ANAマジック

2018.12.02

このコラムのコーナーのタイトルは「見たり聞いたり出会ったり」ですが、ここ3ヶ月間、ANA(全日空)に関して「見たり聞いたり出会ったり」したことがたくさんありました。
 最初は10月13日千歳空港でのこと。今年10月10日の結婚40周年を記念して、昭和50年に当社に入ってから発熱や入院以外で初めて会社を2日間休み、当社の慰安旅行での付き合いがあるエヌトラベルにプランを依頼し、飛行機、レンタカー、宿の手配をしてもらって、11日から13日まで2泊3日で妻と北海道を旅しました。3日目の13日、レンタカーで小樽から札幌に戻り車の燃料を満タンにしてレンタカー会社に車を返す時に、指定されたガソリンスタンドを探すのに手間取り、札幌駅から列車に乗って新千歳空港駅に着いたのが16時27分。羽田への飛行機の出発時刻が17時ちょうどで、空港で妻がお土産を買ったり、ANAの搭乗手続き場所を探すのにモタモタしていて、保安検査場の順番待ちの列に並んだのが16時47分頃。通りかかったANAの女性スタッフに17時発の72便はこの列で良いかと尋ねたところ、搭乗手続きは終わっている、出発時刻の15分前までに保安検査場を通過しなければいけないとのこと。これでは羽田空港から富山空港への最終便に乗れない、今夜はもう1泊北海道かと思ったところ、この女性が次の便の空席があるかしらべてみると言ってその場を離れすぐに戻ってきて、次の74便に空席があったとのことでチケットを変更してくれていました。この間にエヌトラベルの中井社長に電話して、先ず乗り遅れたことを、次に、次の便に変更してもらえたことを話したら「さすが全日空!」と言われましたが、機敏な対応が嬉しかったです。
 次が11月1日に聴いた健康社会学者の河合薫さんによる講演「女性の力を引き出すマネジメント力~残念な職場にしないために~」での話。健康社会学とは個人とその環境の関わり方についての学問であり、心理学の究極のゴールは自分自身が強くなること。そして、客室乗務員(CA:キャビンアテンダント)としてつとめたANAの職場環境が自分を変えた。国際線CAの2期目で、当時JALの1万人の国際線CAに対してANAは500人だった。飛んでいたのは4年間だったが、この間に急成長した。初めてワシントン行きの飛行機に搭乗した時のこと。離陸前に全てのトイレを掃除するが、離陸してからも乗客がトイレを使った後に直ぐにそのトイレを掃除しなければいけない。当時はタバコを吸ってもよかったので、JALではCAがポリ袋の中にタバコの吸い殻を入れていたが、ANAはタバコの灰が飛び散らないよう、吸い殻をピンセットで摘んでポリ袋に入れていた。休む間がないきつい仕事にガックリしたが、帰りにお客さまから「ありがとう」と言われ続けようと思った、という話が耳に残っています。
 3つ目は11月10日に呉羽懇話会の例会で聴いた、全日空富山支店長の井上かおりさんによる講演「富山の魅力を発信!~旅の人から見る富山~」での話。井上さんが感じた富山の課題や素晴らしいところに成る程と思わされましたが、最後にANA流おもてなしの話をされました。その中に、北海道苫小牧市出身の井上さんが全日本空輸苫小牧支店に配属になっていた2004年、駒大苫小牧高校が甲子園で優勝し選手たちがANAの便で帰る時の機内アナウンス「ご搭乗の皆様、これから津軽海峡を、駒大苫小牧ナインの全員と真紅の大優勝旗が一緒に渡ります。そして、来年、再来年と連覇を続けて下さい」は、井上さんが駒大苫小牧ナインが乗る飛行機を知っていて、井上さんからリレー方式で空港のスタッフ、そして機長、CAにつながって実現したという話がありました。これが、お客様接点におけるANAマジックで、お客様と共に最高の喜びを創るために、その時できる最高のサービスを目指す、「私らしい」サービスを創る、「あなたらしい」判断を尊重する、とのことです。しっかりした会社には、しっかりした理念があると思いました。
 そして4つ目。12月6日に高知で開催された会議に出席するため、羽田空港経由で富山空港と高知空港を往復しましたが、羽田から高知への飛行機でのことです。背中を曲げていかにも年寄りという姿の私を見てのことだと思いますが、私の席が奥の方だったので、CAさんが「お運びしましょうか?」と私のキャスター付きスーツケースを運んでくれました。その間に前述の井上支店長から聞いたANAマジックと津軽海峡を渡った真紅の大優勝旗の話をしました。着席した後、感じの良いこのCAさんに「私の長男は39歳なのだけれどまだ独身なんです」と話すと、私の心を見透かされ「私には9歳の子供がいます。他のCAに聞いてみますね」と言われ、女性の年齢は分からないものだとビックリしました。そして高知空港に着陸して、このCAさんは再び私のスーツケースを運びながら私にカードを手渡しました。そこには手書きの文が書かれていて、空港の食堂で昼食をとりながら読みましたが、「林様 本日はご搭乗頂きましてありがとうございました。(中略)何気なくお手伝いしただけなのですが、お客様の言葉から『ANAマジック』と耳にし少し驚きました。講演の内容も覚えていて下さりありがとうございます。今後も『当たり前のことほど丁寧に』を心に留め、お客様の心に残る『ANA流のおもてなし』を実践させて頂きます。次回のご搭乗も心よりお待ちしています。2018.12.6 NH563 CREW」と書かれていました。ANA流おもてなしに触れて感激しました。ホテルに着いてからこのことを 井上支店長にカードの写真付きで「嬉しいですね」とメールしたところ、「そういうお言葉が、CAはやりがいを感じ心から嬉しく思っています」との返信メールがありました。
 帰りの便や羽田空港でもちょっと嬉しいことがあったのですが、長くなりましたので割愛します。北陸新幹線の開通でANAを使わなくなりましたが、これからは出来るだけANAを利用しようと思っています。

データ改ざん事件

2018.11.01

10月16日に国交省が、油圧機器メーカーKYBと子会社による免震・制振装置のデータ改ざんが行われていたことを発表しました。2000年3月以降出荷された製品で、出荷前に行う検査では国交省の基準や顧客の性能基準に合わない値が出ていたのに、基準値内に収まるように書き換えて出荷していたというのです。
 10月19日の富山新聞のコラム「時鐘」では、5年前の映画「謝罪の王様」の主人公の「謝罪師」が、数々のトラブルを解消していくという話から始まり、今回の免震・制振装置のデータ改ざんで、また一つ「謝罪師」の仕事が舞い込んだと続け、各業種でデータ改ざんが多発する背景には「この程度なら、まぁいいか」との感覚マヒがあると思うと書いています。そして「ま、いいか現象」を一掃しないと、謝罪師の出番は増えるばかりだと結んでいます。
 翌20日の朝日新聞の「天声人語」では、最後のセンテンスで、「組織に身を置けば、そこだけで通じる論理に染まりがちだ。十戒でなくても、自分なりの戒めの言葉を持ちたい。たとえば寅さんの名セリフなどは、どうだろう。『おてんとうさまは見ているぜ』」と記していました。
  私はこの2つのコラムを読み、友人である高知県礒部組の宮内技術部長が、彼のブログ「答えは現場にあり!技術屋日記」に書いていた「石工の話 再考」を思い起こしました。以下に転記します。
宮本常一『庶民の発見』より本文を引用する。
石工たちは川の中で仕事をしていたが、立って見ていると、仕事をやめて一やすみするために上ってきた。私はそこで石のつみ方やかせぎにあるく範囲などきいてみた。はなしてくれる石工の言葉には、いくつも私の心をうつようなものがあった。
 「金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。・・・泣くにも泣けぬつらいことがある。子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい。田舎をあるいていて何でもない見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・」と。(P.24~25) 「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような・・・・・。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。(P.25)
 いかがでしょうか。この石工さんは、「おてんとうさまは見ている」からでなく、「やっぱりいい仕事をしておくのがいい」という気持ちで、「この程度なら、まぁいいか」とせず、「子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい」、そして、「自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」と思って石を積んでいるのです。
でも、この石工さんも「まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともある」と正直に言っていますが、現代社会では「組織に身を置けば」なおさら、予算や納期の制約から品質を落とす方向に傾きがちになることは、私も長年経営に携わってきて理解できます。
 しかし、当社の経営理念「建設事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる」ためには、やはりいい仕事をしなければいけない、このことを改めて思った今回の免震・制振装置のデータ改ざん事件です。

プロに出会った

2018.10.02

10月4日から3日間、富山市建設業協会の旅行に参加しました。

 見学したのは、初日が東京オリンピックのための新国立競技場と海の森水上競技場の建設現場、そして迎賓館、二日目は千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館と成田山新勝寺、三日目が鎌倉の円覚寺と鶴岡八幡宮でしたが、それぞれに見所があり、初日の夜の、浅草で芸者と幇間(ほうかん)の芸を楽しみながらの宴会も楽しいものでした。

 しかし、今回の旅行の一番の想い出は、私が乗ったバスのガイドさんの案内でした。

 私は、観光バス会社「東京パッセンジャー」の黄色い3台のバスの2号車に乗りましたが、この2号車のバスガイドが、3人のバスガイドの中では最年長と一目で分かる中澤秀子さんでした。

 発車して最初の「私は父が60歳、母が49歳の時の子供で、8人兄弟の末っ子。母は19歳で長野から家出し11歳年上の父と出会い、最初の子を妊娠した。その一番上の姉は80歳を超えているが、秀子という名前は、その姉が高峰秀子のファンだったので、末っ子の私の名前を秀子にしました」との自己紹介に、このバスガイドさんは50歳を超えているのだと分かりましたが、何とも印象に残る自己紹介だと感心しました。そして自分もこんな風に印象に残る自己紹介をしたいものだと思いました。

 二日目の出発の時には、「昨日、私の名前の秀子は高峰秀子の秀子から付けられたと言いましたが、実際は高峰秀子の秀子ではなく、ヒデーエ子が名前の由来。父が経営していた老舗の観光バス会社内山観光を身売りして、家計が苦しいときに生まれたので、ヒデーエ子から秀子と名づけられました」と、笑いを取りながら初日の話を上手に展開させたのに、またまた感心させられました。

 そして三日目。案内中に時々咳き込んでいたのですが、「両親が歳とっての子なので、小さい時から小児喘息で、今日のように雨が降るとエヘン虫が出てきます」と、初日と二日目に話した自分の生い立ちを絡めて咳き込みを説明しました。これを聞くと咳払いが気にならなくなりましたが、生い立ちの話を、何とも上手に状況に応じて使うものだと感服しました。

 もちろん観光案内も上手でした。初日に荒川を通ったときには「全国に荒川は47あるが富山県にも2つあって、一つは小川温泉の側」との説明に、富山県のことをしっかり調べていると思いましたが、富山県と富山市の人口も暗記していました。乗客の出身地を考えた上でのガイドだとこれにも感心しました。

 二日目は千葉県でしたが、「千葉県の知事はタレントだった森田健作さんですが、千葉県の投票率は良くない。それは千葉都民と言われる東京で働き千葉県では寝るだけの住民が多く、千葉県のことに関心を持っていないから」という話や、自分で手描きした千葉県の形のマスコットキャラクター「チーバくん」を見せながら、日本で最初の私立病院の順天堂医院(開院以来、病院ではなく医院の呼称を使っている)は佐倉市に出来たこと、日本地図を作った伊能忠敬が千葉県九十九里町の出身で、この日本地図を見て英国人は日本を植民地にすることを諦めたという話、長嶋茂雄は佐倉市の出身、江戸時代の佐倉藩領の義民木内惣五郎(佐倉惣五郎)の話、歌舞伎役者の初代市川団十郎が成田山新勝寺の近くの出身なので、歌舞伎で市川団十郎が登場すると「成田屋!」と掛け声をかけるなどの興味深い話に、すっかり千葉県のことを知ったつもりになりました。

 歌も歌ってくれました。小さい頃に聞いた初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」、そして三代目コロンビア・ローズの、東京タワーが出てくる「夢のバスガール」、上手でした。

 小咄やクイズでも喜ばせてくれ、常願寺川上流で生まれたという昔話「ささこじぞう」の朗読では、おじいさんとおばあさんの声を使い分け、まるで声優のような語り口でした。

 最終日に羽田空港に向かっているとき、「バスが走っている高速道路はJFEの敷地内を通っているが、平成14年に日本鋼管と川崎製鉄が合併してJFEとなった。JはJapan、Feは鉄の元素記号、Eはエンジニアリングを組み合わせたもの」という説明に、大学時代の柔道部同期の親友が日本鋼管に就職していたので、彼を思い出しながらこの説明を聞いていました。

 羽田空港の手前で、「以前通った宇奈月温泉、小川温泉、金太郎温泉、今は高速で通り過ぎてしまうけれど、トロッコで黒部峡谷を奥まで行ってみたい」と富山県の話をしてから、「一杯いっぱいお叱りを受けたことを心に留めます」との最後のことばに、こんなに楽しませてくれたのに、何と謙虚な言葉かと感動しました。「お叱り」とは、最終日の道順を、前日に自宅で模造紙に手描きした地図を使って説明した際に、旅行会社の勘違いから昼食場所を鶴岡八幡宮から歩いてさほどではない場所をプロットしていたため、実際には鎌倉の町をずいぶん歩かなければいけなくなったこと一つだけだと思います。でも、旅行会社のミスであってもきちんと謝る、プロの仕事とはこういうことなのだろうと思いました。

 羽田空港に着いてバスを離れるときに、秀子さんをハグして、プロに出会えた感謝の気持ちを表しました(ハグすることは、事前通告していました)。