発展途上国の子供たち、特に女の子を支援する「プラン・ジャパン」、難民の子供達を支援する「国際UNHCR協会」、生命の危機に直面している人びとへの医療・人道援助活動を行っている「国境なき医師団日本」、富山県善意銀行、そして東南アジアからの留学生を支援する「ロータリー米山奨学会」です。これらの個人寄付は何万円かずつですが、毎年コンスタントに行っているもので、米山奨学会への寄付は、一年間10万円を目標にコツコツ貯めた五百円玉貯金で行っています。
会社からの寄付も、個人で行っているのと同じ組織にそれぞれ20万円から30万円ほど行っていて、好決算の時には多く寄付しています。その中で富山県善意銀行には、昨年から隔月に5万円ずつ寄付することにしましたが、次年度からは他の組織への寄付も、私個人の寄付や富山県善意銀行への寄付のように、宣伝や節税の思惑なく毎年コンスタントに行いたいと思います。
もっとも、赤字決算で寄付するわけにはいきませんが。
(補足)ありがとう村は、経営や生活の中での困りごとが一ヶ所で問題解決できるよう、会計・税務・経営・社会保険・不動産・登記等の専門家たちが、皆様の相談に乗っています。
2017年(平成29年)3月28日に、総理が議長となり、労働界と産業界のトップと有識者が集まった会議で「働き方改革実行計画」がまとめられましたが、私はこの年の9月のコラムで“「働き方改革」に思う”と題して、冒頭から、「最近の新聞を読んでいて、目にするたびに嫌な感じがするのが、『働き方改革』と『人づくり革命』です」と噛みつき、最後は「『働き方改革』という政府の号令に右往左往するのではなく、人間として、また企業として、常に改革し成長し続けたいと思います」と結んでいます。
昨年の8月7日と9月4日、サンフォルテ(富山県民共生センター)で行われた富山県主催の「働き方改革推進リーダー養成講座」に参加しました。参加理由は、「働き方改革」が叫ばれて以降に当社で行ったことは、経営企画室の安全衛生管理グループで、第2工事部の技術職のうち、見なし残業代として役職手当がついている主任について、実際の月々の残業時間を4月から統計を取り始めたことくらいでしたので、この講座のタイトルを見て、「働き方改革」を毛嫌いばかりせず、会社のトップリーダーである私自身が学んでみようと思ったからです。
8月7日の「働き方改革推進リーダー養成講座」の1回目には、18の企業と3つの市町村から35人が参加し、5人ずつ7テーブルに分かれ、(株)ワーク・ライフバランス(WLB)の3名のコンサルタントの進行、指導の下に午後1時半から5時まで、テーマごとに付箋に自分の意見を書いて模造紙に貼り付け、メンバーで話し合いながらその付箋をグループ分けしまとめて、テーブルごとに発表しました。参加者は、ほとんどが30歳代からせいぜい50歳代初めくらいまでで、70歳を過ぎ、かつ社長の参加者は私だけでしたが、若い人たちから刺激をもらいました。
9月4日の2回目の講座が終わって直ぐに、今回の講座を主催した富山県総合政策局少子化対策・県民活躍課の担当の女性から、「富山県 令和2年度 中小企業の働き方改革モデル取組事例創出事業」の実践モデル企業に応募されないかと電話があり、WLBのコンサルティングを無料で受けられるとあって、総務部として応募することにし、当社と昭北ラミネート工業、永田メディカル、バロン、日の出屋製菓産業の5社が選ばれました。9月24日には、第1回のキックオフコンサルティングが当社の会議室で行われ、富山テレビの取材もあり、前日の23日に入社した新元総務部次長が「昨日入社したばかり・・・」と自己紹介し、八尾オフィスの林さんが、「若い人たちが遅くまで仕事をしてなかなか結婚できない」と言っていたのが印象的でした。
その後、10月と11月のコンサルティング、12月の中間報告会、そして今年1月と2月のコンサルティングを経て、今月3月3日に富山県民会館で最終報告会が行われ、当社は5社の報告のトリを務めました。新元次長のパワーポイントを使っての発表の後、私が次のようにコメントしました。「中村天風師は『ばい菌一匹でも目的無くこの世に出てきたものはない』と言っていますが、「働き方改革」の目的は、残業を減らすとか有給休暇をしっかりとるとかいうことではなく、働く人の幸せを実現することだと思っています。(中略)今回の働き方改革の実践を通して、総務部をはじめとする事務職の社員7名が、自分の仕事を見直すことで、個々人の仕事が楽しく、仕事も含めた人生が変わり、幸せになることを願っています。(中略)この後は、本丸である現場の技術職社員の『働き方改革』に取り組みます。」
総務部で毎週月曜日の昼休み前に15分間行っている「カエル会議」(早く“帰る”、仕事のやり方を“変える”、人生を“変える”、の3つの意味が込められている)で私は、総務部では5人が毎日お互いのスケジュールを共有して助け合い、ルーチーン業務の見直しをすることなどで、昨年10月以降、残業時間を4分の1に減らすことができた。しかし、事務職社員が一人だけの営業部と第一、第二工事部の3人は、なかなか総務部のように、昼食を別室でとったり、残業せずに毎日退社することはできないだろうが、総務部で生まれた余裕時間を他部署の事務にも向け、彼女たちの仕事の一部を分担できないか考えてほしいと話しています。
そして本丸の現場の技術職社員には、働き方改革など難しいと頭から決めつけるのではなく、突飛な発想でもよいので仕事のやり方を変えてみて、少しでも時間短縮を図り、そういう改善実績を積み重ねて、大きな改革につなげてほしいと思います。
現在、総務部では5時のチャイムが鳴ると、10分後には誰もいなくなっています。何事もやってみること、チャレンジすることです。