白内障の手術をして

2018.03.02

2月13日に富山市民病院に入院し、両眼の白内障の手術をうけました。

 私の目には、色々な欠陥があります。まず、近眼。中学生の頃、祖父に総曲輪通りのウスヰ時計店で眼鏡を買ってもらって以来、2、3年ごとに、度数のより強いレンズに変えてきました。

 次が赤緑色盲。大学受験の高校3年生の夏休みに、美術クラブのキャプテンとして、富山市の美術展に出展する油絵を描いていました。オレンジ色の食べ頃のカボチャを描いたつもりが、母に「いい色合いの緑ね」と言われ、それで絵を描くことを止めたのでした。

 そして緑内障。大学で柔道部に入りましたが、20人くらいで合宿した1年生のときに、柔道部のOBで医学部の眼科医局に勤務していた先輩に夜中に起こされて、麻酔の目薬をさされ眼に重りを載せて眼圧を測られました。そして私だけに「このまま放っておくと緑内障で失明するぞ」と言われたのです。そこで大学病院で視野検査を受け目薬をもらい、卒業後のサラリーマン時代も、先輩に紹介状を書いてもらった大阪大学附属病院で定期的に検査を受け目薬をもらっていました。富山に戻って直ぐに診てもらった町医者に目薬は必要ないと言われたので、ずっとささずにいました。しかし20年ほど前に、県立中央病院での勤務を経て眼科医院を開業していた高校の同級生に、目が痒くて診てもらったところもう少し検査したいと言われ、その結果、緑内障が進行しないように再び目薬をさすことになり、今日に至っています。

 4番目が乱視で、これもかなりひどく、最近の私は、乱視の入った遠近両用と、パソコンと新聞が読み易くなる乱視の入った近々両用の眼鏡を、会社と自宅に2個ずつ持っていました。

 こんな私の目ですが、数年前から新聞や書類が読み辛くなり、データ印の日付を合わせるのに虫眼鏡を使っても数字がハッキリ見えなくなってきました。そこで一昨年、前述の同級生の医師に白内障ではないかと尋ねたところ、まだ手術はしなくてもよいだろうとのこと。しかし、緑内障の検診で視力を測る度に見え難くなってきたので、富山市民病院に紹介状を書いてもらい、昨年の11月8日に受診しました。その結果3ヵ月後の今年の2月13日の朝入院して午後に右眼を手術し、1日置いて15日の午後に左眼を手術して翌日16日の午前中に退院することに決まりました。1月29日に、妻も一緒に手術の説明を受けました。濁った水晶体の代わりに白内障手術で眼の中に挿入する人工のレンズの焦点距離をどうするかということで、 眼鏡無しで新聞や本を読みたいと思い30cmに決めました。

 雪が激しく降る2月13日、長男に1時間以上かけて車で病院まで送ってもらい、午前中は検査をし、午後4時半過ぎに、当日の5人の手術の最後の患者として手術室に入りました。世の中には手術を怖がる人もいますが、私はむしろ興味津々で手術室に向かいました。6年前に、脊柱管狭窄症の手術を全身麻酔で受けたときもそうでした。今まで経験したことが無い新しい経験ができることに、ワクワクするのです。今回もそうでした。ベッドに寝かされて手術されるとばかり思っていたのに、歯医者さんにあるような椅子に座らせられたのが最初の驚きでした。そして麻酔液が点眼されいよいよ手術。ブルー色が目の前に浮かび、それがピンク色に変化していくのを観察し、メスで切っているのだなと感じたりしているうちに、40分ほどで手術が終わりました。左眼のときは今度は何色が見えるだろうかと楽しみになりました。

 病室に戻り、夕食前に目薬をさすため手術した右眼の眼帯をはずしたときは戸惑いました。右眼を閉じて手術していない左眼で見るシーツや看護婦さんのマスクの白色、そして窓外の民家の屋根に積もった雪の色より、左眼を閉じて手術した右眼だけで見る白色の方が明るく白いのです。私は、白内障の手術をしたら物がハッキリ見えるようになるとだけ思っていましたので、色まで変わって見えるとはおかしいと思ったのです。翌朝、回診にみえた担当の医師にこのことを尋ねたら、白内障は水晶体がただ濁るだけでなく、徐々に黄色がかってきて、進行すると茶色がかってくるとのこと。最初に作った遠近両用眼鏡は、メガネ店の勧めでグレーのレンズを入れたのですが、美術館では本当の色を見たくて眼鏡をはずして鑑賞し、それも不便なので、同じ度数で乱視の入った色のついていない遠近両用の眼鏡を追加で作って美術品を鑑賞していました。しかし、医師の話を聞いて、新しく作った色のついていない眼鏡でも、本当の色は見えていなかったのだと思わされました。もっとも色盲ですので、これでも正常な人の目で見るのとは違って見えているのでしょうが、これは致し方ありません。

 左眼の手術も無事に終えて、退院してすぐに近視だけの眼鏡をつくりましたが、手元を見るには眼鏡をはずします。そして感激したのは、自分の手指の皺や指紋が眼鏡無しではっきり見えたことと、データ印の日付を、さっと変えることができたことでした。

 退院して1週間後の2月23日の再診で視力検査をしました。いちいち手元を見るのに眼鏡をはずすのはわずらわしいので、遠近両用眼鏡も作ることに医師と話していたからです。検査の結果は、乱視があるので乱視も入った遠近両用の眼鏡を作ることになりました。医師に、「人工レンズを入れたら乱視はなくなると思っていたのに?」と質問したところ、乱視の原因のゆがみは、水晶体にも角膜にも起こり、私の場合は水晶体のゆがみが大きかったので、角膜の小さなゆがみを矯正するだけで良いのだとのこと。3月13日に最後の受診をし、遠近両用で乱視も少し入った眼鏡の処方箋をもらいました。医師に「よく見えるようになりました」と話すと、「女性の方が術後の変化が大きい、自分の肌のしみやそばかすがはっきり見えてしまうから」には、笑わせられました。

 今は、もうすぐ出来上がる眼鏡を楽しみに待っていますが、こんなことも思っています。

 肉体の目のレンズ(水晶体)と同様に、心の目のレンズも、知らず知らずの内に濁ったり色がついたりして、他人も自分自身も正しく見られないようになってくる、それに気づき、本当の色を見るようにしなければいけないということです。

 心身ともに絶大な効果があった、今回の白内障の手術でした。

「当て外れ」

2018.02.02

1月28日の地元新聞の記事に、またまた財務省に腹が立ちました。記事の大見出しは、「企業撤退 広がる波紋」、中見出しが「利用者“難民化”現実味」、「介護運営難100自治体」でした。そして記事の概要を示したリードには、「介護大手の地方からの撤退が波紋を広げている。介護現場では専門業者のノウハウやスタッフに頼ってきただけに、自治体では『企業としての経営判断かもしれないが、やりきれない』と困惑の声も。利用者の受け皿探しが厳しい中、懸念する“介護難民”が現実味を帯びてきた。」とあり、本文では、まず福島県での事例を挙げ、次の節の小見出し「多角化」で、介護大手の多角化の理由を記し、最後の節の小見出し「当て外れ」で、こうなった理由が書かれていました。この「当て外れ」を読み、心の底から腹が立ったのです。

 「国が軽度の要介護者向けサービスを市区町村に移行させたのは、介護費の抑制と地方の実情に応じた多様なサービスの提供を期待したからだった。制度改革に関わった財務省幹部は『軽度の介護なら、住民主体による助け合い事業に置き換えても十分カバーできると思った』と振り返る。

 しかし、実際は『判定上軽度でも認知症や難病の患者、自力の入浴が困難な利用者へのサービスを住民のボランティアでまかなうのは不可能』(中略)

 国も各地に展開する大手介護を、全国一律にサービスを提供する『ユニバーサル企業』と暗に位置づけていたが、当てが外れた形だ。

 厚生労働省幹部は、『動き出した住民主体の流れを止めるわけにはいかない。しかし、専門的なサービスを受けられない利用者の救済も急務だ』と語り、難しいかじ取りを迫られている。」という記事です。

 このどこに腹が立ったのか。まず「介護費の抑制と地方の実情に応じた多様なサービスの提供を期待した」です。とにかく医療や介護などの社会保障費を抑えることしか考えていない財務省ですから、「期待」は「介護費の抑制」にあり、「地方の実情に応じた多様なサービスの提供」は、後付けの理屈に過ぎないと思います。そんなことだから、「制度改革に関わった財務省幹部は『軽度の介護なら、住民主体による助け合い事業に置き換えても十分カバーできると思った』と振り返る。」ことになったのです。介護現場の現実を知らない財務省の役人が、「住民主体による助け合い事業」ときれいごとの言葉を使って軽度の介護をボランティアに委ねようとしても、彼らは介護の中身もボランティアの現実も分かっていないのだから「十分カバー」などそもそもできるはずがなかったのです。全く無責任なものです。

 私は先日、富山市の千石町通り商店街振興組合が作った映画「まちむすび」を観ていて、なるほどと思ったシーンがありました。千石町の住民が神通川原で行っている清掃活動を、千石町の住民ではない男性(主人公の相棒)が手伝いながら、「住民の参加を募るには全くの無償ではなく、千石町商店街だけで通用する地域通貨をお礼に渡したら良いのではないか」と提案したシーンです。このようなアイデアなくして、住民主体による助け合い事業が定着するとは思えません。

 また、「大手介護を、全国一律にサービスを提供する『ユニバーサル企業』と暗に位置づけていたが、当てが外れた形」と甘い判断だったことを「当てが外れた」と書かれていますが、当てが外れた原因は、前節「多角化」の最初に、「ニチイの17年3月期決算は、介護分野のもうけを示す営業利益が110億円。前年同期比で60%を超えるアップだ。報酬の高い重度の介護保険サービスにシフトした効果とみられる。」にあるとおりです。企業経営者なら「選択と集中」で利益のより多い分野に経営資源を集中するという判断は当たり前なのですが、1円たりとも金をもうけたことの無い財務省の役人には分からなかったのです。

 そして記事の最後の部分にまたまた腹が立ちました。「厚生労働省幹部は、『動きだした住民主体の流れを止めるわけにはいかない。しかし、専門的なサービスを受けられない利用者の救済も急務だ』と語り、難しいかじ取りを迫られている」でした。何をもって「動きだした住民主体の流れ」と言うのでしょうか。自分たちの政策を強引に推し進めるために、動き出してはいないのに動き出したとでっち上げることが必要だったのでしょう。

 私は2014年12月のコラム「来年の介護保険改定に異議あり」で、「財務省が、介護の全サービスの利益率の加重平均が8%程度で、中小企業の売上高純利益率の平均2.2%より高いという理由で、利益率の高い事業の単価を下げるように主張している」ことに対して、これでは「まるで社会主義経済ではないか」と書き、2016年3月のコラム「厚労省の施策に憤り 〜介護業の定昇導入 助成〜」では、当社の4月の賃金改定に当たっては「厚労省の愚策を反面教師にして、民間企業としての賃金制度、賃金体系は時代の変化に対応し、また会社の経営理念に照らしてどのようにあるべきかを念頭に議論したいと思います。」と書いて、財務省や厚労省の介護行政を批判しました。

 私は、財務省と厚労省の役人が、改悪としか思えない制度改革を机上の論理で次々と打ち出す状況が変わらぬ限り、利用者の“難民化”は現実に起きると思います。さあ、それに備えて、どういう経営判断をするのか、朝日ケアの介護事業は正念場を迎えています。

71歳

2018.01.02

昨年1月のこのコラムのタイトルは「70歳」でした。書き出しは、「今月の2日に満70歳になりました。今年の年賀状には、『1月2日に70歳!!なんだか嬉しい気分です』と書き添えました。(中略)ではなぜ『嬉しい気分』を感じたのかと自問しました。それは、70歳から新しいことが始まる予感がして、わくわくしているからだろうと思い至りました。」でした。

 そして、その理由として「より大きな理由は、当社が昨年2016年にスタートさせた3年間の中期経営計画VISION1.2.3.(営業利益1億円、売上高20億円を平成30年度に達成する)にあると気づきました。3年間ごとの中期経営計画を8回繰り返すと、8回目は2037年度~2039年度となり、翌年2040年は当社の創業100周年の年になります。」と記し、「経営者である私には、創業100周年に向かっての中期経営計画をシッカリ立て、それを確実に達成していくことが求められると思います。そこにこそ経営者の仕事があると考えます。そう考えると力がわき、『嬉しい気分』になるのです。」と結んでいます。

 71歳になった今年の心境は、「嬉しい気分」ではなく「体力は衰えてきたが、気持ちは積極的に経営に頑張ろう!」です。

 体力の衰えを如実に感じるのは歩き方です。昨年、人前で挨拶する場面で演台に向かう足取りが自分でも「よたよたしているな」と感じたことが何度かあり、今年に入っても、富山市建設業協会の新年会で会長挨拶のためにステージに向かっている途中に、これはみっともない歩き方をしていると恥ずかしく思ったのです。足が弱り歩かなくなると認知症になると言われますから、毎朝5時からの40分~50分間の犬の散歩だけでなく、使わないままになっている健康器具を引っ張り出して、意識的に運動をしなければいけないと思っています。

 では、「気持ちは積極的に経営に頑張ろう!」は経営者として当たり前のことですが、今年71歳になって特に意識したのは、新年式での年頭あいさつでも話しましたが、今年が当社にとり大事な年になると考えているからです。

 そう考える原点はやはり2040年の創業100周年であり、それに向かっての3年間ごとの中期経営計画(以下、中計)の策定です。当社が昭和21年に株式会社として設立されてから初めて、VISION1.2.3.として中計を策定したのが一昨年なので、今年はこの中計の3年目の最終年度となります。そして今年は、来年から始める次の中計を策定する年にもなります。このことが大事な年の最大の意味です。

 次の中計を作らないといけない年であるということは、昨年の本部長会議で出戸本部長が最初に口にしました。それ以来、私は来年どうやって第2期の中計を作ればよいかと考え続けましたが、解決のヒントは、タナベ経営の若松社長が昨年10月に当社に来られ、「変化」とサインして私にプレゼントしてくださった、若松社長が専務時代に著した「100年経営」の中にありました。本の中に書かれていたジュニアボード(若手・中堅クラスの社員が企業経営の諸施策に関して具体的提言を行う“疑似取締役会”のこと。Junior Board 以下JB)制度を当社にも設けて、このJBメンバーに2019年から始まる第2期中計の提言をさせようというものです。

 最初の中計VISION1.2.3.は、2015年にタナベ経営のコンサルティングを受けて行った次世代プロ幹部育成研修会のテーマの一つとして作り上げられましたが、来年から始まる第2期中計は、タナベ経営がJBの立ち上げとその運営に対する指導を行いますが、策定するのはあくまでも当社の社員です。彼らは中計策定後も何年か様々な提言を行うことで会社の経営そのものに継続的に関わっていくことになります。1回完結型の社員研修会ではないところが大きな違いです。

 このJBメンバーには新しいメンバーが加わって若返りが図られながら、第2期、第3期のJBが立ち上がり、第8期中計の2037年~2039年(創業99年)に続いて行きます。このJBを経験した社員の中から、本来の役員(ボードメンバー Board member)も生まれていきます。そしてこの役員たちも、創業100年までに入れ替わっていくことになります。こうして、若い感性で時代を先取りしていく社員の提言を具体化させながら、社歴は長く古くても、常に新しいことに挑戦し続ける朝日建設として創業100周年を迎えるのです。

 そのスタートの年が今年です。だから今年は大事な年であり、「気持ちは積極的に経営に頑張ろう!」なのです。