H中学1年7組

2019.02.01

2月7日に、富山経済同友会の会員が県内各地の中学校で行っている課外授業の講師として、H中学校で3年ぶりに授業をしました。「生き方を学ぶ講演会『13歳の学び』」というテーマのもとに、1年生9クラス全ての教室で、同友会会員が一人ずつ担当して授業を行ったのですが、私の担当は7組でした。

 私がこれまで行ってきた授業のタイトルは、中学2年生時に行う「14歳の挑戦」の前に話すことが多かったので、最初の頃は「学ぶこと、働くこと」、その後、聖路加国際病院の日野原重明先生が創立された「新老人の会」の活動に参加してからは「生きること、学ぶこと、働くこと」が定番になっていました。

 今回もAppleが開発したプレゼンテーションソフトKeynote(キーノート)で、授業の資料を作りましたが、タイトルは「生きること、学ぶこと、働くこと」でも、話す順番を「生きること」、「働くこと」、「学ぶこと」とし、これまでのスライドの順番を入れ替えたり、付け加えたり、削除したりしました。それは、私が伝えたいことの流れが、「生きている=いのちがある。いのちとは自分の使える時間。人間に生まれてきたのは人の世の役に立つため」→「働くとは、端を楽にすること。働くとは有意義に生きること」→「よりよく生き、よりよく働くためには、よりよく学ぶこと」だからです。

 この流れに従って、いろんな人の言葉や、言葉の意味などを紹介していきます。母を見舞った時に看護師さんが言った言葉から授業を始めて、アンパンマンマーチの歌詞、日野原重明先生と中村天風の言葉、「働く」の語源、イギリスの天文学者ハーシェルの言葉、まどみちおの詩「朝がくると」、朝日建設の経営理念とやっている仕事、哲学の英語philosophyの意味、能力を高めるのに一番大事なのは考え方、そして松下幸之助の言葉まで続くのです。

 授業した日はとても良い天気で暖かかったのですが、途中で居眠りしていた生徒は私の目の前に座っていた男子生徒一人で、以前他の中学校にいたような、後ろを向いて平気で私語する生徒や行儀の悪い生徒は皆無でした。

 授業を終えて、しっかり準備し、それなりに伝えたいことは伝えられたかなとは思いましたが、いつもの私の悪い癖で、これも言いたい、あれも伝えたいとの思いからスライドが多くなり過ぎていて、果たしてどれだけ生徒の心に残ったのかといささか不安に思いながら、アンケート結果を待ちました。

 アンケートは5問で、

1.講義の内容はどのくらい理解できましたか。①とても理解できた ②理解できた ③あまり理解できなかった ④まったく理解できなかった

2.講義の内容はあなたの役に立ちましたか。①とても役に立った ②役に立った ③あまり役に立たなかった ④まったく役に立たなかった

3.今日の講師の話をまた聴いてみたいと思いましたか。①とてもそう思う ②そう思う ③あまりそう思わない ④まったくそう思わない

4.講師の話の中で、あなたの心に一番強く残ったことを教えてください。

5.その他、授業の感想、講師への一言など自由に書いてください。でした。

 生徒数は33人で、問1と2に①をつけたのが21人、問1が②で問2が①は4人、問1が①で問2が②は1人、問1も2も②が6人でした。これは33人中32人が私の講義を理解し、役に立ったと思ってくれたということであり、何とも嬉しい限りです。もう1人は問1が③、問2と3が④でしたが、おそらく目の前でほとんど寝ていた生徒だと思います。

 問4の記述では、看護師さんの言葉「人間が生きているのには、必ず意味があります」が多かったのですが、日野原先生の言葉「生きている=いのちがある。いのちとは自分の使える時間」や「今という時、今日という日を精一杯生きて、寿命という器を生きた時間で満たしましょう」、中村天風の言葉「ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものはない」や「この世、この時、人間に生まれてきたのは、人の世の役に立つために生まれてきたんだよ」もいくつかあり、今回初めて話したハーシェルの言葉「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくして逝こうじゃないか」も書かれていました。また、私が説明した「働くとは、端を楽にすること」、「役に立つ仕事をして初めて給料がもらえる」や、私が作った方程式「働く=有意義に生きる」も書かれていました。

 問5の記述では、「生きていることに感謝して、この話を参考にこれからに生かしていきたい」、「この世を良くするために、私も自分のできることを頑張りたいなと思いました」、「とても将来に役立つ内容で、来てもらえて良かったなと思いました」、「社会や、外国語関連の話が多く、受けていて楽しい講演だった」、「たった1時間程度なのに、人生のほとんどが今回の話だと思いました。これからの人生を生きて行き、ひとのためになりたいと思いました」、「講師の先生の会社のような、その会社が何をしたくて、何の(ために)誰のために運営しているのかが分かるところに勤めたいと思いました」など、生徒たちにしっかり受け止めてもらえたと思いました。また、「お忙しい中、本当にありがとうございました」というお礼の言葉がいくつもあり、「御社の100周年パーティーが盛大に行われることを願っています」というのもありました。ちなみに、問1が③、問2と3が④の生徒の問5には「本をよもうと思った」とありました。

 以上は、私の授業が終わってから教室で書いたアンケートの内容でしたが、学校から追加で送られてきた6枚の感想の中に、「私は今までに何回かこういった話は聞いたことがあるけど、ここまで心に響いた講演は初めてでした。生きること、命の重さ、働くことの意味。人間が生きるのには必ず意味がある。いのちとは、自分の使える時間のこと。働くのは、端(周りの人)を楽にすること。この3つの言葉がとても心に残っています。これからの一生、この言葉を大切にして生きていきたいと思いました」と書かれていました。これまでに行ってきた課外授業を振り返り、どうしたら生徒の心に残る授業になるかと一生懸命考えて準備したことに対するご褒美だと感じました。

絶対積極

2019.01.01

今年最初のこのコラムは、今月15日から17日までの3日間、各部門で行なった朝礼での私の話に肉付けします。

 私は富山市相撲連盟副会長として、毎年1月に行われる新春稽古始めの開会式で、小・中学生や高校生の選手を前に挨拶をしていますが、今年は、身体より精神が大事だという話をしようと思いました。そこで、このように話し始めました。

 日本では武道や相撲で「心技体」の3つの要素をバランスよく鍛えなければいけない、と言われますが、「健全なる精神は健全なる身体(肉体)に宿る」という言葉もあります。身体が健全であれば、それに伴って精神も健全になるとして、何事も身体が元であると言っているのです。しかし私は以前からこの言葉はちょっとおかしいのではないかと思っていました。プロ野球の大物スター選手で覚醒剤を使用し何度も逮捕された人もいれば、大相撲の力士にも野球賭博や暴力行為で廃業した力士がいました。アマチュアスポーツ界でも、ドーピング検査で陽性反応が出てメダルを剥奪された選手が世界各国にいましたし、昨年は特に、パワハラやセクハラで世間を騒がせた大物指導者が話題にもなっていたからです。

 そこでこの「健全なる精神は健全なる身体(肉体)に宿る」という言葉を調べてみました。そうすると古代ローマ時代の詩人ユウェナリスの言葉からきているが、元々は、「賢明な人間が神に願うのは、健全な精神と健全な肉体、この2つさえあれば、それだけで満足するべきである」というもので、「宿る」とはどこにも書いてないということです。

 その後しばらくは本来の正しい意味で使われていましたが、近世になって世界規模の大戦が始まると状況は一変しました。ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改ざんしながら、軍国主義を推し進めたのです。その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなり、このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いているということです(ウイキペディア、「ユウェナリス」から)。

  このことを紹介し、つぎのように挨拶を続けました。

 中村天風という昭和の大哲学者がいます。山本五十六、東郷平八郎、原敬、松下幸之助、稲盛和夫、ロックフェラー3世といった後の政界、財界の大物たちが天風の教えに影響を受け、大相撲で69連勝した横綱双葉山も天風の門下生でした。中村天風は日露戦争の軍事探偵、今で言うスパイとして満蒙で活躍。帰国後、当時不治の病であった肺結核を発病し、日本でもアメリカでも治らず、船での帰国途中にスエズ運河で停まっていたときインドのヨガの大行者に誘われ、その行者の下、ヒマラヤの麓での2年半の修行ですっかり結核が治りました。この天風は「身体病んでも、心まで病ますな」と言い、「心が体を動かしている」と考えました。この一年、皆さんはしっかり心を鍛えてください。

 以上が私の挨拶ですが、これからはこの挨拶の後、更に考えたことです。

私は今年の新年式で、今年から始まる新しい中期経営計画「VISION2021」のサブタイトル「3C」について説明しました。3Cとは、Chance,Challenge,Changeですが、これもまず心がスタートです。チャンスをつかもうとする心、挑戦しようとする心、変わろう、変えようとする心がなければ、念仏のようにこの3Cを唱えていても、何もつかめず、挑むこともなく、変わることもありません。3Cに向かう心は積極的な心なのです。

 私は人生においては中村天風が言う「絶対積極」が最も大事だと思います。天風の「絶対積極」とは、「人間として生きてきたからには、積極的に生きようではないか。苦しいことがあったからと言って、下を向かずに前を向くべき」というもので、人生を好転させるのは自分の心の持ちよう次第であるという積極的思考の教えであり、天風は絶対積極について、次のように言っています。

「心がその対象なり相手というものに、決してとらわれていない状態、これが絶対的な気持ちというんだよ。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。けっして張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、もう一段高いところにある気持ち、境地、これが絶対的な積極なんですぜ。」

 日々、心がけたいものです。

ANAマジック

2018.12.02

このコラムのコーナーのタイトルは「見たり聞いたり出会ったり」ですが、ここ3ヶ月間、ANA(全日空)に関して「見たり聞いたり出会ったり」したことがたくさんありました。
 最初は10月13日千歳空港でのこと。今年10月10日の結婚40周年を記念して、昭和50年に当社に入ってから発熱や入院以外で初めて会社を2日間休み、当社の慰安旅行での付き合いがあるエヌトラベルにプランを依頼し、飛行機、レンタカー、宿の手配をしてもらって、11日から13日まで2泊3日で妻と北海道を旅しました。3日目の13日、レンタカーで小樽から札幌に戻り車の燃料を満タンにしてレンタカー会社に車を返す時に、指定されたガソリンスタンドを探すのに手間取り、札幌駅から列車に乗って新千歳空港駅に着いたのが16時27分。羽田への飛行機の出発時刻が17時ちょうどで、空港で妻がお土産を買ったり、ANAの搭乗手続き場所を探すのにモタモタしていて、保安検査場の順番待ちの列に並んだのが16時47分頃。通りかかったANAの女性スタッフに17時発の72便はこの列で良いかと尋ねたところ、搭乗手続きは終わっている、出発時刻の15分前までに保安検査場を通過しなければいけないとのこと。これでは羽田空港から富山空港への最終便に乗れない、今夜はもう1泊北海道かと思ったところ、この女性が次の便の空席があるかしらべてみると言ってその場を離れすぐに戻ってきて、次の74便に空席があったとのことでチケットを変更してくれていました。この間にエヌトラベルの中井社長に電話して、先ず乗り遅れたことを、次に、次の便に変更してもらえたことを話したら「さすが全日空!」と言われましたが、機敏な対応が嬉しかったです。
 次が11月1日に聴いた健康社会学者の河合薫さんによる講演「女性の力を引き出すマネジメント力~残念な職場にしないために~」での話。健康社会学とは個人とその環境の関わり方についての学問であり、心理学の究極のゴールは自分自身が強くなること。そして、客室乗務員(CA:キャビンアテンダント)としてつとめたANAの職場環境が自分を変えた。国際線CAの2期目で、当時JALの1万人の国際線CAに対してANAは500人だった。飛んでいたのは4年間だったが、この間に急成長した。初めてワシントン行きの飛行機に搭乗した時のこと。離陸前に全てのトイレを掃除するが、離陸してからも乗客がトイレを使った後に直ぐにそのトイレを掃除しなければいけない。当時はタバコを吸ってもよかったので、JALではCAがポリ袋の中にタバコの吸い殻を入れていたが、ANAはタバコの灰が飛び散らないよう、吸い殻をピンセットで摘んでポリ袋に入れていた。休む間がないきつい仕事にガックリしたが、帰りにお客さまから「ありがとう」と言われ続けようと思った、という話が耳に残っています。
 3つ目は11月10日に呉羽懇話会の例会で聴いた、全日空富山支店長の井上かおりさんによる講演「富山の魅力を発信!~旅の人から見る富山~」での話。井上さんが感じた富山の課題や素晴らしいところに成る程と思わされましたが、最後にANA流おもてなしの話をされました。その中に、北海道苫小牧市出身の井上さんが全日本空輸苫小牧支店に配属になっていた2004年、駒大苫小牧高校が甲子園で優勝し選手たちがANAの便で帰る時の機内アナウンス「ご搭乗の皆様、これから津軽海峡を、駒大苫小牧ナインの全員と真紅の大優勝旗が一緒に渡ります。そして、来年、再来年と連覇を続けて下さい」は、井上さんが駒大苫小牧ナインが乗る飛行機を知っていて、井上さんからリレー方式で空港のスタッフ、そして機長、CAにつながって実現したという話がありました。これが、お客様接点におけるANAマジックで、お客様と共に最高の喜びを創るために、その時できる最高のサービスを目指す、「私らしい」サービスを創る、「あなたらしい」判断を尊重する、とのことです。しっかりした会社には、しっかりした理念があると思いました。
 そして4つ目。12月6日に高知で開催された会議に出席するため、羽田空港経由で富山空港と高知空港を往復しましたが、羽田から高知への飛行機でのことです。背中を曲げていかにも年寄りという姿の私を見てのことだと思いますが、私の席が奥の方だったので、CAさんが「お運びしましょうか?」と私のキャスター付きスーツケースを運んでくれました。その間に前述の井上支店長から聞いたANAマジックと津軽海峡を渡った真紅の大優勝旗の話をしました。着席した後、感じの良いこのCAさんに「私の長男は39歳なのだけれどまだ独身なんです」と話すと、私の心を見透かされ「私には9歳の子供がいます。他のCAに聞いてみますね」と言われ、女性の年齢は分からないものだとビックリしました。そして高知空港に着陸して、このCAさんは再び私のスーツケースを運びながら私にカードを手渡しました。そこには手書きの文が書かれていて、空港の食堂で昼食をとりながら読みましたが、「林様 本日はご搭乗頂きましてありがとうございました。(中略)何気なくお手伝いしただけなのですが、お客様の言葉から『ANAマジック』と耳にし少し驚きました。講演の内容も覚えていて下さりありがとうございます。今後も『当たり前のことほど丁寧に』を心に留め、お客様の心に残る『ANA流のおもてなし』を実践させて頂きます。次回のご搭乗も心よりお待ちしています。2018.12.6 NH563 CREW」と書かれていました。ANA流おもてなしに触れて感激しました。ホテルに着いてからこのことを 井上支店長にカードの写真付きで「嬉しいですね」とメールしたところ、「そういうお言葉が、CAはやりがいを感じ心から嬉しく思っています」との返信メールがありました。
 帰りの便や羽田空港でもちょっと嬉しいことがあったのですが、長くなりましたので割愛します。北陸新幹線の開通でANAを使わなくなりましたが、これからは出来るだけANAを利用しようと思っています。