ドジな話

2016.06.26

6月2日に、日本道路建設業協会(道建協)北陸支部の幹事会、総会、そして講演会が新潟のホテルで開催されました。一昨年までは講演会の後に、国土交通省北陸地方整備局の局長以下幹部職員を交えての懇親会があったのですが、昨年に続き今年も懇親会は行われませんでした。それは、大手道路舗装会社が加盟している業界団体は、昨年から発注官庁の職員を交えた懇親会に限らず会員だけの懇親会も自粛しているからです。

 5月に東京で開催され、富山県アスファルト合材協会会長として出席した日本アスファルト合材協会の総会は、講演会も無く55分間で終了したので、終了後に、当社の基幹コンピュータシステムの「HAKRA」を導入し、メンテナンスやカスタマイズを依頼しているハルシステム設計の、最近引っ越した新社屋を訪問し、その後5時半から、東京駅近辺の居酒屋で大学時代の柔道部の同期生2人と愉しく飲み、21:04東京駅発の最終新幹線「かがやき」で帰りました。

 6月2日も、5時で講演会が終わってそのまま富山に帰るのはチョット寂しいと思い、誰かと飲もうと考えました。思いついた相手は、今年の道建協本部総会で副会長に就任したことで、この支部総会をもって北陸支部長を退任することになった新潟の道路舗装会社の社長さんでした。この社長さんと美味しい料理と酒を楽しみながら、経営の話や個人的な話をし、ご機嫌で新潟駅から20:02発のJR信越本線「しらゆき」10号に乗り込みました。

 22:02に上越妙高駅に着き、22:17発の北陸新幹線「はくたか」577号に乗り換えるはずでしたが、寝込んでしまってハッと目が覚めたらどうも上越妙高駅。時計を見たら22:22。何時の新幹線だったかの覚えも無く、上越妙高駅の第3セクター妙高はねうまラインの改札口に駆け上がり、駅員さんに「新幹線は?」と尋ねたら「もう出ましたよ。これが最終でした」とのこと。「どうすればいいのでしょうか?」と聞くと、「この駅は周辺にホテルも何もないので、直江津に戻り、そこで泊まって、明日の朝またここから新幹線に乗るしかありません」に、酔いが一度に醒めました。

 23:06発の列車に乗って23:22に直江津に着き、駅前に2軒あると聞いていたホテルの1軒に入ったら満室。隣のホテルも満室だったらどうしようかと思いましたが、7,560円を前払いして泊まることができました。翌朝は、朝食時間前にチェックアウトし、6:01発のガラガラの列車に乗って上越妙高に行き、自由席特急券代2,590円払って、6:35発の北陸新幹線「はくたか」591号で7:15に富山駅に着きました。朝食は、コンビニで買ったサンドイッチとヨーグルトを、総務部の社員が私の方を見ていないときを見計らって少しずつ食べました。

 思い返せば、これまでにも酒を飲んでのこのような失敗が何度かありました。新潟から越後湯沢経由で富山に帰るのに、上越新幹線で越後湯沢を乗り越してしまい、次の停車駅の高崎で降りて新幹線で引き返して長岡駅まで行き、午前3時頃の青森からの夜行急行列車「北国」で帰ったことが2度ありました。夜中の長岡駅の待合室やプラットホームの情景が思い出されます。

 また、何の用があって乗ったのか忘れましたが、JR時代に鈍行で新潟方面から富山駅に戻る際に、富山駅に着いたと思って慌てて降りたら手前の東富山駅。富山行きの列車はもう無くて、代行タクシーを呼んだけれど1時間ほど時間がかかり、人気の無い駅でホットの缶コーヒーを飲みながら寒さをしのいだこともありました。

 高岡からの帰り、呉羽で降りて妻に駅まで迎えにきてもらうことになっていたのに乗り過ごし、富山駅からタクシーで帰ったことは2度や3度ではありません。

 今回の10,150円の自己負担を伴ったホテル泊まりの失敗を深く反省し、対策として、酔う状況になることが分かった時点で、降車時刻の5分前に携帯電話のアラーム設定をすることにしました。

 6月18日の土曜日、金沢でのロータリークラブの会議後の懇親会でしこたま飲んで列車に乗り、案の定居眠りをしていて、目が覚めたらどこかの駅に停車中。まだ呉羽駅ではなさそうだと思いながらもそのまま乗っていたら、発車してからしばらくして会社の携帯電話のアラームが鳴りました。いつアラームを設定したのか思い出せませんでしたが、呉羽駅に迎えに来てくれていた妻の車に無事に乗ることが出来ました。

 次回からは、懇親会が案内された時点で、あるいは懇親会が無くても飲もうと決断した時点で列車時刻を調べ、会社と個人の両方の携帯電話にアラーム設定することにします。

富山大学での講義を終えて

2016.05.23

先月のこのコラム「富山大学で講義」では、富山新聞文化センターの寄付講座「現場の経営学:地域企業の経営者から学ぶ」の講師として、5月11日(水)の4回目の講座を担当することになったこと、そして、講義では最初に「アンパンマンのマーチ」の歌詞をスライドで映し出して、学生たちに「何の為に生まれて、何をして生きたいのか」と問いかけ、その後に、富山経済同友会が行っている中学校での課外授業で、私がこれまで使ってきたスライドを大学生向けにアレンジして「学ぶこと」や「働くこと」について考えさせ、後半で、当社の歴史や経営理念、土木事業の重要性などについて話そうと考えていると書きました。

 講義のタイトルを「私の経営感」と定め、Macの keynoteで作成を始めたスライドは、11日の当日も、午前中も午後もMacにかじりついて何とか午後2時に完成しました。スライド枚数が60分の講義には多すぎる119枚となりましたが、何とかなるだろうと高をくくって、4時半からの講義に臨みました。60分講義し30分質疑応答というスケジュールでしたが、案の定60分ではとても終わらず、80分かけてようやくスライドが終了しました。

 私は、今回の講義を、当社の施工検討会で用いているODSC(O=Objectives:目的、D=Deliverables:成果物、SC=Success Criteria:成功基準)を念頭に行いましたが、目的の一つであった「プレゼンテーションのためのkeynoteによるスライド作成の上達」においては、出来はまあまあながら、成果物であるスライドは枚数が多すぎたことによって、「講義時間内で内容のあるプレゼンテーションが出来た」という成功基準を達成できなかったと自己判断しています。

 しかし、「学生たちに日本の将来を担う人間になってもらいたいという願いを込めた講義にしたい、そのためには、何の為に生まれて、何をして生きたいのかと考えさせる」という最大の目的と、「学生が真面目に聴いてくれた90分間の講義」という成果物に対する成功基準は、後日送られてきた感想文を読み、十分に達成できたのではないかと思いました。以下に2つの感想文を紹介します。

 一つ目は「『ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものは無い(中村天風)』この言葉がとても印象に残りました。私自身、何のために生きているのかということを考えます。しかし考えるたびに生きている意味なんて無いと思ってしまいます。より深い人生を送るために、何をすればいいのかを考えることがあります。しかし、いつも答えのないまま生きてきました。しかし今回先生の話を聞いて、その答えは見つかりませんでしたが、何か自分の中で変えるきっかけになった気がします。お金持ちになるとかではなく、自分が死ぬときに幸せだったと思えるように生きたいと思いました。」。そして二つ目は「自分では命のことについて経営学と絡めて考えたことはなかったので、いきなり導入部に出てきてびっくりしました。しかし、話が進んでいくことで、今回の講義のタイトルが非常に重要で関わり深いという風に思いました。林社長の経営感は、人を大切にしようという意志がしっかり前面にあると思います。そうやって生きる時間というものがより輝くのではないでしょうか。命の話はこれにつなげるための話としてだけではなく、これだけにしても大切ですが、林社長は私達に精一杯生きることを教えてくださいました。そして経営理念ではその裏づけをして訴えかけているようでした。僕は感動しました。」。

 「アンパンマンのマーチ」を一緒に歌おうと促しても歌ったのは私だけであり、質問しても手を挙げる学生がいないので指名して発言させ、最後の質疑応答でも質問者は2人だけという90分間でしたので、どれだけ分かってくれたのだろうかといささか不安に思いながら講義を終えました。しかし、私が講義で伝えたいと思ったポイントが、多くの学生の感想文に取り上げられていましたし、ここに紹介した感想文を読んだ時には、「何の為に生まれて、何をして生きたいのかと考えさせる」という最大の目的に対する成功基準が達成されたと嬉しく思いました。

 反省すべき点は幾つもありますが、全体としては満足できる講義が行え、脳みそに汗して作ったスライドは私の財産になりました。この後、感想文に書かれていた幾つかの質問に答えれば、今回の私の講義が完全に終了します。

 

「アンパンマンのマーチ」を歌う社長
講義を受ける学生達
講義中の社長

富山大学で講義

2016.04.27

4月13日に、富山新聞文化センターの寄付講座「現場の経営学:地域企業の経営者から学ぶ」が開講しました。これは、富山大学経済学部経営学科と富山新聞文化センター富山マネジメント・アカデミーの連携による富山大学経営学科経営学特殊講義として、今年度前学期に7月27日まで全15回、毎週水曜日の5限目に開催されるものであり、私は富山マネジメント・アカデミーの講師代表である中村哲夫さんの依頼で、5月11日の4回目の講座を担当することになりました。

 中村さんは昭和17年生まれで、人文系の大学院での教育経験を活かし、上海の華東師範大学の客座教授として、新儒学という立場で「論語」と現代マネジメント学との接合を試みている歴史家ですが、中村さんとの初めての出会いは、2011年に北陸経済研究所の高齢者雇用調査で取材に来社された時でした。その時インタビューを受けた社員が、昨年の秋に瑞宝単光章を受章した田中正さんです。

 この中村さんが2014年の8月に来社され、北陸の大学に通う大学生に、現場に根ざした経営のスペシャリストや県内の優良中堅企業の経営者を講師に迎え、企業の経営思想を理解し、富山の地域にとり中核となる人材育成を目的とした講座を実施したいと熱く語られました。そして、私に講師を引き受けて欲しいと言われるので、お引き受けすることにしました。

 これが昨年の4月から富山新聞社内にある富山新聞文化センターで「富山マネジメント・アカデミー」として開講し、私は昨年6月13日(土)の第6回目に「自社の経営を語る」というタイトルで講義を行いました。

 しかし私は、これまで富山経済同友会の課外授業講師派遣事業で、中学生に対して20回近く授業を行ってきましたが、大学生に対して行ったのは、かなり以前に富山女子短大で放課後に、家政科の学生数人に対して話したことがあるだけで、本格的な講義の経験はありませんでした。そこでこの講義では、パワーポイントで作ったスライドを使って、前半では当社の歴史、概要、業績の推移、そして施工実績や経営理念を話し、後半では、直前の6月10日に富山経済同友会の課外授業講師派遣事業として新湊南部中学校で行った課外授業「生きること、学ぶこと、働くこと」のスライドをほぼそのまま挿入して話しました。

 中学生に対する私の課外授業のタイトルは、平成26年までは「学ぶこと、働くこと」でしたが、平成27年からは「生きること、学ぶこと、働くこと」と、「生きること」を加えています。それは、「新老人の会」を作った聖路加国際病院理事長日野原重明先生の言葉「いのちとは、自分の使える時間のことです」や「ただ生きるのではなく、どうよく生きるか、です」に共感を覚えたからであり、スタートのスライドは、日野原先生のこれらの言葉から始まっていました。しかし直近2回の課外授業では、「アンパンマンのマーチ」の歌詞「何の為に生まれて 何をして生きるのか 答えられないなんて そんなのは嫌だ!」を映し出すところから始まります。次に、バイキンマンとドキンちゃんを映しながら、中村天風の言葉「ばい菌一匹でも、目的無くこの世に出てきたものはない。」のスライドに移り、その後は日野原先生の言葉と続きます。

 そこで富山大学での5月の講義は、最初に「アンパンマンのマーチ」の歌詞を映し出して、学生たちに「何の為に生まれて、何をして生きたいのか」と問いかけようと思います。その後は、中学生への課外授業でのスライドを大学生向けにアレンジして「学ぶこと」や「働くこと」について考えさせ、後半で、当社の歴史や経営理念、そして土木事業の重要性などについて話そうと考えています。

 私はこの講義を単に、「企業の戦略や組織などの側面から、実際の経営活動において、経営者がどのように経営環境を見ながら、自社の経営状況を判断し、戦略や組織に関わる意思決定を行っているかについての講義」(寄付講座の趣旨)ではなく、学生たちに日本の将来を担う人間になってもらいたいという願いを込めた講義にしたい、そのためには、「何の為に生まれて、何をして生きたいのか」と考えさせることが大切だと思うのです。

 今年のゴールデンウイークは、寄付講座の準備に時間が割かれ、ゆっくり出来ないことでしょう。