社員旅行について考える

2019.07.01

先月の6月21日からと28日からの2班に分けて、5年ぶりに社員旅行を行いました。

 私が昭和50年に会社に入る前から、毎年社員旅行(当時は共済会旅行とか慰安旅行と言っていました)が行われていました。

 平成に入るといよいよ海外旅行となり、平成元年(1989年)の台湾を皮切りに、隔年で韓国、ハワイ、オーストラリア、マレーシア・シンガポール、タイ、中国と7回実施し、その間の年も函館や広島、軽井沢などに2泊3日の国内旅行を行っていました。何とも景気の良い時代でした。

 しかし、景気の悪化と、社員旅行が好まれなくなってきたという世間一般の風潮の中、当社でも旅行参加者が減少してきたため、お金をかけて社員旅行を行っても意味がないということで、平成13年(2001年)の中国旅行を最後に、社員旅行を取りやめました。

 ところが、平成23年(2011年)3月11日の東日本大震災がきっかけとなり、7月に10年ぶりに社員旅行を実施しました。この経緯は、2011年7月のコラムに以下のように書いています。

 5月のこのコラム「東北地方に旅しよう!」で、『5月13日の経営戦略会議の席で、「今年の経営環境は昨年よりさらに厳しく、12月決算では赤字も予測される。しかし、東北地方に同僚や家族と旅をし、温泉などでお金を落とし、被災地を自分の目で見てきた社員に対して、会社から家族も含めて経費の補助をしようと思う」と提案したら反対意見は無く、止めて久しい会社の慰安旅行を被災地にすればよいのではないかという意見も出た。』と書いた。それが10年ぶりの慰安旅行として今月の7日、8日に実現した。

 この旅行は、被災地には災害救援隊であることの腕章・ステッカーを交付されていなければ立ち入れないので、“原発問題で観光客激減!!「会津地方」震災支援ツアー”として、福島原発事故で退去を強いられた福島第2原発がある楢葉町の住民が当初180名避難していた福島県の会津芦ノ牧温泉丸峰観光ホテルに一泊するという企画でした。バス2台で出発しましたが、バスには、避難者の方々はこれから暑くなるのでTシャツが希望だと知り、120名の方々に、S30枚、M70枚、L80枚、XL20枚の合計200枚の白無地のTシャツを短時間で用意し、「衣」のほかに「食」も贈ろうと、高岡の銘菓“とこなつ”240個と、富山県と分かるだろうと清酒“立山”の1升ビン12本を積み込みました。ホテルの1室を会場にして、これらの支援物資をお配りしましたが、大人も子供も皆さん喜んでくださいました。

 この年の秋と翌年に、私自身が被災地に出かける機会がありましたが、今でもがれきの中に残った家の土台に手向けられた花や、海岸に立つと匂ってくる倒壊した水産加工場の腐った魚のにおいが思い出されますし、仙台市の深松組の社長から聞いた復興にあたった悲痛な事例発表も心に響きました。この体験から、2014年にBCP(Business Continuity Plan事業継続計画)を策定しましたが、社員にも被災地を自分の目で見て確認し、BCPを策定する意義を理解してほしいとの思いから、“貸し切りバスで行く 東北震災支援2泊3日 岩手県/「陸前高田と宮城県/「気仙沼」「南三陸町」「松島海岸」「仙台」”という5月30日からの社員旅行を計画しました。

 旅行を終えてのコラム「“東北地方を旅しよう!”報告」では、M.Mさんの「被災地の見学では涙しました。心苦しかったですが、自分の中で何か変りました。」と、M.Hさんの「最近は報道で取り上げられることが少なくなったので、(東北の物を)目にする機会が減ってしまいました。買い物時に東北の物を見かけたら、買うようにしようと思いました。」を紹介し、「今回の旅に参加した社員一人ひとりが、それぞれの感慨を抱いたことだろう」と書いています。

 この2度の東北震災支援旅行と、私が富山市建設業協会長として参加した2回の研修旅行から、今回の旅行のプランが出来ました。市協会の2016年の旅行では、首都圏外郭放水路を見学して、市民の生活を支える土木の重要性と、日本の土木技術が世界一であることを実感しました。2018年の旅行では、浅草の瓢庵にて宴会で芸者と幇間(太鼓持ち)の日本ならではの、しかしめったに見られない芸を楽しみました。

 さらに、全日空の富山便の搭乗率が悪いことがニュースで取り上げられていることもあり、往復飛行機を使おうと考えました。そこで、東北への社員旅行でも市協会の研修旅行でも、企画し添乗してもらったエヌトラベルのN社長に、私のプランを持ち掛けました。

 その結果、全日空の航空券が安くなる日程と、浅草の料亭と芸者と幇間の日程、そして浅草ビューホテルの空き室状況をすべてクリア(N社長の話)して、今回の2班に分けての“「首都圏外郭放水路」の視察研修と江戸の粋「浅草芸者・幇間」との懇親会”旅行が実現しました。

 当社の経営理念である「建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ」ためには、土木のモノづくりや災害対応の現実を、全社員が知ることが大事だと考えますので、今後も行うであろう社員旅行でも、土木関連の構造物見学や災害復旧現場視察を必ず入れたいと思います。

 また、二番目の経営理念は「人は経費ではなく成長する資源」ですが、成長する機会として社員旅行を位置付けることができると思います。土木施設を観たり、日本の芸能や文化を楽しむことで成長できますが、普段は接触する機会がない人と話すことでも、視野が広がるものです。

 「理念経営」という言葉があります。企業理念を中心に置いた経営を言いますが、社員旅行も、これまでの経緯をたどりながら、最後に「なぜ社員旅行を行うのか?」という理念をベースにして考えた今回のコラムでした。

「やわやわ運転」自主宣言

2019.06.01

 4月1日付で、富山中央安全運転管理者協議会から、「やわやわ運転」自主宣言と実行への参加についての依頼文書が郵送されてきました。

 依頼文書には、「県内では、高齢者の運転免許人口が増加傾向にあり、高齢ドライバーの交通事故が増加傾向にあるため、県警では、高齢ドライバー(65歳以上)自らが「やわやわ運転(無理しない、危険を避ける運転)」を宣言し、実行する「やわやわ運転」活動を実施することになったので、参加をお願いしたいとありました。

 実施期間は、今年6月1日(土)から11月30日(土)までの6ヶ月間で、参加の条件の一つに、富山中央警察署(協議会)管内に居住し、または勤務する65歳以上の高齢者とあり、参加希望者には、「やわやわ運転自主宣言証」が交付され、実施期間終了後、その功労を称え警察署長名の認定書が交付される予定とありました。

 当社で対象になるのは、私と富山オフィスのM・Uさんであり、申込書の宣言事項は次の通りでした。

①余裕を持った運転計画を立てる

②体調を整えて運転する

③思いやり運転をする

④速度を控えて運転する

⑤通学時間帯の運転を控える

⑥夜間の運転を控える

⑦知らない場所での運転を控える

⑧長距離運転を控える

⑨高速道路の運転を控える

⑩雨や雪、路面凍結など悪天候での運転を控える

⑪【自由記入欄】

 私は、①、③、④に〇をつけて申し込みました。①は、いつもぎりぎりまで机に向かって仕事をしていて、約束の時間に間に合うかどうかひやひやしながら運転することが多いためであり、③は、当社がこのたび導入した「あしたのチーム」式人事評価において、全社共通の行動目標のトップに「思いやり」を掲げたように、私は、会社でも、家庭でも、社会生活においても、人間としては「思いやり」が最も大切だと考えるからです。そして④は、運転がうまいとは言えないくせに、ついついスピ-ドを上げている自分にハッとすることが時々あるからでした。⑤から⑩までは、⑧は出来ても、そのほかの5つは控えるに越したことはないけれど、そうもいかないケースにいちいち対応できないだろうと思ったので、外しました。

 この宣言を4月11日にFAXした後に、高齢者の運転による重大な交通事故が2件起きました。一つは、4月19日の、東京都豊島区で男性(87)の車が猛スピードで赤信号の交差点に進入し、2人死亡、8人負傷という事故でした。加害者の男性は、旧通産省工業技術院の元院長で、死亡したのは自転車に乗っていた31歳の母親と3歳の娘さんでした。二件目は、6月4日に、福岡市早良区で男性(81)の車が逆走して猛スピードで交差点に突入し、男性と同乗の妻(76)が死亡、他に7人負傷という事故でした。

 今年1月の運転免許更新の際に、更新手続き前に70歳から74歳までの免許更新を希望する人が受けなければいけない高齢者講習を受講しましたが、この高齢者講習や「やわやわ運転」自主宣言で、自分も高齢者なのかなあと思わされていたところに、高齢者による重大交通事故の発生で、高齢者であることを自覚してハンドルを握らなければいけないと、改めて思ったのでした。

 そして6月7日に、まもなく75歳になる俳優の杉良太郎さんが、運転免許証を返納し、「年齢による衰えを感じる人は、事故を起こす前に運転をやめることを考えてほしい」と呼びかけたというニュースが流れました。私の運転免許証の有効期限は、平成34年2月2日までとなっています。ということは、その時75歳。私も75歳を迎える前に運転免許証を返納したほうが良いかなと思いましたが、自分で運転できないときの不便さを想像すると、これからの2年間で自動車の自動運転の技術開発が進み、完全自動運転に近づいていて、今より安全に車を運転できるのではないかとも思いました。

 まずはこれから75歳まで、車に乗り込んだら、まず運転席側のドアに貼ってある「やわやわ運転」自主宣言証を見て、「余裕を持った運転計画を立てる」、「思いやり運転をする」、「速度を控えて運転する」の3つを、今まで以上に真剣に黙読してからエンジンを始動させたいと思っています。

 それにつけても、「早くできろ、自動運転車!」です。

中西 進先生

2019.05.01

3月3日(日)、高志の国文学館館長中西進氏の特別講演を富山県美術館で聴きました。中西先生のことはほとんど知らなかったのですが、大学で日本文学を専攻していた次女に中西先生の講演を聴きに行くと話すと、「中西先生はすごい人なのよ」と言うのです。改めて講演会のチラシのプロフィールを見たら、文化勲章受章とありました。

 チラシに書かれていた演題「余白そして留守」は、当日ステージに掲げられたハンガー看板には「余白 空白 そして留守」に変わっていました。富山県美友の会の事務局にこのことを聞いたら、変更された演題の書かれた紙を当日持ってこられたとのこと。「余白 空白 そして留守」の方が、七五調でリズム感があると思いました。

 中西先生は新元号「令和」の考案者とみられているということで、4月1日の新元号発表以降マスコミに何度も取り上げられる時の人ですが、講演会の3月3日は、いろんな日本画や洋画をスライドで紹介しながら、ユーモア溢れる講演をする89歳の館長さんでした。

 以下に、iPadにメモした講演内容を紹介します。

 最初に、美大生が描いた、色が塗られておらずキャンバスのベニヤがそのまま見えている絵について、「絵の中に余白があると言われるとエッと思うが、絵を考えることは楽しい。つまらないのは万葉集(笑)」という万葉集研究の大家の出だしに、会場の雰囲気が和らぎました。

 続いて、尾形光琳の燕子花(かきつばた)図を紹介して、「根が描いてないし土も描いてない。こんな描き方しかなかったのか?と言うと叱られる(笑)。これを根も葉もない絵(笑)といいます」と、また笑わせられました。

 歌川広重の木曽路之山川(きそじのやまかわ)のスライドでは、「白い山だけで他に何も描いてない」に始まり、メモを読み返したら意味がよく理解できなかったのですが、「“味の素”の素とは白。白とは元、元とは無である」と続きました。「元素」ともメモしており、白についてだけでもこれだけ深く考えておられることに、すごいと思いました。

 長谷川等伯の松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)のスライドでは、「余白が代表的な絵だと言われている。意図的な白、巧まれた白」とメモしていました。そして「松竹梅」に話が展開し、松と竹と梅の取り合わせは人間の優れた感覚を表していて、梅は匂い(嗅覚)、 竹は伸びる(視覚)、 松は風の音(聴覚)だと話されてから、「この絵に松が密集していたら音は無い。密に描かれていたら意味がない」と、空白から松と音の関係を説明され、成る程と感心しました。

 そして「留守」に話が展開します。作者未詳「誰が袖屏風」(たがそでびょうぶ)で、「これは誰の袖(誰が袖)か分からない小袖を描いた絵だが、近景を描いているが留守にした人物の存在を描いている」、また、「平安時代に牛車に乗った女性が着物の裾を簾の下からチラッと見せた。それで男か女か、位はどれほどかが分かる」、「俳諧では無月という季語がある。月がないのだけれど月の存在を示すものがある」として、姿が見えないが存在するものを描く、書くのが日本なのだと話されたのでした。深いですね。

 「ファン・ゴッホの椅子」の絵では、「留守を描いているが椅子の上に何かを描いたのが限界である」と話され、「非在は存在に非ず」だが、「不在は留守であり、愛嬌もある。狂言にも留守を題材にしたものがある」、「崇高なるものはあると信じる。宇宙(もあると信じるからある)」とメモしています。

講演は、「表現の正道(せいどう)を真っ直ぐに歩いてきたのが日本画家である」と締めくくられました。

 この講演を聴いた後に、令和の考案者と目された中西先生の言葉が新聞にたびたび取り上げられましたが、講演を聴いていただけに、ほとんどすべての記事を読みました。今読み返すと、中西先生らしいコメントだと思うものがいくつかありました。

 『5月10日発売の月刊誌「文芸春秋」で、「典拠としては国書である万葉集が良いと考えた。令に勝る文字はないと中西という人は思っていた」と明かした。』(5月11日 富山新聞) とありますが、「中西という人は思っていた」に、令和の考案者について明らかにしないという政府の方針を上手にかい潜り、ユーモアもある表現だと思いました。

 また、5月1日の日経新聞には、令という文字について、「一般的には訓読みをしない漢字だからなじみが薄かったのですが『令(うるわしい)』という概念です。『善』と並び、美しさの最上級の言葉です。これと『和』を組み合わせることで、ぼんやりした平和ではなく、うるわしい平和を築こうという合言葉になる」に、講演会で聞いた「“味の素”の素とは白。白とは元、元とは無である」を思いだし、言葉についての考察の深さを改めて思いました。

 これからの令和の時代が、中西先生の持論「元号は時代に対する、おしゃれみたいなもの。美的な感覚を楽しむ文化の一つ」を実践し、肩の力を抜きつつも、うるわしい平和な時代を作るために、私も楽しみながら、しっかり歩んでいきたいものだと思います。