若手社員パワーアップ研修会初回講義を終えて

2017.04.01

 先月のこのコラムの最後に、「そして私には、毎回30分間の「トップコメント」が割り当てられています。今考えている内容は、私のこれまでの70年の人生と、経営者としての考え方がどのように形成されてきたかを、6回にわたり一代記のようにして語ることです。楽しみながら取り組んでいこうと思っています。乞う、ご期待!!」と書きました。しかし3月中には講義(「トップコメント」が「トップ講義」に変更)資料の作成にとりかかれず、4月3日の入社式が終わってから、第1回研修会2日前の4月5日にようやく取りかかりました。

 6回の講義内容は、第1回1日目「生まれてから高校卒業まで」、2日目「大学時代」、第2回「サラリーマン時代」、第3回「朝日建設に入社してから」、第4回1日目「重大ニュース」、2日目「創業100周年に向かって」と、ざっくりと考えていました。

 そこで4月5日は、第1回の2つの講義用に、生まれてから大学時代までのスナップ写真と、大学時代の柔道部の部誌「東北大学柔道」のバックナンバーを家中あちこち探して付箋をつけ、研修会前日の6日には、使いたい写真をスキャンしそれを使ってスライドを作る作業を行いました。

 4月7日の第1回1日目「生まれてから高校卒業まで」では、私は幼い頃母に毎晩のように本を読んでもらっていて本が好きだったので、小学2年生のときに、先生から大きくなったら何になりたいかと問われ、「作家」と答えたところ「サッカー選手」だと間違われたが訂正できなかったこと、高校では大学受験勉強の合間に宮沢賢治の童話や詩を読み、東北地方にあこがれるようになり、東北大学に行きたいと思うようになったこと、また、小学4年生のとき、担任の先生が1~3年のときの中年の女の先生から若い男の先生に代わり、その先生が私に学芸会の劇に出るように勧めてくださったことをきっかけに、自分から手を挙げることの無かったおとなしい私が積極的な性格に変わりだしたことの二つを柱に講義をしました。

 第1回2日目「大学時代」では、何を学んだか全く覚えていなくて、5年間の柔道部生活が記憶のほとんどを占めること、体力が無かったのに何とか稽古に耐え、勝つことはできなくても寝技では負けないようになり、15人勝ち抜き戦の国立7大学柔道大会には3年生から3年間ずっと正選手として出場し、この間に1度も負けなかったことを話しました。そして今でも忘れられない4年生のときの名古屋大学との試合について話しました。14番目の副将の私の前まで全員が引分け、私の相手も引分け役だったので開始早々に寝技で上になり難なく引分け、勝敗を大将戦にゆだねたのでした。大将は主将であり同じ経済学部の親友である大野良司君で、寝技に引き込んだものの押さえ込まれ、何とか逃れたが再度押さえ込まれて負けたのです。さらに、相手も引分け役だからといってなぜ私が取りに行かなかったのか、もしも勝てていたら、名大の大将には勝ち目は無いものの少しは体力を消耗させて大野君につなぐことができ、大野君の勝ち目が出たかもしれなかった、それがいまだに悔いとして残っていると続けました。

 柔道部の同期4人とは今でも友人として付き合っていますが、同じく経済学部で一緒だった和田清君は非常な読書家であり、彼に太宰治や坂口安吾の小説を読めと言われ、初めて2人の小説を読みましたが、10年ほど前の年賀状で宇野千代の「天風先生座談」を勧めてくれました。この本をきっかけに私は中村天風の「心身統一法」を知り、今年に入ってから仕事上のことで大変苦しんでいたときに、高岡市で開催された「中村天風いのちの力を強くする1日セミナー」に参加して「心身統一法」を基礎から学び、それまでの悩みを解決する道が開けた思いがしたと話し、一生の友人を持つことの大切さを中心とした講義をしました。

 講義の準備は大変ですが、準備を通して自分のこれまでの人生を振り返り、その時々にどんなことを考えていただろうかと思いをめぐらせることは、これからの人生を歩む上での貴重な機会であり、今回の研修会は若手社員よりもむしろ私にとって有意義だと思います。

 このコラムを書き終えたあとは、4月26日の第2回「サラリーマン時代」の準備です。昭和45年から50年までの5年間、いろいろありました。講義の柱は、「サラリーマンを経験しての学び」になると思います。

若手社員パワーアップ研修会開催

2017.03.02

当社は平成27年から、㈱タナベ経営のコンサルティングによる社員研修をスタートさせ、この年は「次世代プロ幹部育成研修会」として、50歳以下の全社員を対象にした意識調査に基づいて選考された社員16名(男性13名、女性3名)が、4月、5月、6月に、毎月2日間ずつ研修しました。

 昨年は、「次世代リーダー育成研修会」として、男性13名(内、前年参加者5名)、女性3名(内、前年参加者1名)を指名して、3月、4月、5月に、前年と同じく毎月2日間ずつ研修しました。

 そして3年目の今年の研修は、このコラムのタイトルの「若手社員パワーアップ研修会」です。4月に入社する新入社員4名と、3年生社員2名、4年生社員2名、そして5年生社員1名の9名が参加し、4月に3日、5月に1日、6月に2日の6日間実施します。

 今回の研修会の特徴は、先輩社員が社内講師として講話をすることですが、これは私の発案であり、2つのねらいがあります。1つ目は、タナベ経営のコンサルタントによる若手社員向けの講義は、建設業に限らずどの業種にも共通するテーマになるので、当社の先輩社員がこれまで仕事を通して学んだことを、時には失敗談も交えて話すことは、若手社員にとって自分の仕事に直結した興味深い話になるだろうということです。そして2つ目は、講義を受ける人よりも講義をする人の方が成長できると言われますが、そのことを私自身、これまでの県内各地の中学校で行った「14歳の挑戦」授業や、役人や教師を対象にした講演から実感していますので、社内講師を務めることで、中堅、幹部社員が間違いなく成長できるということです。

 3月4日に、今回の研修会を担当するタナベ経営のコンサルタントによる社内講師のための事前研修会が行われ、社内講師の8名が「講師としての話し方と講演要旨のまとめ方」を学んだ後に、講話テーマ・講話内容の決定と講師の選定を行いました。その結果、それぞれ30分間の講話が、以下の通りに決定しました。

 4月7日(金) 「朝日建設社員としての責任感」  D 業務本部長

         「私が技能職になった理由」    Y 工事課長

 4月26日(水)「若手社員に望む基本姿勢」    O 工事部長

         「基本が大切な理由」           K 工事部員

 5月24日(水)「お客様満足について」      O 営業本部長

         「建設業に求められる社会的責任」 D 技術部長

         「現場で大事な報連相」      K 工事部主任

 6月16日(金)「工事評価点数93点を取得したチームワークの秘訣」

                          N 工事課長

         「「三方良し」と「クッションゼロ」の考え方」

                          D 業務本部長

 この講話テーマと社内講師の顔ぶれを見て、この社内講師は多分こんな内容を話すのではないかなと想像し、自分もその講話を聴いてみたいと思う社員がいるのではないかと思いました。工事部の社員に限らず、総務部、営業部の社員も、スケジュール調整して参観することをお奨めします。

 そして私には、毎回30分間の「トップコメント」が割り当てられています。今考えている内容は、私のこれまでの70年の人生と、経営者としての考え方がどのように形成されてきたかを、6回にわたり一代記のようにして語ることです。楽しみながら取り組んでいこうと思っています。乞う、ご期待!!

初孫誕生

2017.02.02

先月のコラムの書き出しは、『今月の2日に満70歳になりました。今年の年賀状には、「1月2日に70歳!!なんだか嬉しい気分です」と書き添えました。』で、締めくくりは、『もうひとつ、理由がありました。70歳になった今月、初孫が誕生します。「なんだか嬉しい気分」のおおもとは、これかもしれません。』でした。

 「なんだか嬉しい気分」のおおもとは、やはり初孫の誕生のようでした。1月20日に、長女に女の子が生まれたのです。

 私と同い年の男友達には、ほとんど孫がいます。中には、上が高校生という人もいます。以前、高校の同期生でどちらかといえば硬派の友人が、「みんな孫は可愛いと言うが、俺はそうなるとは思っていなかった。しかし生まれてみたら、可愛いぞ」と、相好を崩して携帯電話の待ち受け画面に入れた赤ちゃんの写真を見せてくれました。

 私は、生まれた翌日の朝、出勤前に病院に立ち寄り赤ちゃんと対面しましたが、濡れたままの髪の毛が頭にぺったりとはりついていて、悪いと思いながらも、お猿の赤ちゃんのように見えないこともありませんでした。そして、赤ちゃんはこんなに小さいものだったかという印象が強く、予想していたほどの感動や可愛いという思いは起こりませんでした。名前も決まっていないので、赤ちゃんのベッドのネームプレートには「F.A.ベビー様」と書かれていて、名前で呼べないところに、孫の実感も沸かなかったような気もします。

 でも、娘が退院して我が家で過ごすようになり、新米の母親として寝不足で悪戦苦闘している姿や、妻が入浴やだっこなどいろいろと助けている様子に、孫が出来たんだという思いが少しずつ強くなってきました。そして、娘が夫のTさんと二人で苦心しながら、出生届けの提出期限ぎりぎりに「Y」という名前を決めたので、少しずつ人間らしく、そして可愛らしくなっていく赤ちゃんにようやく「Yちゃん」と声をかけることができるようになり、今は完全に「じいちゃん」になっています。

 さて、世間では「孫は責任が無いからいい」と言いますが、Yが誕生して、私は責任を感じています。祖父母には親と違って子育てに対する直接的な責任が無いという意味で「孫は責任が無い」というのは理解できます。しかし、祖父母の世代としての責任を感じるのです。

 今も世界では、シリアや南スーダンなど世界各地で武力紛争が起きています。戦後71年間、世界ではいくつもの戦争が繰り広げられてきた中で、戦争に巻き込まれなかった日本国民は幸せです。しかし、日本一国だけがこれからも戦争と無関係で、そして無関心でいることはできないと思うのです。世界平和、人類の平和の実現のために、日本は積極的に世界各国に働きかけることが必要だと思うのです。そのためには、まず日本が国家として、政治的にも経済的にも社会的にも安定していることが前提だと思います。そして国家の安定は、地域社会の安定の上に成り立つものだと思います。

 Yが二十歳になるとき、私は90歳になっていますが、Yや次に生まれてくる孫たちが未来に希望を持って生きていける富山を作り日本を作るために、これからまだまだやることがあるという思い、やらなければいけないという責任を強く感じました。

 これも、じいさんになれたから思えたことです。孫よ、ありがとう!