10月16日に国交省が、油圧機器メーカーKYBと子会社による免震・制振装置のデータ改ざんが行われていたことを発表しました。2000年3月以降出荷された製品で、出荷前に行う検査では国交省の基準や顧客の性能基準に合わない値が出ていたのに、基準値内に収まるように書き換えて出荷していたというのです。
10月19日の富山新聞のコラム「時鐘」では、5年前の映画「謝罪の王様」の主人公の「謝罪師」が、数々のトラブルを解消していくという話から始まり、今回の免震・制振装置のデータ改ざんで、また一つ「謝罪師」の仕事が舞い込んだと続け、各業種でデータ改ざんが多発する背景には「この程度なら、まぁいいか」との感覚マヒがあると思うと書いています。そして「ま、いいか現象」を一掃しないと、謝罪師の出番は増えるばかりだと結んでいます。
翌20日の朝日新聞の「天声人語」では、最後のセンテンスで、「組織に身を置けば、そこだけで通じる論理に染まりがちだ。十戒でなくても、自分なりの戒めの言葉を持ちたい。たとえば寅さんの名セリフなどは、どうだろう。『おてんとうさまは見ているぜ』」と記していました。
私はこの2つのコラムを読み、友人である高知県礒部組の宮内技術部長が、彼のブログ「答えは現場にあり!技術屋日記」に書いていた「石工の話 再考」を思い起こしました。以下に転記します。
宮本常一『庶民の発見』より本文を引用する。
石工たちは川の中で仕事をしていたが、立って見ていると、仕事をやめて一やすみするために上ってきた。私はそこで石のつみ方やかせぎにあるく範囲などきいてみた。はなしてくれる石工の言葉には、いくつも私の心をうつようなものがあった。
「金をほしうてやる仕事だが決していい仕事ではない。・・・泣くにも泣けぬつらいことがある。子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい。田舎をあるいていて何でもない見事な石のつみ方をしてあるのを見ると、心をうたれることがある。こんなところにこの石垣をついた石工は、どんなつもりでこんなに心をこめた仕事をしたのだろうと思って見る。村の人以外には見てくれる人もいないのに・・・」と。(P.24~25) 「しかし石垣つみは仕事をやっていると、やはりいい仕事がしたくなる。二度とくずれないような・・・・・。そしてそのことだけ考える。つきあげてしまえばそれきりその土地とも縁はきれる。が、いい仕事をしておくとたのしい。あとから来たものが他の家の田の石垣をつくとき、やっぱり粗末なことはできないものである。まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともあるが、そんな工事をすると大雨の降ったときはくずれはせぬかと夜もねむれぬことがある。やっぱりいい仕事をしておくのがいい。おれのやった仕事が少々の水でくずれるものかという自信が、雨のふるときにはわいてくるものだ。結局いい仕事をしておけば、それは自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」。(P.25)
いかがでしょうか。この石工さんは、「おてんとうさまは見ている」からでなく、「やっぱりいい仕事をしておくのがいい」という気持ちで、「この程度なら、まぁいいか」とせず、「子供は石工にしたくない。しかし自分は生涯それでくらしたい」、そして、「自分ばかりでなく、あとから来るものもその気持ちをうけついでくれるものだ」と思って石を積んでいるのです。
でも、この石工さんも「まえに仕事に来たものがザツな仕事をしておくと、こちらもついザツな仕事をする。また親方どりの請負仕事なら経費の関係で手をぬくこともある」と正直に言っていますが、現代社会では「組織に身を置けば」なおさら、予算や納期の制約から品質を落とす方向に傾きがちになることは、私も長年経営に携わってきて理解できます。
しかし、当社の経営理念「建設事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる」ためには、やはりいい仕事をしなければいけない、このことを改めて思った今回の免震・制振装置のデータ改ざん事件です。
10月4日から3日間、富山市建設業協会の旅行に参加しました。
見学したのは、初日が東京オリンピックのための新国立競技場と海の森水上競技場の建設現場、そして迎賓館、二日目は千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館と成田山新勝寺、三日目が鎌倉の円覚寺と鶴岡八幡宮でしたが、それぞれに見所があり、初日の夜の、浅草で芸者と幇間(ほうかん)の芸を楽しみながらの宴会も楽しいものでした。
しかし、今回の旅行の一番の想い出は、私が乗ったバスのガイドさんの案内でした。
私は、観光バス会社「東京パッセンジャー」の黄色い3台のバスの2号車に乗りましたが、この2号車のバスガイドが、3人のバスガイドの中では最年長と一目で分かる中澤秀子さんでした。
発車して最初の「私は父が60歳、母が49歳の時の子供で、8人兄弟の末っ子。母は19歳で長野から家出し11歳年上の父と出会い、最初の子を妊娠した。その一番上の姉は80歳を超えているが、秀子という名前は、その姉が高峰秀子のファンだったので、末っ子の私の名前を秀子にしました」との自己紹介に、このバスガイドさんは50歳を超えているのだと分かりましたが、何とも印象に残る自己紹介だと感心しました。そして自分もこんな風に印象に残る自己紹介をしたいものだと思いました。
二日目の出発の時には、「昨日、私の名前の秀子は高峰秀子の秀子から付けられたと言いましたが、実際は高峰秀子の秀子ではなく、ヒデーエ子が名前の由来。父が経営していた老舗の観光バス会社内山観光を身売りして、家計が苦しいときに生まれたので、ヒデーエ子から秀子と名づけられました」と、笑いを取りながら初日の話を上手に展開させたのに、またまた感心させられました。
そして三日目。案内中に時々咳き込んでいたのですが、「両親が歳とっての子なので、小さい時から小児喘息で、今日のように雨が降るとエヘン虫が出てきます」と、初日と二日目に話した自分の生い立ちを絡めて咳き込みを説明しました。これを聞くと咳払いが気にならなくなりましたが、生い立ちの話を、何とも上手に状況に応じて使うものだと感服しました。
もちろん観光案内も上手でした。初日に荒川を通ったときには「全国に荒川は47あるが富山県にも2つあって、一つは小川温泉の側」との説明に、富山県のことをしっかり調べていると思いましたが、富山県と富山市の人口も暗記していました。乗客の出身地を考えた上でのガイドだとこれにも感心しました。
二日目は千葉県でしたが、「千葉県の知事はタレントだった森田健作さんですが、千葉県の投票率は良くない。それは千葉都民と言われる東京で働き千葉県では寝るだけの住民が多く、千葉県のことに関心を持っていないから」という話や、自分で手描きした千葉県の形のマスコットキャラクター「チーバくん」を見せながら、日本で最初の私立病院の順天堂医院(開院以来、病院ではなく医院の呼称を使っている)は佐倉市に出来たこと、日本地図を作った伊能忠敬が千葉県九十九里町の出身で、この日本地図を見て英国人は日本を植民地にすることを諦めたという話、長嶋茂雄は佐倉市の出身、江戸時代の佐倉藩領の義民木内惣五郎(佐倉惣五郎)の話、歌舞伎役者の初代市川団十郎が成田山新勝寺の近くの出身なので、歌舞伎で市川団十郎が登場すると「成田屋!」と掛け声をかけるなどの興味深い話に、すっかり千葉県のことを知ったつもりになりました。
歌も歌ってくれました。小さい頃に聞いた初代コロンビア・ローズの「東京のバスガール」、そして三代目コロンビア・ローズの、東京タワーが出てくる「夢のバスガール」、上手でした。
小咄やクイズでも喜ばせてくれ、常願寺川上流で生まれたという昔話「ささこじぞう」の朗読では、おじいさんとおばあさんの声を使い分け、まるで声優のような語り口でした。
最終日に羽田空港に向かっているとき、「バスが走っている高速道路はJFEの敷地内を通っているが、平成14年に日本鋼管と川崎製鉄が合併してJFEとなった。JはJapan、Feは鉄の元素記号、Eはエンジニアリングを組み合わせたもの」という説明に、大学時代の柔道部同期の親友が日本鋼管に就職していたので、彼を思い出しながらこの説明を聞いていました。
羽田空港の手前で、「以前通った宇奈月温泉、小川温泉、金太郎温泉、今は高速で通り過ぎてしまうけれど、トロッコで黒部峡谷を奥まで行ってみたい」と富山県の話をしてから、「一杯いっぱいお叱りを受けたことを心に留めます」との最後のことばに、こんなに楽しませてくれたのに、何と謙虚な言葉かと感動しました。「お叱り」とは、最終日の道順を、前日に自宅で模造紙に手描きした地図を使って説明した際に、旅行会社の勘違いから昼食場所を鶴岡八幡宮から歩いてさほどではない場所をプロットしていたため、実際には鎌倉の町をずいぶん歩かなければいけなくなったこと一つだけだと思います。でも、旅行会社のミスであってもきちんと謝る、プロの仕事とはこういうことなのだろうと思いました。
羽田空港に着いてバスを離れるときに、秀子さんをハグして、プロに出会えた感謝の気持ちを表しました(ハグすることは、事前通告していました)。
9月4日の富山新聞を読んでいたら、私の義兄(妻の姉の夫)である文苑堂書店吉岡会長兼社長が「笑いヨガ」講座のチラシを持ってにこやかに笑っている写真が目に飛び込んできました。「健康づくり 書店が応援」の見出しの記事には、翌5日に「健康生活応援教養講座」の一環として、文苑堂書店の豊田店で行われる、笑いながら体を動かす「笑いヨガ」紹介されていました。
私は以前、ガン患者に吉本喜劇を観せたら、ガン細胞が減ったという話を聞いたことがあります。また、朝から不機嫌そうな顔をした社員を見ると、「出社前に夫婦喧嘩でもしたのだろうか?」と余計な心配をしてしまうので、この講座への参加を即決しました。
講座はウイークデーの日中の開催ということで、参加は私一人男性であとは中年の女性5人でした。1時間の講座の中で、男性と女性の2人の講師による説明と実演を交えながら約20種類の笑いヨガを体験しましたが、終わる頃にはかなり汗をかいていました。
このコラムのタイトル『5分!「ゲラゲラ筋」を鍛えましょう』は、講座が終わって購入した、インドで笑いヨガを学び、帰国後日本笑いヨガ協会を設立した高田佳子さんの著書「大人の笑トレ」のサブタイトルです。
会社に戻り早速、最初に習った基本動作を実践しました。総務部に入るときに、左右に手拍子しながら「ホ、ホ」、「ハハハ」と3回繰り返して言ったあとに「イェーイ」と言いながら両手を上に伸ばしたのです。あさひホームの朝の申し送りでも、介護スタッフに話して一緒に「イェーイ」とやりました。
この本の「はじめに」に、「人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しくなる」とありますが、私が尊敬する中村天風師(日本初のヨガ行者。天風会を創始し、心身統一法を広めた)も、「おかしくとも何ともないときに、嘘でもいいから笑ってごらん」と言っています。そして「喜びや、楽しみや、ほほえみは、どんなに大げさにしてもいいんだよ」とも言っています。
また、この本の中の「笑いと健康」と題するコラムで、奈良県立医科大学臨床教授の福岡篤彦さんが笑いが健康に良い影響があるとして、①精神・心理学的影響(笑いは人生の満足度を上げ、痛みのある人では痛みを感じにくくする効果)、②心臓・循環器系への影響(笑いは血管の柔らかさを保ち、動脈硬化、心筋梗塞、高血圧の予防、再発防止に効果)、③糖尿病への影響(笑うことで食後過血糖が抑えられる)、④免疫力〔感染症やガンから体を守るシステム〕に良い影響(細菌やガンをやっつける最初の段階で関わるナチュラルキラー〔NK〕細胞の活性化)が、科学的に証明されつつあると書いています。
私が作り、毎朝職員が唱和している朝日ケアの運営理念は、「私たちの仕事はお年寄りに満足してもらうこと。満足を測るものさしの一つに心からの笑顔がある。この笑顔とは、お年寄りだけではなく、家族も介護スタッフも地域住民も含んだ皆の笑顔である。」ですが、この講座を聴き、良い運営理念だと一人悦に入っています。
中村天風師は「あなた方、ニコニコ笑顔の人のそばにいるのと、むずかしいしかめっつらしている人のそばにいるのと、どっちが気持ちいいか」とも言っていますが全く同感です。これからは「笑いヨガ」を実践し、もっともっと笑顔でいたいと思いますし、皆さんにもこの本をお勧めし、当社の社員全員がニコニコの笑顔になることを願っています。