先月のコラムの最後は、「コロナショックの後の『染後』の日本では、昭和の時代は忘れられ顧みられることなく、在宅勤務が進み人とのつながりがますます希薄になるのではないか、また国際的には一国主義が勢いを増し、国と国との対立が深まるのではないかと危惧しています。満員の映画館や下町の風情を形作っていた人と人との温かい共感性や人情が無くなってしまったら、コロナ禍の中で生まれたネットでの差別や中傷とか、正義をはき違えた『自粛警察』などという心のウイルスが勢いを増して日本中にはびこることでしょう。オンライン飲み会も結構よいと聞きますが、人の温もりが感じられない飲み会など、私は真っ平です。差しつ差されつ、会話を弾ませながら飲みたいものです。」でした。
現在、新型コロナウイルス感染の緊急事態宣言は解除されましたが、第2波、第3波が来るのではないかと言われています。そして、密閉空間、密集場所、密接場面の「3密」を避ける行動は、「新しい生活様式」の中で少しは緩和されても、続けられるだろうと思います。
こういう社会になったら、「男はつらいよ」の世界は、まったく生まれませんね。大勢の人が集まってくる密集場所のお祭りの露店で、寅さんと見物人との密接場面で、寅さんの小気味いいセリフを並べたてて物を売る啖呵売(タンカバイ)、「さあ、遠慮しないで手にはめてごらん、試すのはただよ。どうだい、どうちょっと、このへん気分よくない、」【噂の寅次郎】とおばあちゃんに電子バンドを密接して渡し着けさせるなどは、当局の指導によって設置させられた透明なビニールシートで隔てられては、出来るわけがありません。
葛飾柴又の団子屋「とらや」の店の奥の狭い茶の間という密閉空間で、おいちゃん(竜造:寅さんとさくらの叔父)、おばちゃん(竜造の妻)や、さくら(寅さんの腹違いの妹)、博(さくらの夫)などが密集してちゃぶ台を囲んで談笑しているところに、寅さんがふらっと帰ってきて、何かの拍子においちゃんと密接して取っ組み合いのけんかになることも許されません。
コロナ禍の中で生まれたネットでの差別や中傷や、正義をはき違えた「自粛警察」などの「不寛容」は、「男はつらいよ」の世界にはありません。「うるせえ!そうか、おいちゃん、そういうことを言うのかい、それを言ったらおしまいだよ」【寅次郎恋歌】と言われ、とらやを飛び出す寅さんですが、おいちゃん、おばちゃんもさくらも、「今頃、どうしているのかな?」と旅の空の寅次郎を思い、気遣います。そこに、旅先からひょっこり帰ってきた寅さんが、「歓迎されたい気持ちはあるよ。だけど、おいちゃん、俺、そんなに歓迎される人物かよ。」【寅次郎恋歌】と言うのです。そこには、不寛容という言葉が入り込む余地は微塵もありません。
毎日マスクを着けなければいけない不快感から、「人と間で人間だが、人と人との間が2mも離れては、心が通い合わない!」とか、「『男はつらいよ』の出演者が皆マスク姿だったら映画にならない!」などと考え、寅さんの口上「もう、やけだぞちきしょう、ね、やけのやんぱち日焼けのなすび、色が黒くて食いつきつきたいが、あたしゃ入れ歯で歯が立たないよ、ときやがった。」が口をついて出る今日この頃です。
先月のコラムで、「昨年末に大枚をはたいて大人買いした、革製のトランク『寅んく』に入った渥美清がフーテンの寅を演じる『男はつらいよ』全49作のブルーレイを観る時間も取れます。現在第39作まで観ましたが、毎回、秀逸なストーリーに引き込まれ、マドンナに心ときめかせています。」と書きましたが、ゴールデンウイークの最後の日、5月6日に第49作「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」を観終えました。
第1作「男はつらいよ」が公開されたのは、アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たした1969年(昭和44年)の8月で、第48作「寅次郎紅の花」の公開が1995年(平成7年)12月、翌1996年(平成8年)8月4日に渥美清さんが68歳で亡くなり、その翌年の1997年(平成9年)11月に特別篇として第49作が公開されたのでした。足かけ29年間にわたり制作、上映されてきたことになります。
私が初めて渥美清さんを見たのは、私が中学生だった1961年から5年間放送されたNHKテレビのバラエティー番組「夢であいましょう」でした。「上を向いて歩こう」(歌:坂本九)、「こんにちは赤ちゃん」(梓みちよ)、「遠くへ行きたい」(ジェリー藤尾)、「帰ろかな」(北島三郎)など数々のヒット曲を世に送り出した番組でしたが、コメディアンとして売り出し中の渥美清さんが司会のファッションデザイナー中島弘子さんの横に現れて実に可笑しなことをしゃべりかけ、中島弘子さんが必死に笑いをこらえる場面に、何とも面白い役者がいるものだと思いました。
しかし、「夢であいましょう」で強烈な印象を受けた渥美清さんが主役を演じる「男はつらいよ」を観に映画館に足を運んだのは、1度か2度ほどでなかったかと思います。おそらく、社会人として新しい人生を歩みだし、朝日建設に入ってからは会社経営や青年会議所活動、そして結婚しての家庭生活にと何かと多忙な日々を過ごす中、世界最長のシリーズを観るよりも年に1、2本、評判の映画を観るのが関の山になっていたのでしょう。
「寅さん」を、夜な夜な酒を飲みながら観終わって思ったのは、「映画館で観たかったなぁ」でした。それは、革製のトランクの中にブルーレイと一緒に入っていた「男はつらいよ 50周年記念読本」の中の対談で、片桐はいりという個性派女優が語っていた言葉からでした。“もぎり”のアルバイトをしているときに「男はつらいよ」公開中の映画館で特別な高揚感を体験したという片桐さんは、「寅さん」だけを観るお客さんが多くて、2本立て興業なのに併映作は観ないで帰ってしまう、元日に出勤したら、銀座通りまでズラーッとお客さんが行列を作っていて、初詣の帰りに「寅さん」を観るというのが、お客さんにとって決まりごとになっていたみたいなど、映画館に来るお客さんの熱気を語っているのです。今の映画館では考えられないことですが、満員の映画館で「寅さん」を観たかったと思うのです。そして、小・中学生、そして大学生時代に出かけた映画館のことを思い出します。座れなくて、立って観たこともあるほど盛況で、大勢のお客さんと映画の始まりをワクワクしながら待つ一体感がありました。
観終わってのもうひとつの思いは、「寅さん」の実家の団子屋「とらや」のある葛飾柴又のような懐かしい下町風景が無くなってしまったということです。富山でも、富山駅前にCiCビルが建つ前は、魚屋や八百屋、飲み屋が雑然と並んでいた横丁があり、母に連れられて買い物に行った小学生の頃が懐かしく思い出されます。今、昭和の雰囲気が残っているのは山田雑貨店くらいでしょうか。
私は高校や大学での講義で、勉強する目的を考えるようにと、第40作『男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日』の中で、甥の満男に「何のために勉強するのかな?」と問われた寅さんの「人間、長い間生きてりゃいろんな事にぶつかるだろう。そんな時、俺みてえに勉強してないヤツは、振ったサイコロの出た目で決めるとか、その時の気分で決めるよりしょうがない。ところが、勉強したヤツは自分の頭で、きちんと筋道を立てて、“はて、こういう時はどうしたらいいかな?” と考える事が出来るんだ。だからみんな大学行くんじゃないか、そうだろう」と答えたことを紹介し、勉強する目的は考える力を養うことだと話しましたが、反応はさっぱりでした。何とも情けない学生たちかとがっかりし、「男はつらいよ」を観た人はことがあるかと尋ねたら、全くゼロ。平成生まれの人間に寅さんの味は分からないのだろうと思い、無理矢理自分を納得させました。しかしコロナショックで自粛が叫ばれている今、寅さんの人間味や昭和の時代の良さを忘れてはいけないと思うのです。
昭和の日は「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」日として制定されましたが、コロナショックの後の「染後」の日本では、昭和の時代は忘れられ顧みられることなく、在宅勤務が進み人とのつながりがますます希薄になるのではないか、また国際的には一国主義が勢いを増し、国と国との対立が深まるのではないかと危惧しています。満員の映画館や下町の風情を形作っていた人と人との温かい共感性や人情が無くなってしまったら、コロナ禍の中で生まれたネットでの差別や中傷とか、正義をはき違えた「自粛警察」などという心のウイルスが勢いを増して日本中にはびこることでしょう。
オンライン飲み会も結構よいと聞きますが、人の温もりが感じられない飲み会など、私は真っ平です。差しつ差されつ、会話を弾ませながら飲みたいものです。
日本における新型コロナウイルスの感染者が1月15日に初めて確認されてから4月20日に10,751例になり、富山県でも3月30日に感染が確認されましたが、4月20日には114人となり、死者も2人出ました。
手作りマスクの初めてのニュースとして、3月17日に、甲府市の中学1年生の女子生徒が、材料費およそ8万円は幼いころから一度も使わずにためてきたお年玉でまかなって自分で作ったマスクおよそ600枚を山梨県に寄付したという心温まる報道を耳にしましたが、その後、全国でも富山県でも、感染者や医療従事者に対する心無いバッシングが起きていること、在宅勤務によるDV(ドメスティック・バイオレンス)が増えていること、また、新型コロナウイルスに便乗した悪徳商法がすぐに現れたことに、日本人として情けなく思いました。
この新型コロナウイルス感染者の急速な拡大に対して、2月27日の唐突な全国の学校休業の打ち出しに始まり、466億円かけての布マスク2枚のアベノマスク、減収世帯への30万円の支給を撤回して制限なしの国民一人当たり一律10万円の給付、休業要請をめぐる迷走、そして安倍首相の自宅でくつろぐ動画のツイッターなどの国の対応に批判が殺到しています。官邸官僚に頼る安倍首相による失政であり、批判されて当然だと思います。さらに、麻生太郎副総理兼財務大臣の、10万円給付に関して「今回は要望される方、手を挙げていただいた方に給付する」との「自己申告すれば給付する」と受け取れる言葉に、批判が噴出したのは当然でしょう。相変わらずの反省のない人です。
また、国がすべての都道府県に緊急事態宣言を拡大したことを受けて、Ⅰ知事が17日に県民へ不要・不急の外出自粛を改めて呼びかける一方、商業施設などへの休業要請はしない考えを示したことに対して、前県議会議長のN氏が18日にフェイスブックで、「県民の生命を守る気概が足りない」、「首長は感染者の少ない段階で自粛や休業要請をする勇気が必要だ」と苦言を呈しました。ニューヨークのクオモ州知事は「責任はすべて負う、非難するなら私を非難してくれ」と言いましたが、Ⅰ知事も、国や他県の様子見ではいけないと思います。
しかし当社においては、東日本大震災後に組織した経営企画室BCP(事業継続計画)対策グループが素早く動き、全社員が携帯電話で使えるセコムの安否確認サービスを使って、4月3日に密閉・密集・密接の3密を避けるよう全社員に通知し、その後も、消毒用アルコール、マスク、非接触温度計の購入手配状況や、職場で濃厚接触者とみなされる家族のPCR検査状況を敏速に知らせるなど、4月19日までに9回の情報発信をしています。マスクは第一弾として1人5枚ずつ支給済みですが、20日には4月3日に発注した2,800枚のマスクが納品されました。4月18日の出勤土曜日に開催した安全衛生会議は、Microsoft Teamsを使ってのテレビ会議で、本社4階の会議室で5人、富山オフィスで1人、八尾オフィスで2人が参加し、活発な議論が交わされました。
また、子会社の老人介護事業所あさひホームやあさひホーム吉作では、グループホームでのご家族の面会を控えてもらい、私も4月からは週2回のグループホームでの昼食が出来なくなっています。当然ですが、職員の感染防止のために利用者さんや職員本人の体調の把握に努め、訪問介護や関係者との外部での打合せには除菌スプレーを携帯しています。さらに、保育士に感染者が出た東山保育所に子どもを預けていた2人の職員には出勤を2週間控えてもらい、妊娠している3人の職員にも本人の不安を考慮して休んでもらっています。介護職員が慢性的に不足している中、介護職員が責任感を持って勤務していることに感謝し、医療、交通、食料などと同様、生活を維持していくうえで必要不可欠な介護を提供し続けられていることを嬉しく思います。しかし危機対策は「大きく構えて小さく収める」です。万全の準備を構えて事に臨めばよい結果を得るということであり、管理者はこの言葉を肝に銘じて、“ここまでやるか”というほどの対策を実施して下さい。
国、県、会社から私個人に移ると、まず新しい英語を覚えました。パンデミック(世界的大流行)は知っていましたが、河野防衛相が公式ツイッターに投稿した「クラスターは『集団感染』、オーバーシュートは『感染爆発』、ロックダウンは『都市封鎖』で言い換えられる」として「なんでカタカナ?」と疑問符をつけた3つの英語のこんな使い方は分かりませんでした。調べたら、クラスターは「集団」や「房」から転じ感染症の小規模な患者集団を意味し、ロックダウンは「一定期間、都市封鎖したり、外出禁止や店舗を閉鎖したりする措置とありましたが、オーバーシュートは、金融市場や統計などで、基準を超えて行き過ぎた変動を指す言葉で、「爆発的な感染者急増」という語義は無いとのことでした。ソーシャルディスタンシング「社会的距離の保持」やフィジカルディスタンシング「身体的距離の保持」という言葉も知りました。
次に、2月下旬から、社外で開催される委員会、理事会、総会などの種々の会合、また、夜の懇親会は見事にすべて中止になり、一日中予定が無いのが寂しくて、私が誘って3月下旬と4月上旬にそれぞれ3人で2回飲み、それだけが外出でした。しかし、いまは自粛して、毎晩家で飲んでいます。
日中外に出ることが無くなり、その分デスクワークできることで、これまでの8時9時が普通だった退社時刻が6時を過ぎることはほとんどなくなりました。おかげで早く帰宅することで、積読になっていた本が読めるようになり、今は禅僧の関大徹著「食えなんだら食うな」を読んでいます。また、昨年末に大枚をはたいて大人買いした、革製のトランク「寅んく」に入った渥美清がフーテンの寅を演じる「男はつらいよ」全49作のブルーレイを観る時間も取れます。現在第39作まで観ましたが、毎回、秀逸なストーリーに引き込まれ、マドンナに心ときめかせています。このコロナ感染が収まっても、これまでの会合や懇親会を不要・不急の観点で精査し減らして、仕事中心の行動パターンを変えたいと考えています。そして、中村天風師の「絶対積極」の教えに従って、コロナに負けず、自分を向上させる日々を送りたいと思います。
「どうせ人間生まれた以上は一遍死ぬんだ。しかし死んでいない以上は生きているんだ。生きている以上は有意義に生きなきゃだめだよ。幾つになろうとも、自己を向上せしめるっていう意欲を失ってはいけませんぜ。それには自分を見捨てないことです。」(中村天風)