リオオリンピックが開会した8月5日(現地時間)前は、女性のルセフ大統領が職務停止になり開会式に出られなくなったとか、競技会場や地下鉄の建設が間に合うのかとか、ジカ熱の発生などのマイナスイメージの報道にばかり接しているうちに、オリンピックへの興味は薄れてしまっていました。
しかしオリンピックが始まると、毎朝5時から犬の散歩をしながら聞いているNHKラジオ第1が、普段は「マイあさラジオ」なのに日本人選手が出場する試合の実況中継に変わっていたので、毎朝日本人選手に声援を送ることになりました。中でも大学時代にやっていた柔道の試合には力が入り、8月11日(以下、日本時間)には柔道女子70キロ級の決勝で富山県射水市出身の田知本遥の1本勝ちを聞いて思わず拍手し、すれ違った散歩中のおばあちゃんと「田知本が金を取りましたね」と情報交換。さらに18日にはレスリングフリースタイル女子48キロ級で、またもや富山県高岡市出身の登坂絵莉が、これは負けたなと思った試合終了間際に逆転勝ちしての金メダル。梨の収穫に向かっていた農家のお兄さんにこの嬉しいニュースを伝えました。テレビでも、卓球女子で団体3位になった福原愛の涙のインタビューや、レスリングフリースタイル女子53キロ級で金メダルを取れなかった吉田沙保里の号泣にジーンとなり、男子では、体操で個人総合優勝した内村航平の最終種目鉄棒の演技、陸上男子400メートルリレーでのバトンパスなど、いくつもの感動的な映像を見ることができました。
オリンピックも終わり、日本は史上最多の金12、銀8、銅21の計41個のメダルを獲得したことに、良くがんばった、立派なものだと素直に思いました。しかし一方で、初戦の2回戦で敗退した柔道女子78キロ級の梅木選手以外にも予選落ちした選手や惨敗した多くの選手がいたこと、さらに、オリンピックに出られなかったより多くの選手がいることにも思いを馳せました。
さらに、経営は大相撲に似ていると思いました。1回1回の試合やレースで勝ちあがっていくトーナメント形式ではなく、プロ野球やバレーボールなど団体チームが戦うリーグ戦でもなく、15日間でもっとも勝ち星の多かった力士が個人として優勝するところに企業経営との類似性を感じたのでした。企業経営では、成功することもあれば失敗することもある、その繰り返しが大相撲と似ていると思ったのです。
しかしさらに考えると、大相撲は1場所が終わればそれで一旦完結しますが、企業経営はそうはいきません。千秋楽が無い戦いを続け、土俵を去るのは引退する時、すなわち、倒産するか廃業するか他社に吸収される時です。
そんなことを考えていたら、タナベ経営の大川常務の講演で聴いた話が思い出されました。タナベ経営の創業者である田辺昇一さんは、「経営者の評価は、今の業績が良くて100点満点の50点。残り50点は事業承継。事業承継までうまくいって100点満点。」と常々語っておられたとのことです。
事業承継を大相撲になぞらえれば、朝日建設関という力士が大相撲という社会で相撲を取り続けていけるように、私の代の朝日建設関が次の代の朝日建設関にうまく社長業という技を伝授することなのだろうと思いました。でもこの事業承継は、会社が存続する限り繰り返しながら永遠に行われていくものなので、私が100点満点を取るには、今の業績に加えて、事業承継が一代だけでなく何代にもわたりうまく行われていく仕組みを作ることだと思うのでした。そしてその大前提になるのは、次の代の朝日建設関という相撲力士に、相撲で言えば相撲道、企業で言えば企業理念、使命、ビジョン、存在意義といったDNAをしっかり植えつけることだろうと思いました。
良い気づきが得られたリオオリンピックでした。
昨年7月のコラムは「角川温泉運動会員」でした。このコラムの最後に、『これまで健康のため、そして、みっともない姿勢を治そうと色んなことをやってみましたが、長続きしたためしがありませんでした。しかし今度は、「93歳で、背筋を伸ばして元気一杯」というビジュアルな目標があります。(中略)1年後に、「こんなに姿勢が良くなりました」というコラムが書けたらよいと思いながら、これにて今月のコラムを終了します。』と書きました。
そして昨年12月のコラム「角川温泉運動会員その後」で、半年を振り返りました。最初のほうに『今月は、その後はどうなっているかについて書きます。結論から先に書けば、またまた挫折しそうになったのです。』と記し、中ごろに『11月25日以降1回も行けずに3週間が経過し、思うように時間が取れないということで、止めようと思うようになってきました。しかし、この理由を強力に後押ししているのは「つまらない」なのです。たいていの会員は1時間くらい利用していますが、私はまずプールの中を7分間ほど歩いてからジェット水流を腰や肩に当て、気泡風呂の後に5分間サウナに入って30分間で切り上げます。しかしその30分間でも、1人黙々と運動するのが何ともつまらないのです。』と書き、最後に『今後のコラムで、どのようにして「つまらない」を克服し「角川温泉運動会員」を続けているか書けたら良いと思っています。』と、締めています。
さて、1年経過して、今月のタイトルは「角川温泉運動会員その後パート2」です。この半年間、運動時間はやはり30分間のままで、1月が6回、2月は5回、3月も5回、4月は7回、5月が5回で6月が4回の32回でした。昨年は7月から12月までの半年間に、12月は1回だけでしたが8月と9月は10回で、41回行っていました。
数字は素直です。「つまらない」を克服していたら、昨年の41回より増えていたはずなのに結果は32回。6月29日に退会届を提出し、「今日で終わりだ」とホッとしながら最後の30分間を過ごしました。
「こんなに姿勢が良くなりました」というコラムを1年後に書きたいと思って始めたのが、半年後には、どのようにして「つまらない」を克服し「角川温泉運動会員」を続けていこうかと泣き言を言い、1年たって、この挫折報告になりました。退会届には、理由として「月にせいぜい5回、各回30分くらいだけでもストレスになってきた(時間、費用、行くか行かないかの葛藤)」と記入し、アンケート「介護予防会員クラブ(この会員制度)はいかがでしたか。」には、「1年間何とか続けたことに意義があったと思うことにする。もっと楽しく運動することを工夫すべきであった」と答えています。
退会した今、「プールに行く時間が迫ってきたのにまだ仕事が終わらない」、「今週は1回も行っていない」、「今月も終わるのに、まだ4回しか行っていない」、「日曜日には行きたくないな」などと考え無くて良いことは、何とも精神的に楽です。しかし、なぜ「つまらない」で退会することになったのか、その理由をきちんと総括しておく必要があると思いました。
人に「つまらない」の理由を話すときは、「プールの中をただ歩くなんてつまらない」でした。毎日のように来ている人には2種類あって、手足の動きをいろいろ工夫しながら黙々と歩いている人と、隣の人と楽しそうにおしゃべりしながらプールを歩きジェット水流を当てる人です。どちらにもつまらなそうな人はいません。しかし、なぜ私が工夫もおしゃべりもしないままにつまらなさを募らせていったかと考えると、そもそも姿勢を良くすることに対して、仕事に対するほどのモチベーションを持っていなかったのだと気付きました。それはなぜかとまた考えたら、仕事は、自分のためにするというよりも人に役立つために能動的に働きかけてするのに対して、姿勢が悪くても、人にはあまり関係が無く、姿勢の悪さを指摘された時には、自分が我慢するか、理想的には感謝すれば済む話なので、モチベーションが仕事のようには高まらないのだと思い至りました。当社の創業100周年祝賀パーティーに、93歳の私が背筋を伸ばしてスピーチをしたいという思いから始めたこの角川温泉運動でしたが、まず、モチベーションの点で問題ありだったようです。(さて、93歳の私はどんな姿勢でスピーチしているのでしょうか?楽しみです)
「つまらない」の2つ目の理由は、妻に指摘されたのですが、私は個人で行う運動より相手1人と1対1で行う運動のほうが、見るのもするのも好きだということです。走るのが苦手でゴルフもだめ、水泳教室も、息も絶え絶えになって帰宅(妻が言うには)するのですぐに行かなくなりましたが、大学時代には柔道を5年間続けましたし、相撲も好きです。当社の相撲部の応援には力が入りました。以前、自宅の周りの梨畑を走ろうとランニングシューズを新調しましたが3日坊主、しかし、犬との散歩はまったく苦になりません。犬が散歩の相棒だからです。
健康には適度な運動が欠かせません。これからは、毎朝5時過ぎからの親子の犬2匹との1時間の散歩を、途中でダッシュするなど工夫して行おうかと今は思っています。(実は、この方法もやってみたことはあるのです・・・)
6月2日に、日本道路建設業協会(道建協)北陸支部の幹事会、総会、そして講演会が新潟のホテルで開催されました。一昨年までは講演会の後に、国土交通省北陸地方整備局の局長以下幹部職員を交えての懇親会があったのですが、昨年に続き今年も懇親会は行われませんでした。それは、大手道路舗装会社が加盟している業界団体は、昨年から発注官庁の職員を交えた懇親会に限らず会員だけの懇親会も自粛しているからです。
5月に東京で開催され、富山県アスファルト合材協会会長として出席した日本アスファルト合材協会の総会は、講演会も無く55分間で終了したので、終了後に、当社の基幹コンピュータシステムの「HAKRA」を導入し、メンテナンスやカスタマイズを依頼しているハルシステム設計の、最近引っ越した新社屋を訪問し、その後5時半から、東京駅近辺の居酒屋で大学時代の柔道部の同期生2人と愉しく飲み、21:04東京駅発の最終新幹線「かがやき」で帰りました。
6月2日も、5時で講演会が終わってそのまま富山に帰るのはチョット寂しいと思い、誰かと飲もうと考えました。思いついた相手は、今年の道建協本部総会で副会長に就任したことで、この支部総会をもって北陸支部長を退任することになった新潟の道路舗装会社の社長さんでした。この社長さんと美味しい料理と酒を楽しみながら、経営の話や個人的な話をし、ご機嫌で新潟駅から20:02発のJR信越本線「しらゆき」10号に乗り込みました。
22:02に上越妙高駅に着き、22:17発の北陸新幹線「はくたか」577号に乗り換えるはずでしたが、寝込んでしまってハッと目が覚めたらどうも上越妙高駅。時計を見たら22:22。何時の新幹線だったかの覚えも無く、上越妙高駅の第3セクター妙高はねうまラインの改札口に駆け上がり、駅員さんに「新幹線は?」と尋ねたら「もう出ましたよ。これが最終でした」とのこと。「どうすればいいのでしょうか?」と聞くと、「この駅は周辺にホテルも何もないので、直江津に戻り、そこで泊まって、明日の朝またここから新幹線に乗るしかありません」に、酔いが一度に醒めました。
23:06発の列車に乗って23:22に直江津に着き、駅前に2軒あると聞いていたホテルの1軒に入ったら満室。隣のホテルも満室だったらどうしようかと思いましたが、7,560円を前払いして泊まることができました。翌朝は、朝食時間前にチェックアウトし、6:01発のガラガラの列車に乗って上越妙高に行き、自由席特急券代2,590円払って、6:35発の北陸新幹線「はくたか」591号で7:15に富山駅に着きました。朝食は、コンビニで買ったサンドイッチとヨーグルトを、総務部の社員が私の方を見ていないときを見計らって少しずつ食べました。
思い返せば、これまでにも酒を飲んでのこのような失敗が何度かありました。新潟から越後湯沢経由で富山に帰るのに、上越新幹線で越後湯沢を乗り越してしまい、次の停車駅の高崎で降りて新幹線で引き返して長岡駅まで行き、午前3時頃の青森からの夜行急行列車「北国」で帰ったことが2度ありました。夜中の長岡駅の待合室やプラットホームの情景が思い出されます。
また、何の用があって乗ったのか忘れましたが、JR時代に鈍行で新潟方面から富山駅に戻る際に、富山駅に着いたと思って慌てて降りたら手前の東富山駅。富山行きの列車はもう無くて、代行タクシーを呼んだけれど1時間ほど時間がかかり、人気の無い駅でホットの缶コーヒーを飲みながら寒さをしのいだこともありました。
高岡からの帰り、呉羽で降りて妻に駅まで迎えにきてもらうことになっていたのに乗り過ごし、富山駅からタクシーで帰ったことは2度や3度ではありません。
今回の10,150円の自己負担を伴ったホテル泊まりの失敗を深く反省し、対策として、酔う状況になることが分かった時点で、降車時刻の5分前に携帯電話のアラーム設定をすることにしました。
6月18日の土曜日、金沢でのロータリークラブの会議後の懇親会でしこたま飲んで列車に乗り、案の定居眠りをしていて、目が覚めたらどこかの駅に停車中。まだ呉羽駅ではなさそうだと思いながらもそのまま乗っていたら、発車してからしばらくして会社の携帯電話のアラームが鳴りました。いつアラームを設定したのか思い出せませんでしたが、呉羽駅に迎えに来てくれていた妻の車に無事に乗ることが出来ました。
次回からは、懇親会が案内された時点で、あるいは懇親会が無くても飲もうと決断した時点で列車時刻を調べ、会社と個人の両方の携帯電話にアラーム設定することにします。