9月4日の富山新聞を読んでいたら、私の義兄(妻の姉の夫)である文苑堂書店吉岡会長兼社長が「笑いヨガ」講座のチラシを持ってにこやかに笑っている写真が目に飛び込んできました。「健康づくり 書店が応援」の見出しの記事には、翌5日に「健康生活応援教養講座」の一環として、文苑堂書店の豊田店で行われる、笑いながら体を動かす「笑いヨガ」紹介されていました。
私は以前、ガン患者に吉本喜劇を観せたら、ガン細胞が減ったという話を聞いたことがあります。また、朝から不機嫌そうな顔をした社員を見ると、「出社前に夫婦喧嘩でもしたのだろうか?」と余計な心配をしてしまうので、この講座への参加を即決しました。
講座はウイークデーの日中の開催ということで、参加は私一人男性であとは中年の女性5人でした。1時間の講座の中で、男性と女性の2人の講師による説明と実演を交えながら約20種類の笑いヨガを体験しましたが、終わる頃にはかなり汗をかいていました。
このコラムのタイトル『5分!「ゲラゲラ筋」を鍛えましょう』は、講座が終わって購入した、インドで笑いヨガを学び、帰国後日本笑いヨガ協会を設立した高田佳子さんの著書「大人の笑トレ」のサブタイトルです。
会社に戻り早速、最初に習った基本動作を実践しました。総務部に入るときに、左右に手拍子しながら「ホ、ホ」、「ハハハ」と3回繰り返して言ったあとに「イェーイ」と言いながら両手を上に伸ばしたのです。あさひホームの朝の申し送りでも、介護スタッフに話して一緒に「イェーイ」とやりました。
この本の「はじめに」に、「人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる」とありますが、私が尊敬する中村天風師(日本初のヨガ行者。天風会を創始し、心身統一法を広めた)も、「おかしくとも何ともないときに、嘘でもいいから笑ってごらん」と言っています。そして「喜びや、楽しみや、ほほえみは、どんなに大げさにしてもいいんだよ」とも言っています。
また、この本の中の「笑いと健康」と題するコラムで、奈良県立医科大学臨床教授の福岡篤彦さんが笑いが健康に良い影響があるとして、①精神・心理学的影響(笑いは人生の満足度を上げ、痛みのある人では痛みを感じにくくする効果)、②心臓・循環器系への影響(笑いは血管の柔らかさを保ち、動脈硬化、心筋梗塞、高血圧の予防、再発防止に効果)、③糖尿病への影響(笑うことで食後過血糖が抑えられる)、④免疫力〔感染症やガンから体を守るシステム〕に良い影響(細菌やガンをやっつける最初の段階で関わるナチュラルキラー〔NK〕細胞の活性化)が、科学的に証明されつつあると書いています。
私が作り、毎朝職員が唱和している朝日ケアの運営理念は、「私たちの仕事はお年寄りに満足してもらうこと。満足を測るものさしの一つに心からの笑顔がある。この笑顔とは、お年寄りだけではなく、家族も介護スタッフも地域住民も含んだ皆の笑顔である。」ですが、この講座を聴き、良い運営理念だと一人悦に入っています。
中村天風師は「あなた方、ニコニコ笑顔の人のそばにいるのと、むずかしいしかめっつらしている人のそばにいるのと、どっちが気持ちいいか」とも言っていますが全く同感です。これからは「笑いヨガ」を実践し、もっともっと笑顔でいたいと思いますし、皆さんにもこの本をお勧めし、当社の社員全員がニコニコの笑顔になることを願っています。
8月の朝礼は「国語力を高めよう!」のタイトルでお話しました。今月のコラムはこの朝礼の原稿ですが、手抜きではありません。朝礼に、現場の都合で参加できなかった社員にもぜひ考えてもらいたい内容だからです。内容は以下の通りです。
このタイトルにしたのは、私の子ども全員が通った呉羽小学校の児童が作成したチラシに「たかが命、されど命」と書かれていたことにショックを受けたからです。妻から、長男がこのチラシを見て、この言葉に「これはないよ」と怒っていたと聞き、私もチラシを見た途端「これはこのまま放ってはおけない」と思いました。
「たかが○○、されど○○」の「たかが」の後に来る言葉は、「たかが百円、されど百円」というように価値の小さいものがくるのであって、価値の高いもの、それも一番大切な命を持ってくるとは何事かと思ったのでした。
私は、中学校の課外授業でも富山大学経済学部で行う講義でも、冒頭にアンパンマンマーチの歌詞「何のために生まれて、何をして生きるのか」を映し、昨年105歳で亡くなられた聖路加国際病院の日野原重明先生が、小学5年生に行ってきた「いのちの授業」で必ず話された「いのちとは自分が使うことのできる時間」を紹介し、命=時間を自分のためだけではなく、世のため人のために有意義に使おう、という先生の思いを伝えてきただけに、「たかが命」になおさら憤りを感じたのです。
会社に行く途中、呉羽小学校に「注意したいことがある」と電話し、事務員に代わった校長先生に次のように話しました。「チラシのテーマは“今すぐできる地震対策”で、内容もいろいろ調べてあって良いのだが、裏面のトップに「たかが命、されど命」と書いてあり、これがこのまま町内に配られたのはどういうことか?児童は、こんな言葉も知っているよと自慢気に使ってみたかったのだろう。しかし、クラス担任が原稿に目を通していると思うが、何も注意せずにそのまま配布させたとすれば、この先生の国語力が低いと思わざるをえない。これを見て不適切な表現だと気づいた呉羽小学校下の住民は、呉羽小学校の教育力に不信感を抱くのではないか」と話したのです。校長先生は「自分はそのチラシは見ていないが、指導が行き届いていなくて申し訳ありません」と応えられました。
私はこの由々しき話を、会社で社員に、また知人に話しましたが、あまり共感を得られない、それどころかおかしいとは思わないという反応さえあり、愕然としました。
言葉の意味が時代とともに変わっていくことは理解しています。しかし「情けは人の為ならず」を「人に情けをかけるとその人のためにならない」というように間違って解釈してはダメです。「たかが○○」もそうです。国語力を高め、正しい日本語の使い方をしたいものです。
ベストセラーになった「国家の品格」の著者の、数学者であり作家である藤原正彦さんが、小学校から英語を教えることは日本を滅ぼすもっとも確実な方法であると、小学校からの英語教育必修化を批判して「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」と述べていますが、私はこの主張に大いに共感しています。
政治家でも、間違った言葉を使ってマスコミにたたかれる人はたくさんいます。麻生太郎さんが総理大臣時代に「未曾有(みぞう)」を「みぞうゆう」と言って「漫画ばかり読んでいるからだ」と揶揄されましたが、安倍総理も「云々(うんぬん)」を「でんでん(伝々)」と誤読し、民進党の議員が「でんでん虫、虫、安倍ソーリ♪」と揶揄したと聞きました。人の間違いを面白おかしくからかうのはいかがなものかと思いますが、やはり一国のトップは、言葉に注意を払って欲しいものです。
人はそれぞれに、知識レベルや学びの経験も違いますが、子どもでも大人でも正しい日本語を使うという姿勢を持ち続けていただきたいと思います。そして、そのためには、読書し新聞を読み、知らない言葉に出会ったら必ず辞書で調べることです。
美しい日本語を、継承していきましょう。
一昨年から富山大学経済学部の経済学特殊講義で、富山新聞文化センターの寄付講座「現場の経営学:地域企業の経営者から学ぶ」の講師を務めていますが、今年も6月20日(水)に、今回の特殊講義の10人目の講師として講義を行いました。
この寄付講座の提案者である富山新聞文化センター マネジメント・アカデミー代表の中村哲夫さんからは、過去2回の私の講義が90分間の授業のうち80分間ほどを講義に費やし学生との質疑応答の時間が短かったので、今回の講義は70分間で終わるようにと言われていました。そこで、今回はこれまでの2回の講義の経験を踏まえて、講義のテーマ「私の経営観」をより明確に学生に伝えられるようにスライドの選択や順序、スライド以外の補足説明などを考えました。
今年は人文学部からも学生が聴講していて、送られてきた学生の感想文の送付状には人文学部教授名で、「ご講義では、御社が社会のインフラ整備に深く関わる分野で事業展開され、社会に役立つ仕事に関わることを通して社員の人としての成長を望んでいらっしゃるとの話をお聞かせ頂きました。(中略)何よりも、歴史上の人物の言葉から、英語や日本語の語源、個人的体験、だれもが知っているアンパンマンの歌まで、多様な例を巧みに結びつけながら語られた姿には、御社の活動が、林様の深く幅広い教養と思索に基づいた確かな経営理念によってなされていることが感じられました。」と記されていました。
いささかほめすぎでこそばゆく感じましたが、学生たちの感想文を読むと、私の講義をしっかり聴き、私の話からそれぞれに学んでくれた様子がうかがえ嬉しく思いました。私の講義が目指した、「学生たちに日本の将来を担う人間になってもらいたい」、そのために「生きる目的、働く意味について考えさせる」という目的の達成度合いを、それぞれの感想文から感じられたからです。
人文学部3学年の男子学生は、「今日の講義で印象に残っている言葉は『I wish to leave this world better than I was born.(この世の中を、私が死ぬときは、私が生まれたときより少しなりともよくして逝こうではないか)』です。この言葉を聞いて、自分が生まれたことで、人のため世のために何ができるのか、自分が生まれなかった世界よりもどれだけ人の役に立てるのかを考えると、これまで恥ずかしくて人のために働いたり動いたりするのをためらっていましたが、これからは自信を持って、自分が生まれてきた意味を考え続けながら、行動しようと思います。自分なんか生まれてこなければよかったと悪い面に目を向けるのではなく、自分が生まれたことで人のためにどうプラスになるのかという良い面に目を向けたいです。」と結んでいました。
昨年も英国の天文学者ハーシェルのこの言葉を紹介しましたが、この言葉についての感想はありませんでした。今回は彼一人ではありますが、この言葉についての感想を述べながら自分が今後生きていく姿勢を考えてくれたことに感動しました。それは、私が初めてこの言葉を知った昨年は、言葉の紹介だけでしたが、今年は、この言葉は当社の経営理念の「ふるさと富山を発展させる」に繫がっていて、この言葉を私自身の生きる指針としているということが、この学生にも伝わったと思ったからです。
また、私が作った方程式「有意義に生きる=働く」について、36人のうち8人が直接触れていましたが、このことも嬉しかったです。この方程式も私の生きる指針であり、私にとって「どのように働き、有意義に生きるか」は、「この富山を、私が死ぬときは、私が生まれたときより少しなりともよくする=ふるさと富山を発展させる」ことなのです。
そのほか何人かの感想文に、これまでの経営者の講義が、会社の経営課題や業界の課題に関するものであったのと違い、私のそれは人生についての話が多く哲学的だったという感想や、最後のスライド「袖振り合うも他生の縁」(写真2)に関して、「林社長には来世でも何かの縁でお会いできればと思いました」や、「人として生きる上で大切なことをたくさん教えて頂けて、とても光栄でした。『前世で何かの縁があったからこそ、こうして出会えた』とおっしゃられていたのがとても素敵に感じた」などの思いがけない感想もあり、私自身の今後のプレゼンテーションの参考になりました。
中村天風の言葉「準備が完全でなくて、仕上げが完全に出来ようはずがない」を実感した今回の講義でもありました。