3月21日の祝日、北陸新幹線の並行在来線として富山県内を走る「あいの風とやま鉄道」と、石川県内の「IRいしかわ鉄道」に乗って、越中宮崎駅と倶利伽羅駅の間(21駅)を一往復しました。
かかった料金は、IRいしかわ鉄道の区間の石動駅と倶利伽羅駅の往復料金460円だけで、あいの風とやま鉄道はゼロでした。ゼロだったのは、当社が「あいの風とやま鉄道」ファンクラブの法人会員として有効期限が3月31日までの1日フリー切符を一枚持っていて、これを使ったからです。
呉羽11:47⇒倶利伽羅12:23、所要時間36分、運賃760円
倶利伽羅13:19⇒高岡13:41、 所要時間22分、運賃460円
高岡16:20⇒泊17:37(乗換)17:43⇒泊越中宮崎 17:48、 所要時間1時間28分、運賃1,460円
越中宮崎18:39⇒泊18:48 、所要時間9分、運賃210円
泊19:06⇒呉羽19:57、所要時間51分、運賃1,110円
原稿を書きながら運賃を合計してみたら丁度4,000円、460円は自分で払ったので、3,540円分がフリー(無料)となったことになります。では、なぜこんな行程を組んだかをこれからお話しします。
以前からこのフリー切符を使って行ってみたいと思っていたのが、入善にある「牡蠣ノ星」。海洋深層水の水槽から取り出した牡蠣を食べさせてくれるという牡蠣料理店です。オーストラリアに行った時には、姉妹提携しているロータリークラブの男性会員と白ワインを飲みながら、お互いにレモンをしぼって生牡蠣にかけ、それをひとり2ダースほど食べたくらいの牡蠣好きの私です。しかし、この店は休日や祝日は2時間待ちという話を聞いていたので今回はパスし、代わりに高岡で自家製のクラフトビールが飲める店Latticework BREWING Tap Houseに立ち寄ることにしま した。この店は、妻の姪の夫トシアキ君が、姪の実家のある高岡の金屋町に昨年から準備して今年開店した店で、準備中に一度訪れて飲みましたが、開店してからは出かけていなかったのです。
呉羽駅からまず西に向かい下車してUターンする駅を、フリー切符の西の端の石動ではなく、その次の倶利伽羅にしたのは、源氏と平家による倶利伽羅峠の戦いを想ったからです。また、東の端の越中宮崎では、下車して駅の近くのヒスイ海岸でヒスイを見つけられるかもというかすかな期待がありました。
さて、これまではあいの風とやま鉄道で高岡に出かける時に、車窓からじっくりと景色を眺めることはなかったのですが、今回は工場の看板に書かれた社名を読み、戸建ての家々ではどんな家族が暮らしているのだろうかと想像しながら倶利伽羅に到着。降りたのは、背広にネクタイ姿の若いサラリーマン風の男性と私の2人だけ。改札口の手前には木で作った大きな黒い牛が置いてあり、倶利伽羅峠の戦いで使われた火牛だと分かりました。駅員はおらず、金属の箱に呉羽駅で購入していた230円の切符を入れて駅を出ました。駅の前のレトロな赤い郵便ポストは、小さな駅舎とよく似合っていました。駅の前の道は誰も歩いておらず、車もほとんど通りません。駅を出て左に行くと直ぐに倶利伽羅周辺の散策マップを描いた大きな案内看板がありましたが、俱利伽羅不動寺の場所に付けられていた写真をみて、一度訪れたことがあったと懐かしく思いました。一番早い 高岡行きの列車が来るまでに小一時間あり、看板を見た後は木の牛の横のベンチで、読みかけの本を読み終えました。一緒に降りたサラリーマン風男性も、戻りの列車に乗り込みました。彼は何をしていたのでしょうか?
高岡駅にはトシアキ君が車で迎えに来てくれていて、普段は午後6時開店の店を開けてくれました。現在トシアキ君が醸造して提供している4類のクラフトビールを一種類ずつ味わいながら、トシアキ君の起業のきっかけや資金調達の話や、泊駅前に美味しいと評判の蕎麦屋があるそうだという耳寄りの情報を聞いているうちに1時間半が過ぎ、トシアキ君に送ってもらい高岡駅へ。16:20発の列車に乗り東に向かい泊まで行き、乗り換えて6時前に越中宮崎駅に到着。ここも無人駅で、待合室のガラスケースの中にヒスイの原石が展示されていました。薄暗くなってきていた宮崎海岸でしたが、10人くらいの家族がヒスイを探していました。私も、これかな?と思う石を拾ってショルダーバッグに入れましたが、帰宅して数えたら20個もありました。
帰りは蕎麦につられて泊駅で下車し、改札の駅員さんに蕎麦の店をたずねると、駅の目の前の民家風の店でした。「酒蕎楽 (しゅきょうらく)くちいわ」という珍しい名前の店先に貼ってあったのが「本日、御予約で満席です」。でも中の様子だけでも見てみようと引き戸を開けて入ると、カウンターには美味しそうにお酒を飲む客と色んな銘柄の日本酒が並んでいます。今度は予約して来て飲んで食べようと思いながら、店を出て泊駅に向かいました。
蕎麦が食べられなかった分だけ予定より1時間以上早く呉羽駅に戻り、8時間10分の「あいの風とやま鉄道」石動⇔越中宮崎の往復乗車を完了しました。普段は、北陸新幹線でひたすら早く移動することを考えている私ですが、時間を気にせず、ぼんやり景色を眺め、初めての駅に降り立ち、おいしいクラフトビールを飲むという、文字通り非日常的な経験ができました。
今年もこの1日フリー切符が5枚送られてきました。1枚は私が使わせてもらいますが、4枚は今年もフリーマーケットに出品します。どなたか、お一人でも、ご家族とでも、のんびり旅にチャレンジしてみませんか。
今年の干支は私の干支の亥年で、1月2日に72歳になりました。そこで1月7日の新年式での年頭あいさつでは、プレゼンテーションの最初のスライドにブロンズの猪6匹の写真を映し出して、72歳になったことをアピールしました。
猪は猪突猛進すると言われていますが、私は「1月2日生まれなので前年の干支の犬に近い猪だから、犬の賢さも備えた猪だ」と他人(ひと)には言っていました。しかし、28歳で当社に入ってからの44年間を振り返ると、やはり前へ前へと突っ走ってきたと思います。
年頭のあいさつは、今年が初年度の第2期中期経営計画VISION2021から始め、キャッチフレーズの3Cは、Chance、Challenge、Changeの頭文字の3つのCだと説明しました。そしてChallengeの項で以下のスライドを写し当社でチャレンジしてきたことを話しました。
『私は、昭和50年に当社に入ってから、ずいぶん多くのことにチャレンジしてきました。富山県の建設業者では一番最初にコンピュータを導入し、ロータスノーツによる情報共有も図りました。近年「けんせつ小町」と称される女性技術者は、建設省時代の平成3年からこれまでに延べ16人採用し、リフレッシュカーも開発しました。品質マネジメントシステムのISO9001やCZ式原価管理なども導入しました。平成5年には前田道路との共同企業体合材工場とやまエコン(現 ほくりくエコン)を設立し、平成15年からは 子会社朝日ケアによる介護事業も始めました。これらは全て「やってみなはれ」の精神で行ったことです。失敗するリスクを恐れてやらない、やらないうちから批判する人がいますが、そういう考え方はつまらないし、そういう人の人生もつまらないと思います。打席に入ったら、空振りを恐れずバットを振りましょう。一度もバットを振らずに三振しないことです。積極果敢にチャレンジしましょう!』
このチャレンジ精神はいつ頃から身についたかと振り返ると、学生時代やサラリーマン時代は決して積極的にチャレンジしてきたとは言えません。周りの流れで高校受験し大学受験しただけで、進学することに対して確たる目的があったわけではありませんでした。大学に入学して入った柔道部は、体力のなかった私には厳しい稽古でしたが退部することなく5年間在籍し、国立七大学柔道優勝大会には選手として出場しました。しかし、寝技に持ち込めば負けなかったので「分け役(引き分けることが役目)で満足し、勝って次の相手と戦う役目の「取り役」を目指そうとはしませんでした。社会人では、スーパーゼネコン2社の採用試験にいずれも建設会社の長男ということで落ち、大学の先輩から声をかけられ関西の中堅ゼネコンに入社し5年間働きました。建築営業部で真面目に仕事はしたものの、いろんな課題のあった会社や部署を変えようとしたこともスキルアップのための自己研鑽もせず、夜な夜な飲み歩いていました。
朝日建設に入社してからは、それまでと一転して前述の様に新しいことに次々にチャレンジしてきましたが、その原動力は、現状を改善、改革しようという意欲であったと思います。入社した時から、当時の200人近くの社員も、同業者や取引先、銀行など社外の人たちも誰もが私が3代目社長になるものとして接しました。そんな状況では、経営者として利益をきちんと上げるために現状を変えていかなければいけないと思うのは、ごく自然のことだったのでしょう。
しかし、仕事以外の勉強会に参加するうちに、CI(コーポレート アイデンティティ)や企業理念などについて考える様になりました。そして、アンパンマンマーチの歌詞にある「何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」に行き着くのです。私は、富山大学で講義する時も、中学校で課外授業をする時も、採用活動でも、パワーポイントのスライドにアンパンマンを画面いっぱいに映した後にこの歌詞を映します。そして、ドキンちゃんとバイキンマンを映してから中村天風師の「ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものはない」の言葉を映して、「皆さんの生きる目的は何ですか?」と問いかけるのです。
私の生きる目的は、英国の天文学者ハーシェルが彼の友人に語った「わが愛する友よ、われわれが死ぬときには、われわれが生まれたときより、世の中を少しなりともよくして逝こうではないか」(I wish to leave this world better than I was born .)と同じ想いの下に、当社の経営理念「朝日建設は、建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる。」を実行することです。土木事業無くして、普通の暮らしは成り立ちませんし、文明を発展させる基盤を作るのが土木です。私は、土木という素晴らしい仕事に携われて幸せだと思っています。
幸い、ここ十数年ほどは、風邪をひいて会社を休んだことがありません。休んだのは、2012年10月の脊柱管狭窄症の手術と、昨年の2月の白内障の手術の時だけです。干支が6巡した今年、背中はずいぶん曲がってきましたが、中村天風師の「絶対積極」を心と行動の軸として、心は真っ直ぐに勇気をもってチャレンジを続けたいと、これまで以上に強く思っています。
そして今チャレンジしているのが、新しい人事評価システムを当社に導入し、制度を構築することです。この人事評価制度は、昨年11月に「人事評価制度7つの新常識」というタイトルのセミナーで知り、経営理念の2番目「朝日建設は、人を経費ではなく成長する資源と考える」の具体的な行動になると直感し、「これはチャンスだ!」と、当社への導入を決めたものです。現在、この制度を開発した「あしたのチーム」の担当者と私、専務、営業本部長、総務部長の5人で作業を進めていますが、作業を重ねるごとに、行動目標と数値目標が連動した制度で、業務、営業、総務のそれぞれの部門で、一人ひとりの社員の成長のために使えるとの確信を強めています。この制度で当社がどのようにチェンジしていくのか楽しみです。