台湾土木遺産視察に参加して

2016.11.29

10月19日(水)~22日(土)、土木学会土木広報センター主催の台湾土木遺産視察ツアー「烏山頭(うさんとう/台南)・白冷?(はくれいしゅう/台中)・宜蘭(ぎらん/台北)4日間」に参加しました。帰国して1ヶ月たちましたが、それぞれの見学地で土木遺産を見た時の感動、そして説明を聞いた時の感銘が未だに残っています。

 生まれてこの方、ずいぶん多くの旅行をしましたが、今回の旅行はこれからもずっと心に残る旅行だと思います。それは、昨年リニューアルした当社の経営理念「朝日建設は、建設事業とその関連事業を通して世の中の役に立つ。そして、ふるさと富山を発展させる。」の意味を、踏み込んで考えることができたと思えるからです。

 視察した3ヶ所の土木遺産のそれぞれについて概要を記したいのですが、紙面の関係から、最初の視察地の烏山頭水庫(ダム)についてだけ簡単に説明します。

 烏山頭ダムは、八田與一(はった よいち 金沢市出身 1886~1942)の設計と施工監理により、彼が34歳の時に着工し10年の歳月をかけて1930年に竣工した、当時のアジア最大のダムです。堰堤長1273m、高さ56m、貯水量1億5千万トンのこのダムにより、洪水・干ばつ・塩害に喘いでいた嘉南平原15万ha(富山市の面積は12万4千百ha)の60万人の農民に対して、烏山頭と濁水渓のダムに貯水した水を16000?(地球の円周は4万?)の給・排水路に水を引き、15万haの土地すべてに同時給水することは物理的に不可能だったので、三年輪作給水法という灌漑方式で水を分配しました。この事業によって、荒地が3年で沃野に変わり、穀倉地帯に変貌して、地域住民の生活が一変しました。

 日本の植民地であった台湾において、ダムが完成するとすぐ、八田は工事に携わった多くの犠牲者のために、日本人、台湾人の区別無く死亡順に名前を刻んだ殉工碑を作りました。八田は嘉南平原の農民から「嘉南大?の父」と慕われ、ダムのほとりには彼の銅像が建てられ、戦後の混乱が収まると、八田の像の前では、命日の5月8日に彼の恩をしのぶ墓前祭が毎年続けられています。

 私は初日の烏山頭ダム見学で、22名の研修団の団長として、八田與一の像に花束をささげました。今回の研修を企画した土木学会土木広報センターの緒方英樹さんから、事前に送られてきた緒方さんの著書「台湾の礎を築いた日本人たち」を読み、緒方さんが企画したアニメ映画「パッテンライ(八田が来た、の意味)!南の島の水ものがたり」を観て、八田與一の業績や生涯についてかなりの知識を得ていたので、花束と共に銅像に向かって心からの感謝の祈りをささげることが出来ました。

 今回の研修では3ヶ所それぞれで、これらの施設に関わっている現地の方から説明を受けましたが、何度か聞いたのが中国の「飲水思源」ということわざでした。水を飲むたびに、井戸を掘った人のことを思い、感謝するということですが、いかに八田與一、磯田謙雄(白冷?)、西郷菊次郎(宜蘭河の西郷堤防)が、今でも台湾の人たちに敬愛されているかを知りました。そして、土木とは何かを改めて考えるきっかけになり、経営理念の「世の中の役に立つ」とは、単に構造物を造って終わりではなく、このようにいつまでも人々の暮らしを支え、普段は目につかないけれども、記憶され続けることなのだと思ったのでした。

 台湾から戻り、経営理念について引き続き考えていた時に思い出したのが、平成8年から13年まで富山県土木部長・公営企業管理者をされていた白井芳樹さんに県庁の土木部長室で伺った青山士(あおやま あきら)の言葉でした。

 青山士は、昭和6年に信濃川の大河津分水可動堰を完成させ、流域の洪水から耕地をまもり、民の暮らしを安泰にしましたが、分水路の脇にある完成の碑文に、青山は「人類ノ為メ国ノ為メ」と記しました。この言葉の拓本が額に入れて部長室に掛けられていたのです。

 この「人類ノ為メ国ノ為メ」が、経営理念での解説『世の中の役に立つとは、周りを楽にすることである。「働く」=端(周り)を楽にすること』、そして「ふるさと富山を発展させる」と結びついたのです。

 経営理念について改めて考え、これから如何に「世のため人のため」を心から願って経営していくかを考えさせられた台湾の旅でした。

水力発電が日本を救う

2016.10.29

水力発電が日本を救う」は、元国土交通省河川局長の竹村公太郎さんの著書で、9月1日に発行されたばかりです。

 私は、竹村さんに一度お会いしたことがあります。それは建設省OBの脇雅史参議院議員の2回目の選挙が近づいたころに、国土交通省を平成14年に退官した竹村さんが来富され、富山県建設業協会員に脇議員の支援を依頼されたときでした。そのとき司会者から竹村さんの経歴を聞き、私の大学の1年先輩であり、大学院修士課程(土木工学)の卒業が、私が経済学部を卒業した昭和45年であると知り、親近感を覚えました。

 このとき、竹村さんが書いた「日本文明の謎を解く-21世紀を考えるヒント」が紹介され早速購入し、面白くて一気に読み終えたことを覚えています。

 竹村さんは多くの本を著していますが、「水力発電が日本を救う」を知ったのは、先月、朝の犬との散歩中に聞いたNHK第1「マイあさラジオ」での「著者に聞きたい本のツボ」でした。

 ”序 100年後の日本のために”は、「私はダム建設の専門家で、水力発電を心から愛する人間の一人だ。未来の日本のエネルギーを支えていくのは水力発電、そう考えている。」で始まります。

 本を読み進むと、建設省(現国土交通省)の河川局で、川治ダム大川ダム宮ヶ瀬ダムと、三つの巨大ダムを造ってきた竹村さんが、将来の日本の電力について真剣に考え、提言していることがひしひしと伝わってきて、憂国の情さえ感じられました。

 「日本のエネルギー政策は曲がり角に来ている。石油などの化石燃料は地球温暖化を促進してしまう。さらに50年後、100年後には必ず枯渇してしまう。原子力は、福島第一原発の事故以来、方針が否応なく変更され、安易な拡大は出来ない。そこで、再生可能エネルギーが注目されているが、水力こそ最も古くから開発され、技術的に完成された再生可能エネルギーなのだ。」(93ページ)という状況下で、巨大ダムを造る時代は終わったが、それでも水力発電は増やせると、竹村さんは以下の3つの方法を述べています。

 その第一は、半世紀以上前に作られた河川法第一条の目的を改正し、水力エネルギー開発を河川行政の目的そのものにすることで、「治水」と「利水」の矛盾した目的のため、満水の半分くらいしか水を貯めていない時代遅れの運用をしている日本の多目的ダムにもっと貯水し、発電力を格段に増やすことです。

 第二は、水力発電の潜在的な力を引き出す重要な手段がダムを嵩上げすることであり、10%の嵩上げで発電能力はほぼ倍増することになるので、ダムをもう一つ造るのと同じになります。実際の嵩上げの例として北海道の夕張シューパロダムがあり、ダムの高さを約1.5倍にすることで、貯められる水が5倍近くまで増えました。

 そして第三は、砂防ダムや農業用水ダムなどのように、発電とは別の目的で造られた多数のダムに発電させることです。

 どの方法もなるほどと納得させられるものですが、河川法を改正することで、水力発電に対する河川行政の姿勢を大きく変えることができ、ダムに眠っている潜在的な巨大電力をまったくコストをかけずに現実社会に活かすことができるという主張に、建設行政の中心で長らく河川行政にかかわってきた竹村さんの言葉だけに、強く心を打たれました。それは、公共事業を主体とする当社が「建設事業を通して世の中の役に立つ」という経営理念を実現するには、発注者である行政の姿勢に大きくかかってくるという当たり前のことに気づかされたからです。

 この本にはダムが壊れない3つの理由も述べられていますが、当社の土木技術者諸君は答えられますか。一つ目の理由は、コンクリートには鉄筋がないからなのです。読んでビックリしましたが、鉄筋がないとなぜ壊れないかが良く理解できました。さて、他の二つの理由は何でしょうか。税抜き1,400円のこの本を買って、土木技術の知識を深めてください。そして、自分が携わる公共工事のあり方についても考えてほしいと思います。

 経営理念の二つ目は「社員は成長する資源」です。成長に読書は欠かせません。

フェイスブックでの学び

2016.09.27

私は4年くらい前にフェイスブックを始めました。始めてからしばらくすると、「おはようございます。良い天気です。今日もがんばっていきましょう!」と、窓から見える景色の写真をつけた朝の挨拶、どこそこのラーメンが美味しいと毎日のように送られるレポート、最近の自分の心理状態の報告などさまざまな投稿内容に、何でこんなつまらないことを書くのか?目を通した時間がもったいなかった、と思うようになりました。

 さらに、フェイスブックに投稿するのは、目立ちたがりの自己顕示欲が強い人か、個人情報保護の時代に平気で自分のことをさらけ出す露出趣味の人ではないかと思い、また、有名料理店で美味しい物を食べたとか、外国の観光名所に行ったとか書かれると、そんなことに縁のない人は、自分を惨めに感じるのではないかと思うようになりました。

 では私の投稿と言えば、夏の日の安全パトロール中に現場で撮った写真と、暑い中で舗装する社員への感謝のコメント、あさひホームでの、ボランティアの方の活動の様子や手作り絵本コンクールでの入選・入賞報告、息子の「林ショップ」で、これから開催する展示会の予告や、仕入れてきた商品や息子がデザインし販売しているブロンズの干支の紹介などですが、さり気なく会社や息子の店をPRしようという下心があります。今年8月11日に呉羽高校フィルハーモニー管弦楽団定期演奏会の様子を投稿したのも、子供3人が通い私も大好きな呉羽高校をPRしたいという想いからでした。

 こう書いてくれば、私は私なりにフェイスブックをPRの手段として使っているのだから、冒頭に書いた個人のつぶやきや日記風の投稿も、他人(ひと)は他人なのだから目くじらを立てることもない、フェイスブックとはその程度のものと思えばよいのだと言えます。

 でもつい最近、フェイスブックからも大いなる学びがあると気づきました。

 それは、9月8日の朝日新聞に掲載された記事「異議あり 英語強化は民主主義の危機 分断も招く」について私の思いを書いた9月11日の投稿に対する知人からの意見でした。

 私は30歳過ぎからずいぶん英語教材に投資し、富山外国語専門学校の夜間コースにも数年間通ったほど英語が好きなのですが、「国家の品格」を書いたお茶の水女子大学教授で数学者の藤原正彦さんの、著書や講演での「初等教育においては、一に国語、二に国語、三、四が無くて五に算数」という言葉に強く共感していて、英語で自分の意見をしっかり伝えるためには、まず国語がしっかり出来なければいけないとずっと思ってきました。そこで、「小学校で英語を教科に格上げし、大学では授業を英語でするように求めるー政府は英語を強化する改革を進めている」という書き出しで始まるこの記事に飛びつきました。読み進むと、「英語教育に対する批判や見直しは明治時代からありました。ただし今回の英語を重視する教育改革は、過去のものとは質も規模も違います。財界と政府が組んで、小学校から大学・大学院までの教育、さらには大学入試の英語も変えようというものです。影響は、一般に意識されているよりははるかに大きいと知ってほしい。民主主義を危うくし、社会の分断も招きかねません」とあり、その後、この改革が実行されたら引き起こされる事態がいくつも述べられていました。

 読み終えた私は、これはフェイスブックで発信しなければいけないと思い、記事の中のポイントとなる部分をタブレットで撮り、私のコメントと一緒に添付しました。

 私のコメントは『9月8日の朝日新聞の見出しの「英語強化は民主主義の危機 分断も招く」に反応して読みました。私は、英語で外人さんとしっかり意思疎通したいと思い、若い時からずいぶん投資してきましたが、まだまだです。しかし、文科省がいつの間にか勝手に決めて押し進めたゆとり教育には、その時の文科省の推進者の話を直接聴いたときからこれはおかしいと思い、当時小学生だった末っ子に、風呂で九九を九九八十一から逆に言わせたことを覚えています。案の定ゆとり教育世代の知的レベルの低下は著しく、後々まで日本の発展に多大な損失を与えると思います。しかしそのことの責任は、誰も負いません。今この記事を読み、国は再び勝手な事を財界の口車に乗って始めるのかと思い、フェイスブックで情報共有しようと思いました。日本人が日本語でものを考えなくなったら、日本は日本ではなくなります。是非、記事をお読みください。』です。

 この投稿に対して、いつものように40数名の“友達”から「いいね!」がありましたが、富山の知人が「朝日新聞らしく民主主義にいきますか。反財界ムード満載の評論ですね。思考は教養に裏づけられた母国語でおこなう、言葉自体を職業にするのでなければそれでよし。流暢でなくても論理的にそれを表現できれば日本人として尊敬されると思います。少なくとも小学校では徹底的に国語と歴史を教え込むべし。」とコメントしてきました。

 そこで私は、「日本語は情感豊かな素晴らしい言葉だと思います。会社で私は、社員が書いたおかしな文章や誤字脱字は、見逃さずに指摘しています。それが発注伺いの類いの書類でも容赦はしません(笑)。反財界ムード、そんな見方もありましたか!?」と返しました。

 すると彼からは、さらにこんなコメントがきました。「英語教育を推進している勢力に財界があり、動かそうとしているのが安倍政権だと指摘しています。朝日新聞の記事は素直に英語教育を正そうとする努力さえ圧殺しかねません。」

 読んでびっくり。私も朝日新聞は思想的に偏向しているとは思っていますが、この記事が、「素直に英語教育を正そうとする努力さえ圧殺しかねない」とは考えもしませんでした。
 私は、物事を徹底的に深く考えることなく、人の意見にすぐに同調してしまう傾向があると自覚しています。そして、反論する人には、これまで生理的に好きにはなれませんでした。
 しかしこれからは、フェイスブックに限らず自分の意見を発信した時に、自分の意見と合わない反応があっても瞬間湯沸し的に反発せず、なぜこんな反応をするのかと冷静に考え、また、他人の意見が私の考えと違っていても、なぜこんな風に考えるのだろうか、背景は何だろうかと一呼吸おいて考える余裕を持ちたいと思いました。そして、論語の「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず」の言葉を思い出し、小人であってはいけないと思ったのでした。