4月1日付で、富山中央安全運転管理者協議会から、「やわやわ運転」自主宣言と実行への参加についての依頼文書が郵送されてきました。
依頼文書には、「県内では、高齢者の運転免許人口が増加傾向にあり、高齢ドライバーの交通事故が増加傾向にあるため、県警では、高齢ドライバー(65歳以上)自らが「やわやわ運転(無理しない、危険を避ける運転)」を宣言し、実行する「やわやわ運転」活動を実施することになったので、参加をお願いしたいとありました。
実施期間は、今年6月1日(土)から11月30日(土)までの6ヶ月間で、参加の条件の一つに、富山中央警察署(協議会)管内に居住し、または勤務する65歳以上の高齢者とあり、参加希望者には、「やわやわ運転自主宣言証」が交付され、実施期間終了後、その功労を称え警察署長名の認定書が交付される予定とありました。
当社で対象になるのは、私と富山オフィスのM・Uさんであり、申込書の宣言事項は次の通りでした。
①余裕を持った運転計画を立てる
②体調を整えて運転する
③思いやり運転をする
④速度を控えて運転する
⑤通学時間帯の運転を控える
⑥夜間の運転を控える
⑦知らない場所での運転を控える
⑧長距離運転を控える
⑨高速道路の運転を控える
⑩雨や雪、路面凍結など悪天候での運転を控える
⑪【自由記入欄】
私は、①、③、④に〇をつけて申し込みました。①は、いつもぎりぎりまで机に向かって仕事をしていて、約束の時間に間に合うかどうかひやひやしながら運転することが多いためであり、③は、当社がこのたび導入した「あしたのチーム」式人事評価において、全社共通の行動目標のトップに「思いやり」を掲げたように、私は、会社でも、家庭でも、社会生活においても、人間としては「思いやり」が最も大切だと考えるからです。そして④は、運転がうまいとは言えないくせに、ついついスピ-ドを上げている自分にハッとすることが時々あるからでした。⑤から⑩までは、⑧は出来ても、そのほかの5つは控えるに越したことはないけれど、そうもいかないケースにいちいち対応できないだろうと思ったので、外しました。
この宣言を4月11日にFAXした後に、高齢者の運転による重大な交通事故が2件起きました。一つは、4月19日の、東京都豊島区で男性(87)の車が猛スピードで赤信号の交差点に進入し、2人死亡、8人負傷という事故でした。加害者の男性は、旧通産省工業技術院の元院長で、死亡したのは自転車に乗っていた31歳の母親と3歳の娘さんでした。二件目は、6月4日に、福岡市早良区で男性(81)の車が逆走して猛スピードで交差点に突入し、男性と同乗の妻(76)が死亡、他に7人負傷という事故でした。
今年1月の運転免許更新の際に、更新手続き前に70歳から74歳までの免許更新を希望する人が受けなければいけない高齢者講習を受講しましたが、この高齢者講習や「やわやわ運転」自主宣言で、自分も高齢者なのかなあと思わされていたところに、高齢者による重大交通事故の発生で、高齢者であることを自覚してハンドルを握らなければいけないと、改めて思ったのでした。
そして6月7日に、まもなく75歳になる俳優の杉良太郎さんが、運転免許証を返納し、「年齢による衰えを感じる人は、事故を起こす前に運転をやめることを考えてほしい」と呼びかけたというニュースが流れました。私の運転免許証の有効期限は、平成34年2月2日までとなっています。ということは、その時75歳。私も75歳を迎える前に運転免許証を返納したほうが良いかなと思いましたが、自分で運転できないときの不便さを想像すると、これからの2年間で自動車の自動運転の技術開発が進み、完全自動運転に近づいていて、今より安全に車を運転できるのではないかとも思いました。
まずはこれから75歳まで、車に乗り込んだら、まず運転席側のドアに貼ってある「やわやわ運転」自主宣言証を見て、「余裕を持った運転計画を立てる」、「思いやり運転をする」、「速度を控えて運転する」の3つを、今まで以上に真剣に黙読してからエンジンを始動させたいと思っています。
それにつけても、「早くできろ、自動運転車!」です。
3月3日(日)、高志の国文学館館長中西進氏の特別講演を富山県美術館で聴きました。中西先生のことはほとんど知らなかったのですが、大学で日本文学を専攻していた次女に中西先生の講演を聴きに行くと話すと、「中西先生はすごい人なのよ」と言うのです。改めて講演会のチラシのプロフィールを見たら、文化勲章受章とありました。
チラシに書かれていた演題「余白そして留守」は、当日ステージに掲げられたハンガー看板には「余白 空白 そして留守」に変わっていました。富山県美友の会の事務局にこのことを聞いたら、変更された演題の書かれた紙を当日持ってこられたとのこと。「余白 空白 そして留守」の方が、七五調でリズム感があると思いました。
中西先生は新元号「令和」の考案者とみられているということで、4月1日の新元号発表以降マスコミに何度も取り上げられる時の人ですが、講演会の3月3日は、いろんな日本画や洋画をスライドで紹介しながら、ユーモア溢れる講演をする89歳の館長さんでした。
以下に、iPadにメモした講演内容を紹介します。
最初に、美大生が描いた、色が塗られておらずキャンバスのベニヤがそのまま見えている絵について、「絵の中に余白があると言われるとエッと思うが、絵を考えることは楽しい。つまらないのは万葉集(笑)」という万葉集研究の大家の出だしに、会場の雰囲気が和らぎました。
続いて、尾形光琳の燕子花(かきつばた)図を紹介して、「根が描いてないし土も描いてない。こんな描き方しかなかったのか?と言うと叱られる(笑)。これを根も葉もない絵(笑)といいます」と、また笑わせられました。
歌川広重の木曽路之山川(きそじのやまかわ)のスライドでは、「白い山だけで他に何も描いてない」に始まり、メモを読み返したら意味がよく理解できなかったのですが、「“味の素”の素とは白。白とは元、元とは無である」と続きました。「元素」ともメモしており、白についてだけでもこれだけ深く考えておられることに、すごいと思いました。
長谷川等伯の松林図屏風(しょうりんずびょうぶ)のスライドでは、「余白が代表的な絵だと言われている。意図的な白、巧まれた白」とメモしていました。そして「松竹梅」に話が展開し、松と竹と梅の取り合わせは人間の優れた感覚を表していて、梅は匂い(嗅覚)、 竹は伸びる(視覚)、 松は風の音(聴覚)だと話されてから、「この絵に松が密集していたら音は無い。密に描かれていたら意味がない」と、空白から松と音の関係を説明され、成る程と感心しました。
そして「留守」に話が展開します。作者未詳「誰が袖屏風」(たがそでびょうぶ)で、「これは誰の袖(誰が袖)か分からない小袖を描いた絵だが、近景を描いているが留守にした人物の存在を描いている」、また、「平安時代に牛車に乗った女性が着物の裾を簾の下からチラッと見せた。それで男か女か、位はどれほどかが分かる」、「俳諧では無月という季語がある。月がないのだけれど月の存在を示すものがある」として、姿が見えないが存在するものを描く、書くのが日本なのだと話されたのでした。深いですね。
「ファン・ゴッホの椅子」の絵では、「留守を描いているが椅子の上に何かを描いたのが限界である」と話され、「非在は存在に非ず」だが、「不在は留守であり、愛嬌もある。狂言にも留守を題材にしたものがある」、「崇高なるものはあると信じる。宇宙(もあると信じるからある)」とメモしています。
講演は、「表現の正道(せいどう)を真っ直ぐに歩いてきたのが日本画家である」と締めくくられました。
この講演を聴いた後に、令和の考案者と目された中西先生の言葉が新聞にたびたび取り上げられましたが、講演を聴いていただけに、ほとんどすべての記事を読みました。今読み返すと、中西先生らしいコメントだと思うものがいくつかありました。
『5月10日発売の月刊誌「文芸春秋」で、「典拠としては国書である万葉集が良いと考えた。令に勝る文字はないと中西という人は思っていた」と明かした。』(5月11日 富山新聞) とありますが、「中西という人は思っていた」に、令和の考案者について明らかにしないという政府の方針を上手にかい潜り、ユーモアもある表現だと思いました。
また、5月1日の日経新聞には、令という文字について、「一般的には訓読みをしない漢字だからなじみが薄かったのですが『令(うるわしい)』という概念です。『善』と並び、美しさの最上級の言葉です。これと『和』を組み合わせることで、ぼんやりした平和ではなく、うるわしい平和を築こうという合言葉になる」に、講演会で聞いた「“味の素”の素とは白。白とは元、元とは無である」を思いだし、言葉についての考察の深さを改めて思いました。
これからの令和の時代が、中西先生の持論「元号は時代に対する、おしゃれみたいなもの。美的な感覚を楽しむ文化の一つ」を実践し、肩の力を抜きつつも、うるわしい平和な時代を作るために、私も楽しみながら、しっかり歩んでいきたいものだと思います。
3月21日の祝日、北陸新幹線の並行在来線として富山県内を走る「あいの風とやま鉄道」と、石川県内の「IRいしかわ鉄道」に乗って、越中宮崎駅と倶利伽羅駅の間(21駅)を一往復しました。
かかった料金は、IRいしかわ鉄道の区間の石動駅と倶利伽羅駅の往復料金460円だけで、あいの風とやま鉄道はゼロでした。ゼロだったのは、当社が「あいの風とやま鉄道」ファンクラブの法人会員として有効期限が3月31日までの1日フリー切符を一枚持っていて、これを使ったからです。
呉羽11:47⇒倶利伽羅12:23、所要時間36分、運賃760円
倶利伽羅13:19⇒高岡13:41、 所要時間22分、運賃460円
高岡16:20⇒泊17:37(乗換)17:43⇒泊越中宮崎 17:48、 所要時間1時間28分、運賃1,460円
越中宮崎18:39⇒泊18:48 、所要時間9分、運賃210円
泊19:06⇒呉羽19:57、所要時間51分、運賃1,110円
原稿を書きながら運賃を合計してみたら丁度4,000円、460円は自分で払ったので、3,540円分がフリー(無料)となったことになります。では、なぜこんな行程を組んだかをこれからお話しします。
以前からこのフリー切符を使って行ってみたいと思っていたのが、入善にある「牡蠣ノ星」。海洋深層水の水槽から取り出した牡蠣を食べさせてくれるという牡蠣料理店です。オーストラリアに行った時には、姉妹提携しているロータリークラブの男性会員と白ワインを飲みながら、お互いにレモンをしぼって生牡蠣にかけ、それをひとり2ダースほど食べたくらいの牡蠣好きの私です。しかし、この店は休日や祝日は2時間待ちという話を聞いていたので今回はパスし、代わりに高岡で自家製のクラフトビールが飲める店Latticework BREWING Tap Houseに立ち寄ることにしま した。この店は、妻の姪の夫トシアキ君が、姪の実家のある高岡の金屋町に昨年から準備して今年開店した店で、準備中に一度訪れて飲みましたが、開店してからは出かけていなかったのです。
呉羽駅からまず西に向かい下車してUターンする駅を、フリー切符の西の端の石動ではなく、その次の倶利伽羅にしたのは、源氏と平家による倶利伽羅峠の戦いを想ったからです。また、東の端の越中宮崎では、下車して駅の近くのヒスイ海岸でヒスイを見つけられるかもというかすかな期待がありました。
さて、これまではあいの風とやま鉄道で高岡に出かける時に、車窓からじっくりと景色を眺めることはなかったのですが、今回は工場の看板に書かれた社名を読み、戸建ての家々ではどんな家族が暮らしているのだろうかと想像しながら倶利伽羅に到着。降りたのは、背広にネクタイ姿の若いサラリーマン風の男性と私の2人だけ。改札口の手前には木で作った大きな黒い牛が置いてあり、倶利伽羅峠の戦いで使われた火牛だと分かりました。駅員はおらず、金属の箱に呉羽駅で購入していた230円の切符を入れて駅を出ました。駅の前のレトロな赤い郵便ポストは、小さな駅舎とよく似合っていました。駅の前の道は誰も歩いておらず、車もほとんど通りません。駅を出て左に行くと直ぐに倶利伽羅周辺の散策マップを描いた大きな案内看板がありましたが、俱利伽羅不動寺の場所に付けられていた写真をみて、一度訪れたことがあったと懐かしく思いました。一番早い 高岡行きの列車が来るまでに小一時間あり、看板を見た後は木の牛の横のベンチで、読みかけの本を読み終えました。一緒に降りたサラリーマン風男性も、戻りの列車に乗り込みました。彼は何をしていたのでしょうか?
高岡駅にはトシアキ君が車で迎えに来てくれていて、普段は午後6時開店の店を開けてくれました。現在トシアキ君が醸造して提供している4類のクラフトビールを一種類ずつ味わいながら、トシアキ君の起業のきっかけや資金調達の話や、泊駅前に美味しいと評判の蕎麦屋があるそうだという耳寄りの情報を聞いているうちに1時間半が過ぎ、トシアキ君に送ってもらい高岡駅へ。16:20発の列車に乗り東に向かい泊まで行き、乗り換えて6時前に越中宮崎駅に到着。ここも無人駅で、待合室のガラスケースの中にヒスイの原石が展示されていました。薄暗くなってきていた宮崎海岸でしたが、10人くらいの家族がヒスイを探していました。私も、これかな?と思う石を拾ってショルダーバッグに入れましたが、帰宅して数えたら20個もありました。
帰りは蕎麦につられて泊駅で下車し、改札の駅員さんに蕎麦の店をたずねると、駅の目の前の民家風の店でした。「酒蕎楽 (しゅきょうらく)くちいわ」という珍しい名前の店先に貼ってあったのが「本日、御予約で満席です」。でも中の様子だけでも見てみようと引き戸を開けて入ると、カウンターには美味しそうにお酒を飲む客と色んな銘柄の日本酒が並んでいます。今度は予約して来て飲んで食べようと思いながら、店を出て泊駅に向かいました。
蕎麦が食べられなかった分だけ予定より1時間以上早く呉羽駅に戻り、8時間10分の「あいの風とやま鉄道」石動⇔越中宮崎の往復乗車を完了しました。普段は、北陸新幹線でひたすら早く移動することを考えている私ですが、時間を気にせず、ぼんやり景色を眺め、初めての駅に降り立ち、おいしいクラフトビールを飲むという、文字通り非日常的な経験ができました。
今年もこの1日フリー切符が5枚送られてきました。1枚は私が使わせてもらいますが、4枚は今年もフリーマーケットに出品します。どなたか、お一人でも、ご家族とでも、のんびり旅にチャレンジしてみませんか。