1月のコラム「70歳」は、「そこにこそ経営者の仕事があると考えます。そう考えると力がわき、『嬉しい気分』になるのです。もうひとつ、理由がありました。70歳になった今月、初孫が誕生します。『なんだか嬉しい気分』のおおもとは、これかもしれません。」と締めくくっています。そして2月のコラムのタイトルはずばり「初孫誕生」で、書き出しは1月のコラムの締めくくりを受けて、「『なんだか嬉しい気分』のおおもとは、やはり初孫の誕生のようでした。1月20日に、長女に女の子が生まれたのです。」で、「娘が夫のTさんと二人で苦心しながら、出生届けの提出期限ぎりぎりに『Y』という名前を決めたので、少しずつ人間らしく、そして可愛らしくなっていく赤ちゃんにようやく『Yちゃん』と声をかけることができるようになり、今は完全に『じいちゃん』になっています。」と書いています。
生まれてからこれまでの11ヶ月、孫に接する私の態度は、2月のコラムで紹介した高校の同期生と全く同じになっています。どちらかといえば硬派だった彼が、「『みんな孫は可愛いと言うが、俺はそうなるとは思っていなかった。しかし生まれてみたら、可愛いぞ』と、相好を崩して携帯電話の待ち受け画面に入れた赤ちゃんの写真を見せてくれた」のでした。彼のことを笑えません。私も会う人会う人に、「70歳にしてようやく孫が出来ました」とスマホの写真を見せるきっかけを意識的に作り、「可愛いですね」という反応に、内心「そうやろう、そうやろう」とほくそ笑んでいます。「孫」という歌謡曲は「なんでこんなに可愛いのかよ♪孫という名の宝もの♪」ですが、全くその通りです。
さて、私はパソコンやスマホに、インターネット上にファイルを保存できるクラウドストレージサービスのDropboxを置いています。その中には、生まれた翌日に私が病院で写した写真に始まり、自宅に来たときの写真や、娘夫婦と会食したときの写真など、私が写した写真も入っていますが、圧倒的に多いのは、娘が1週間に2、3度LINEで送ってくる写真です。今では500枚以上になっていますが、表情が出てきた、寝返りができるようになった、ハイハイしている、肩車されて笑っている、一人で立つようになった、冷蔵庫にくっついているマグネットをはずすのが仕事など、日々どんどん成長している様子が確認できます。
自分の子どもの2歳くらいまでの記憶は、4人の子どもともあまりありません。しかし、孫のYの記憶はずっと残ると思うのです。それはアルバムを引っ張り出して開かなくても、パソコンやスマホに入れてある写真はいつでもどこでも見ることが出来るからです。そのおかげで、仕事の合間に眺めれば、その後の仕事のエネルギーが湧いてきます。
子どもたちのアルバムには、私の両親に連れられて出かけたディズニーランドや大阪での花博、そして父のふるさとの伊勢での写真が貼られています。私も、妻と孫との旅がしたいと願っていますが、その時に撮る写真もDropboxに置かれ、いずれ孫が見て、さらに孫が自分の子どもに見せることになるでしょう。これもICT(Information and Communication Technology:インフォメーション アンド コミュニケーション テクノロジー「情報通信技術」)の進化のおかげだと思いました。
初孫の成長と同じように、ICTもまだまだ成長します。私もICTを活用しながら、孫とのコミュニケーションを上手に図っていきたいものです。
と、ここで終わるつもりでしたが、一晩寝たらこんな思いがよぎりました。数少ない写真の中の1枚を見て、その頃の記憶をたどりながら当時の出来事を思い出す、そして、初恋の彼女は今どうしているだろうか?などと想像することが無くなり、記憶力や想像力が弱まるのではないかということです。気をつけなければいけないと思いました。
日経新聞11月10日のコラム「春秋」は「退屈な歴史の授業でも、たまに『革命』が出てくると話が面白くなったものである。」で始まり、私の9月のコラム「『働き方改革』に思う」では、「最近の新聞を読んでいて、目にするたびに嫌な感じがするのが、『働き方改革』と『人づくり革命』です。」と「革命」から書き出していたので、何が書かれているのかと興味を持って読み出しました。
私のコラムは「(前略)『働き方改革』と『人づくり革命』には、まず『改革』とか『革命』といった文字にゾッとしました。特に革命には、ルイ16世が処刑されたフランス革命、ニコライ2世とその家族全員が射殺されたロシア革命、そして多数の人命が失われた中国の文化大革命と、血生臭さを感じてしまうのです。」と続けましたが、「春秋」は、「バスチーユ監獄襲撃に始まるフランス革命や今年で100年を迎えたロシア革命。現代史だとキューバ革命あたりがドラマチックか。全共闘世代にもカクメイを叫んだ方がおられよう。▼そんな物々しい響きを持つ言葉を政策の看板に持ってきたのだから、安倍政権もずいぶん大胆だ。」と続けています。私のコラムで取り上げたフランス革命とロシア革命が、「春秋」でも取り上げられ、ちょっと良い気分でした。
そして「春秋」は、「『人づくり革命』に『生産性革命』。このうち『人づくり』では消費増税による増収分から、幼児教育や大学の無償化に1兆7千億円を回すという。国の借金返済にあてる予定だったお金を、ポンと振り向けてくれるそうだ。」と、私のコラムのテーマと同じ「働き方改革」と「人づくり革命」に話が展開しました。
さらに「春秋」は「3~5歳児は親の所得に関係なく幼稚園・保育園の費用をただにします。低所得世帯に絞りはするものの、大学生の授業料や生活費も面倒をみます。――などと気前のいいプランが並んでいる。おやおや、自民党とは水と油のはずの社会主義かと思ってしまう分配政策だ。さすがに大上段に、革命を唱えるだけのことはある。」と皮肉をこめて続け、最後は「もとより、こんどの選挙で掲げた政策だ。圧勝した以上はそれを推し進めて当然というムードだが、すこしは未来の心配もしたらいかがだろう。(中略)革命の後に深い悔悟あり。歴史の授業ではそういうことも学んだ。」で終わります。
さて、先月私が腹立たしく思ったニュースが、「保育所整備3000億円拠出 首相要請 経済界、受け入れ意向(10月27日「人づくり革命」の会合)」です。政策の実行に必要となる2兆円のうち1.7兆円は、消費税を10%に引き上げた際の増収分を充て、残りの3000億円を社会保険料のうち企業が支払う事業主拠出金を引き上げて確保するというではありませんか。これでは消費税を10%に上げた上に、さらに一種の税金である社会保険料を上げるという「だまし」ではないかと思いました。企業が支払う事業主拠出金だからといって、社員が一所懸命に働いて生み出した付加価値から企業が支払うのですから、企業の利益が減るという形で社員にも痛みが生じると思うのです。
また、高等教育の充実のために「大学生の授業料や生活費も面倒をみます」では、大学生の学力低下が大きな問題とされている現状では、大学生の資質をますます落とすことになると危惧します。本当に学びたいと思う人だけが大学に行けばよいのです。
私は消費税増税には反対ですが、100歩譲っても、最初から「人づくり革命」に2兆円ありきではなく、消費税増税分の1.7兆円でできることを考えるべきではないでしょうか。
さらに、消費税を上げれば必ず消費が落ち込み、予定したほどの税収増とならないことは、過去の消費税増税が示しています。そうなったときにどうするのでしょうか。まさに「取らぬ狸の皮算用」というものです。
10月のニュースでもう一つ腹立たしかったのが、「安倍首相は26日の経済財政諮問会議で、『3%の賃上げ』に対する経済界への期待を表明した。首相が事実上の賃上げ要請をするのは5年連続となる。」です。3000億円といい3%といい、要請とは言うものの「ゆすり、たかり」であり、経済界を「打ち出の小槌」と思っているのではないでしょうか。
10月のコラムに書いた「そして、衆議院選挙が終盤戦に入った今(10月19日)、立派な政治家を育てることが大切」を改めて実感しています。
昨年に引き続き、10月11日(水)~14日(土)、土木学会土木広報センター主催の第5回台湾土木遺産視察ツアーに参加しました。主な視察箇所は、日本の台湾統治時代に金沢市出身の八田與一の設計と施工監理によって造られた烏山頭(うさんとう)水庫(ダム)(工期1920年~1930年)と日月潭(にちげつたん)の大観水力発電所(1918年に着工したが途中で中断し1934年に竣工)、そして土木遺産ではありませんが、台湾大学構内にある「磯小屋」(磯永吉博士が台湾米の品質改良に取り組み1935年に「蓬莱米」を開発した研究室)でした。
昨年のコラム「台湾土木遺産視察に参加して」では、「今回の旅行はこれからもずっと心に残る旅行だと思います。それは、昨年リニューアルした当社の経営理念“朝日建設は、建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる。”の意味を、踏み込んで考えることができたと思えるからです。」、そして「土木とは何かを改めて考えるきっかけになり、経営理念の“世の中の役に立つ”とは、単に構造物を造って終わりではなく、このようにいつまでも人々の暮らしを支え、普段は目につかないけれども、記憶され続けることなのだと思ったのでした。」と書きましたが、今回の旅行では、ダムや発電所などの土木構造物や品種改良されてできた米といった「物」や、それらの「物」がもたらした多大の恵みには昨年と同様に感銘を受けました。しかしそれ以上に、日本の台湾統治時代に台湾の発展のために尽力した八田與一氏や台湾電力社長の松木幹一郎氏、そして戦後も台湾に残り、台湾で45年間過ごして米の研究に没頭した磯博士など、直接関わった人々の生き様に心を打たれ、「人」自身に対する尊敬の思いを強く抱きました。
さらに「人」に関しては、今回の視察先では名前が出てきませんでしたが、台中の日月潭から台北に移動する3時間半のバスの中で、今回もこの視察旅行を企画した土木学会の緒方英樹さんから聞いた後藤新平の名前が強烈に脳裏に刻み込まれました。
私たちの乗ったバスが走った道路は、高速道路はどこも片側3車線か4車線で、一般道もほとんど片側3車線だったので、台湾のインフラは日本よりも劣っていると漠然と思っていた私にはショックでした。そこで緒方さんに「台湾の道路は日本より上ですね」と話しかけたところ、「これも後藤新平のおかげです。後藤新平は関東大震災の後、(帝都復興院総裁として)東京に幅の広い道路を作ったが、それ以前(の明治時代)に、台湾総督の補佐役であった民政長官として幅広の道路を建設し、それが今に引き継がれています。」との返事。これには驚くとともに、片側1車線(暫定2車線)の高速道路が今でも3割以上を占めている日本との違いは、政治家の違いだと思い知ったのでした。
日本では、2009年に民主党政権が誕生したときに、「コンクリートから人へ」という実に馬鹿げた政策がとられましたが、これも馬鹿な政治家が行ったのであったと、いまさらながら腹立たしく思いだされました。そして、衆議院選挙が終盤戦に入った今(10月19日)、立派な政治家を育てることが大切だとつくづく思うのです。
昨今のインフラ整備は、新設から維持・メンテナンスに移行していますが、私は、日本においても富山県においても、これからも造るべきインフラがあると思います。道路の無電柱化は、景観の向上だけでなく、災害時の電力の安定供給や交通の確保のためにまだまだ行わなければいけません。また、今回の衆議院選挙では、原発活用か原発ゼロかも争点の一つですが、原発をゼロにするためには、昨年10月のこのコラム「水力発電が日本を救う」で紹介した著者の竹村公太郎さんが言う「水力発電の潜在的な力を引き出す重要な手段がダムを嵩上げすることであり、10%の嵩上げで発電能力はほぼ倍増することになるので、ダムをもう一つ造るのと同じになります。」を実行することが大切だと思います。しかし、こんな計画はさっぱり聞こえてきません。国土交通省の河川行政を動かす政治家がいないからです。
これからも文明を発展させ続けるためには、インフラの整備は欠かせません。今回の旅行で後藤新平の業績の一端を知り、私は、財務省の緊縮財政至上主義をものともせずにインフラ整備を唱える政治家が必要なのだという思いを強く抱いたのでした。そして、人間に生まれたからには、計画の大きさから世間から「大風呂敷」とあだ名された後藤新平や八田與一のように、大きな夢を抱き、理想を持って生きていきたいと思うのでした。
追記。インターネットで見つけた「日本の事業構想家 都市計画の父 後藤新平」(明治大学 教授 青山佾)には「一方、都市の効率性という面では人々が都市において効率よく生活し事業を営むことができるよう、幅広の道路を建設した。幅44メートルの昭和通り、36メートルの靖国通りをはじめとして日比谷通り、晴海通りなど幅30メートルを超す主要な幹線道路がこのとき整備された。戦後つくった環七、環八などがいずれも幅25メートルにすぎないから、これら幅広の道路をつくった先見性は刮目すべきである。」と書かれていました。