お盆休み前に、アマゾンで「人生よかったカルタ」の大人版を買いました。この「人生よかったカルタ」を知ったのは、帝国データバンク発行の週刊帝国ニュース北陸版に時々掲載されるビジネスコンサルタント・作家の和田裕美さんのブログ「陽転思考」でした。7月31日号に掲載された「昆虫レストラン体験と『コロナ変化』」の後半に、「毎日新聞夕刊の1面トップに『人生よかったカルタ』(陽転思考を身につけるカルタ)が紹介され、こんな世の中でも、行動すれば、明るい結果が出せると実感できました」と書かれていて、欄外に、このカルタが筆者のホームページかアマゾンで購入できるとあったのです。
何事にも興味津々の私です。早速アマゾンで「人生よかったカルタ」を検索したところ、子供版、大人版、おじさん版と3つありました。そこで大人版を開いてみると、「あ」の読み札に「挨拶したのに無視されてよかった」とあり、絵札は、雪だるまに猫が「寒いですにゃ」と声をかけるのに、雪だるまはそっぽを向いている絵がでてきました。これをどのように使って陽転思考を身につけるのだろうか、先ずは買ってみようと、即、購入手続きしました。2,680円でした。
2、3日後に届いたカルタに同封のパンフレットには、先ず「『陽転思考?そんなのただのプラス思考でしょ?』・・・と思う人が多いかもしれません。(中略)和田式陽転思考は、あえてネガティブなものを見つめ、それを受け入れ、そこから何か“よい側面”を探す思考法。私たちの人生には、良いことばかりではなく傷ついたり悲しんだり悔しいこともたくさんやってきます。そのネガティブな事柄に飲み込まれてしまうと心が折れてしまうのです。だからこそ、そこからどんな小さいことでもいいので『よかった』と言えることを自分で探して起き上がるのです。ネガティブなことを人生のバネにしてさらに飛躍できるようになる、転んでもただでは起きない強い心を作ります。臭いものに蓋をするのではなくその状況から生きる道を探すということです。」と書かれていて、人生が好転した例として、
・自分の良いところが探せるようになり自己肯定感が上がります。
・人の良いところが探せるようになり人間関係が良くなります。
(中略)
・積極的に行動できるようになり、仕事での評価が上がります。
・たくさんの良いことを探せるじぶんになります。
とあり、「いちど使った『よかったアンサー』は2回目以降はちがうものに変えてください。そうすることによって脳はどんどん自分の内側から良い側面を探そうとし続けます。正解はありません。そして誰かの指示でもありません。すべて自分の中から生まれた言葉でつくるのです。」とあり、パンフレットの裏面には大人版感想として、
・ネガティブで、自己否定だらけの私が、人前で意見が言えて人から評価されるように!(中略)仕事の評価が上がり給料も上がり人生が劇的に変わりました!(H.K様)
・人から好かれるようになりました!(中略)長年の悩みが消えました!すごいカルタです。本当にありがとうございました!(Y.A様)
・最少はよくわからなかったけど・・・1回目やった時はこんなもんかという感想でした(すみません)。けれども人に誘われて2回目、3回目やってみたらある日、「この出来事の良い部分はなんだろう?」と自然に探している自分に気付いてびっくりしました!いつの間にか陽転思考が身についていたのです。(後略)
遊び方はこうです。読み札カードはすべてネガティブな内容です。「よかった!」と言ってカードをとります。読み手と取れなかった人から「なんで?」と聞かれたら、なぜよかったのかを自分で考えて答えます。
さらに、「大人カルタ 回答例」という紙に、50枚のカルタそれぞれの回答例が3つずつ書かれていました。読んでしまっては実際にやるときに邪魔になると思いつつ、 “り”「離婚したいと言われてよかった」に、目がとまりました。回答例は、
(1)幸せな時間があったことに感謝できて、よかった
(2)別れはその人との学びの終わり。それぞれが何かを得て次に進めてよかった
(3)相手の想いと自分のいたらなかったところに気づき、大きな経験を積むことができ
てよかった です。
以上、皆さんに「人生よかったカルタ」の使い方と効果を知ってもらいたいと思い、長々と紹介しましたが、さしあたりこのカルタを一緒にする人が思い浮かばないので、この考え方を会社で不満に思ったり、過去の出来事でくやんだりしたことに当てはめてみました。
例えば、今年度の経営戦略のトップ「人財の採用と育成」での育成戦略の一つに、「ミスを隠さず、ISOの不適合として報告できる社員」をあげたのは、たまに報告される不適合は氷山の一角で、経営トップが知らないところで発生しても不適合として報告されない事案が多くありそうなことに不満と危惧を覚えていたからです。このことを「人生よかったカルタ」流に考えると、“ふ”「不適合がタイムリーに報告されていなくてよかった!それは、新年度の経営戦略に落とし込めたから」、進化して「不適合がタイムリーに報告されていなくてよかった!それは、致命的なミスが発生する前に戦略を打ち出せたから」となると思うのです。また、30年間愛用していた少々値が張った薄型の腕時計を紛失し、「どこに行ったのだろうな?」と時々思い出して暗い気持ちになっていました。最近使っていなかったショルダーバッグのポケットの底から見つかったのですが、これも「見つかってよかった」で済まさず、“う”「腕時計を無くしてよかった!それは、見つかった時の感激を味わえた」となり、進化して「大事なものは、一定の置き場所以外には置かないでおこうと決めることができた」となりました。
では、先月のコラムで紹介した中村天風師だったらどう考えるのだろうかと思い「天風成功金言・至言100選」をチェックしたら、ありました。「人生は、心ひとつの置きどころ。人間の心で行う思い方、考え方が人生の一切を良くも、悪くもする」、「一日の人生に生きるときに、お互いに勇気づける言葉、喜びをわかちあう言葉、聞いても何となく嬉しい言葉を言い合おう」、「自分の心の中に少しでも消極的なものを感じたならば、断然それを追い出してしまわなければならない」、「自分の使っている言葉によって、自分の気持ちが非常に鼓舞奨励されたり、あるいはスポイルされたりする」、「『暑いなあ~、やりきれないな』でなく『暑いなあ~、よけい元気がでるな』と言いなさい」、「生きがいのある人生に生きようと欲するならば、何よりも一番戒めなければならないのは心配や悲観である」などです。改めて「深い‼」と思いました。「人生よかったカルタ」を使って自分の心を鍛錬しようとするのではなく、日常生活のすべての場面で、積極性を心の中で意識し消極的な気持ちは排除する、そして、積極的な言葉を声に出すようにすれば、成功が実現できるということです。
「人生よかったカルタ」は、どうも出番が無くなりそうです。
絶対積極(ぜったいせつぎょく)は、私が信奉する中村天風師の教えです。
中村天風(なかむらてんぷう、1876年7月30日 – 1968年12月1日)は右翼団体玄洋社社員、大日本帝国陸軍の諜報員、日本の実業家、思想家、ヨガ行者、自己啓発講演家。天風会を創始し心身統一法を広めた。本名は中村三郎。
学生時代に喧嘩で相手を刺殺(社長注:正当防衛)、日清日露戦争当時は軍事探偵(社長注:スパイ)として活動するも、戦後結核にかかり、ニューソート作家の著作に感銘を受け渡米し、世界を遍歴。インドでのヨガ修行を経て健康を回復し悟りを得たとされる。日本に帰国後、一時は実業界で成功を収めるも、自身の経験と悟りを伝えるために講演活動を開始。中村天風の考え・活動に影響を受けた人々は、ヨガ関係は勿論であるが、その他にも東郷平八郎、原敬、北村西望、宇野千代、双葉山、広岡達朗など、実業界では松下幸之助、稲盛和夫など多くいる。近くは、大谷翔平などがいる。(出典:ウィキペディア)
私が中村天風を知ったのは、大学の経済学部同期生で、柔道部でも一緒に稽古した親友の和田清さんからの年賀状でした。和田さんは非常な読書家で、学生時代にもいろんな本を勧めてくれましたが、十数年前の年賀状に「宇野千代の天風先生座談がおもしろいよ」と書いてあったのです。早速「天風先生座談」を購入して読んだところ、中村天風というこんなすごい人物が日本にいたのか!と驚きました。そこで、1万円ほどの分厚い中村天風の本「成功の実現」を購入しました。また、「成功の実現」と同じ発行元から、天風の言葉が毎週一つずつ書かれ、巻末には「天風成功金言・至言100選」や「日常の心得」が印刷されている「成功手帳」も毎年購入し、毎日、一日の行動をメモしています。
また、講師を招いて中村天風について学び、心身統一法の訓練もしている北陸天風会という会に何度か参加して知識を深め、不思議な体験もしました。その会で買い求めたのが、中村天風が語る運命をひらく言葉を収録した「ほんとうの心の力」、そして、天風に出会った人、天風から直に教えを受けた人などの文章を綴った「哲人 あの日あの時」です。天風について知れば知るほど、このような人のことを本当の「哲人」と言うのだと確信しました。そして、中学校で行っている課外授業や、富山大学経済学部での講義「経営学の現場:地域企業の経営者から学ぶ」で、また、新入社員や会社訪問の学生に対して、天風の言葉「ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものはない」と「この世、この時、人間に生まれてきたのは、人の世の役に立つために生まれてきたんだよ」を、必ず紹介しています。
私は、40歳から50歳代には時には後ろ向きな考え方をしていた自分が、中村天風を知ってから、自分の生き方、経営のやり方を前向きに変えられたと思っています。天風は心(思考、感情)を積極と消極の2種類に明快に大別し、怒り、怖れ、悲しみ、憎悪、恨み、嫉妬、悩み、迷い、心配などの消極心は「命の力」(心身の活動力の源泉)を消耗し、希望、期待、歓喜、感謝、安心などの積極心は「命の力」を旺盛にすると言っています。さらに「積極的な心(精神)」というものには、「相対積極」と「絶対積極」があると説いています。私はこの違いが分かり難かったのですが、北陸天風会で聞いた絶対積極についての説明で腑に落ちました。講師は、「松下幸之助に、真空管のシェアが日本一になったと担当の部長が報告した時、部長は幸之助が喜んでくれるだろうと思っていたのにそうではなかった。これは、日本一という相対的なことではなく、松下電器が作る真空管が人々の暮らしに本当に役立ってほしいという思いがあったからではないだろうか」という説明でした。
当社の絶対積極の具体例を挙げてみましょう。まず、クッションゼロ(CZ)式原価管理です。「不確定原価に予算をつけない」は、「ひとつとして同じ工事は無いのに、役所の歩掛を当社の工事に当てはめようと考えるのは相対的な考え方であり認めないし、プラスアルファは認めず、これでもか、これでもかと限界原価を追い求める手法は、担当者に積極的な気持ちがなければできるはずがありません。
一昨年から課長職以上の社員でトライアルしてきた「あしたのチーム」式人事評価も、本人の評価を他人と相対的に比べるのではなく、本人と上司が話し合いの上で決めた行動目標を、3カ月ごとに達成したか、しなかったかを本人と上司が面談して絶対評価するものであり、普通という中間の評価がある5段階評価ではなくて評価ランクが4段階のこの評価方式では、積極的に行動しない限り、評価は2(出来なかった)か、1(全く出来なかった)にしかなりません。
また、当社の経営理念では、他社の経営理念で見かける「〇〇で、ナンバーワンを目指す」といった相対的な文言はなく、「世の中の役に立つ」という絶対的な思いが示されています。2番目の「人を成長する資源と考える」も、あくまでその社員なりの絶対的成長であって、この思いが、前述の「あしたのチーム」式人事評価を全社展開するという今期の経営戦略につながっています。
最後に、「哲人 あの日あの時」に書かれていた天風先生のエピソードの中で、特に記憶に残っている、家が旅館を経営していた人の思い出を紹介します。この人が大学生の時、泊まっていた先生と将棋を指したが、先生はたいへん強くて角を落としてもらってもなかなか勝てない。「いや、また負けてしまった」と言うと、先生はこの人の顔をじっと見て、「また、負けましたという言葉は訂正しなさい。同じ言うなら、先生の勝ちだ。この次は僕が勝つ、とね」。そして、「自分のイメージをダウンさせる言葉は人生のあらゆる場合にも絶対使わないこと、自他を共に勇気づける言葉を使いなさい」。そして、先生はこの人の父とよく碁を打っておられたが、先生が負けた時は「うん、おぬしの勝ちだね」と言われ、ご自分が負けたとは決して言われなかったという思い出です。
社員の皆さん、「絶対積極」で生きてください。
先月のコラムの最後は、「コロナショックの後の『染後』の日本では、昭和の時代は忘れられ顧みられることなく、在宅勤務が進み人とのつながりがますます希薄になるのではないか、また国際的には一国主義が勢いを増し、国と国との対立が深まるのではないかと危惧しています。満員の映画館や下町の風情を形作っていた人と人との温かい共感性や人情が無くなってしまったら、コロナ禍の中で生まれたネットでの差別や中傷とか、正義をはき違えた『自粛警察』などという心のウイルスが勢いを増して日本中にはびこることでしょう。オンライン飲み会も結構よいと聞きますが、人の温もりが感じられない飲み会など、私は真っ平です。差しつ差されつ、会話を弾ませながら飲みたいものです。」でした。
現在、新型コロナウイルス感染の緊急事態宣言は解除されましたが、第2波、第3波が来るのではないかと言われています。そして、密閉空間、密集場所、密接場面の「3密」を避ける行動は、「新しい生活様式」の中で少しは緩和されても、続けられるだろうと思います。
こういう社会になったら、「男はつらいよ」の世界は、まったく生まれませんね。大勢の人が集まってくる密集場所のお祭りの露店で、寅さんと見物人との密接場面で、寅さんの小気味いいセリフを並べたてて物を売る啖呵売(タンカバイ)、「さあ、遠慮しないで手にはめてごらん、試すのはただよ。どうだい、どうちょっと、このへん気分よくない、」【噂の寅次郎】とおばあちゃんに電子バンドを密接して渡し着けさせるなどは、当局の指導によって設置させられた透明なビニールシートで隔てられては、出来るわけがありません。
葛飾柴又の団子屋「とらや」の店の奥の狭い茶の間という密閉空間で、おいちゃん(竜造:寅さんとさくらの叔父)、おばちゃん(竜造の妻)や、さくら(寅さんの腹違いの妹)、博(さくらの夫)などが密集してちゃぶ台を囲んで談笑しているところに、寅さんがふらっと帰ってきて、何かの拍子においちゃんと密接して取っ組み合いのけんかになることも許されません。
コロナ禍の中で生まれたネットでの差別や中傷や、正義をはき違えた「自粛警察」などの「不寛容」は、「男はつらいよ」の世界にはありません。「うるせえ!そうか、おいちゃん、そういうことを言うのかい、それを言ったらおしまいだよ」【寅次郎恋歌】と言われ、とらやを飛び出す寅さんですが、おいちゃん、おばちゃんもさくらも、「今頃、どうしているのかな?」と旅の空の寅次郎を思い、気遣います。そこに、旅先からひょっこり帰ってきた寅さんが、「歓迎されたい気持ちはあるよ。だけど、おいちゃん、俺、そんなに歓迎される人物かよ。」【寅次郎恋歌】と言うのです。そこには、不寛容という言葉が入り込む余地は微塵もありません。
毎日マスクを着けなければいけない不快感から、「人と間で人間だが、人と人との間が2mも離れては、心が通い合わない!」とか、「『男はつらいよ』の出演者が皆マスク姿だったら映画にならない!」などと考え、寅さんの口上「もう、やけだぞちきしょう、ね、やけのやんぱち日焼けのなすび、色が黒くて食いつきつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ、ときやがった。」が口をついて出る今日この頃です。