厚労省の施策に憤り 〜介護業の定昇導入 助成〜

2016.03.17

2月14日の日経新聞1面を見た途端、右下の記事の見出し「介護業の定昇導入 助成 最大200万円、人手確保狙う 厚労省」が目に飛び込んできました。

 記事は「厚生労働省は従業員の賃金に定期昇給制度を導入した介護事業者に対する助成金制度を4月に設ける。制度を導入し、離職率が下がった事業所には最大で200万円を支給する。介護事業者の4〜5割には定期昇給制度がなく、職員は長く勤めても賃金が上がりにくい。年功に応じて賃金を上げる定昇を普及させ、人手不足が深刻な介護職員の確保につなげる。 助成金は3段階に分けて支給する。定昇制度を導入した時点でまず50万円。1年後の離職率が下がっていれば60万円、2年後に離職率が上がっていなければさらに90万円を渡す。(以下略)」とここまで読んで唖然とし、次に腹の底から憤りが湧いてきました。
 私は2005年(平成17年)10月、朝日建設の全社員に対して、翌年4月から実施する、田中久夫著「社長として断固なすべき6つの仕事」の第四章「やる気にさせる賃金決定」を基本にした新しい賃金体系の導入についての説明文書を配布しましたが、その中で8項目の賃金体系の基本的考え方を示しています。

(1)年齢とか勤続年数とか学歴とか性別とかによって、賃金を差別しない。

(2)能力を発揮した人、努力した人、会社に貢献した人には、それに相応した給与や賞与を支給する。

(3)、(4)、(5) (略)

(6)一年で自動的に上がる定期昇給は廃止し、社会的な経済変動(物価変動)はベースアップで対応する。したがってベースダウンもありうる。
(7)本給(18ランク)の改定は昇格(個人の実績によって格付を上げる)による昇給(本給のみ)、降格(個人の実績によって格付を下げる)による減給(本給のみ)を重点にする。
(8) (略)

 その後、多少の修正は行いましたが、この基本は変えていません。
 そもそも定期昇給制度とは、企業が従業員の昇給を実施する際に、従業員の年齢や勤続年数を基準として、一般的には年齢が1歳、または勤続年数が1年上がるごとに基本給はアップします。このことから毎年自動的に定まった金額へと昇給されていく仕組みのことで、昭和初期から多くの日本企業においての昇給の制度として導入されてきました。
 この背景には、一つには、生計費は年を追い家族人員がふえるにつれ上がらざるをえないから、賃金水準の低かった時代には賃金がこのような形をとらざるをえなかったということ、二つめには、技術革新が遅かった時代には、工場で働く技能職は、年齢が上がり勤続年数が上がれば、仕事の習熟度が高まり能力も高まり仕事の成果も上がるという関係があったのです。
 しかし今の時代に、年齢が上がり勤続年数が上がれば、仕事の習熟度が高まり能力も高まり仕事の成果も上がるとする年功序列制度を是と考えているのは、定期昇給制度というぬるま湯にドップリつかっている役人くらいでしょう。その霞が関の厚労省の役人が、離職率を下げるために定期昇給制度を導入するよう助成するというのです。
 入所者3人を相次いで転落死させた川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」の介護職員は、殺人事件を起こす前に解雇すべきだったのです。私はあさひホームの介護職員に、「介護職に必要な3つのK」として、?お年寄りに対する共感力、?職場の仲間との協調・協力性、?介護や医療知識や技術の習得に対する向上心の3つを要求しています。これらに欠けた介護職員は、結果的にあさひホームを去っていきました。人材不足に悩む介護現場では、問題がある職員でも辞められたら日々の業務が回らなくなるということで、管理職が目をつぶりその職員を辞めさせられないという状況は分からないでもありません。しかしその結果、私の介護事業に対する経営理念が失われるのなら、事業を止めたほうがましだと思っています。
 4月の給料改定に向けて、これから朝日建設でも朝日ケアでも賃金検討会を行いますが、厚労省の愚策を反面教師にして、民間企業としての賃金制度、賃金体系は時代の変化に対応し、また会社の経営理念に照らしてどのようにあるべきかを念頭に議論したいと思います。

東日本大震災から5年

2016.02.20

東日本大震災が発生してから来月の11日で5年が経過しますが、この大災害の復興は21年前の1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の復興に比べ格段に遅れています。特に対照的なのは仮設住宅からの転出で、阪神では仮設住宅の入居者が10か月後の1995年11月にピークを迎え、震災から5年後の2000年1月14日には入居世帯がすべて解消しましたが、東日本では今も災害公営住宅の建設が続いていて、宮城県でプレハブ仮設住宅に暮らす避難者は、今年1月31日現在23,763人(宮城県公式ウエブサイト)となっています。さらに、東日本大震災では、自然災害の地震と津波に加えて明らかに人災の東京電力福島第1原発事故が発生したため、完全に復興するのはまだ何十年か先だろうと思われます。
さて、私はこの5年間に社内報のこのコーナーで、東日本大震災に関連するコラムを10回書いていました。2011年は、発生した月の3月に「東日本巨大地震」、4月に「東北地方のこと」、5月に「東北地方に旅しよう!」、6月に「3.11大震災とロータリーの元米山奨学生の活動」、そして7月に「フクシマ会津若松に旅して」と題して5ヶ月連続で書いています。翌2012年は3月に「3.11から1年が経って」、8月に「福島の子どもたち」の2回で、2013年はゼロ。そして2014年は3月に「再び東北を旅しよう!」、6月に「 “東北地方を旅しよう!”報告」、9月に「BCP完成間近」の3回でしたが、昨年は再びゼロでした。
読み返してみると、それぞれのコラムで何らかの形で支援活動を続けようという想いを語っていますし、「3.11から1年が経って」では、「日本人は忘れっぽい国民だといわれ、私自身もその傾向が強いが、2万人近くもの死者、行方不明者を出した東日本大震災は、死ぬまで絶対に忘れてはいけないと思っている。この大震災で亡くなった方々、被災されて厳しい生活を送っておられる方々のことを忘れることなく、自分の人生の責務は何か、その責務をどのように果たせばよいかを考えながら生きていきたい。」と殊勝に述べていました。この忘れてはいけないという想いの実行が、2014年5月30日〜6月1日の岩手県、宮城県の被災地への慰安旅行でした。この旅行について「 “東北地方を旅しよう!”報告」では、「今回の旅行の目的は達せられたと思うと同時に、今後も3.11東日本大震災を忘れてはいけないし、何らかの支援活動を続けなければいけないと強く思った」と書いています。  このように書いているのに、昨年は何もしていませんでした。本当に忘れっぽいと思うと同時に、「自分の人生の責務は何か、その責務をどのように果たせばよいかを考えながら生きていきたい」と偉そうに書いたのは一体何だったのかと恥ずかしい思いに駆られています。
先月、経営企画室BCP関係チームの出戸チームリーダーと防災セミナーに出席しましたが、「最近の災害に学ぶ〜命と社会を守る建設業の使命と責任〜」と題しての防災アドバイザー山村さんの話の中の次の2つが特に印象に残っています。最初は「BCP(事業継続計画)はもう古い。今はCCP(コミュニティ継続計画)である」でした。当社がBCPを策定したのは、コラム「BCP完成間近」に書いている通り「建設業を営むものの使命は、ふるさと富山を発展させるために構築物を造ったり維持修繕したりするだけでなく、ふるさと富山が大災害に見舞われた時すぐに復旧活動できるようBCPを作成することも大事な使命だと思った」に通じると思ったからです。これは、CCPの考え方であると感じました。二つ目は「安否確認訓練の前に生き残り訓練をせよ」でした。コラム「BCP完成間近」の最後は「大震災は明日にも起こるかもしれない。繰り返しBCPに基づいた訓練を行い、社員の頭と身体に災害時に具体的に自分がとるべき行動を染み込ませることも社長の仕事であると思っている」でしたが、当社が策定したBCPには、会社との連絡方法や手順については記載されていますが、災害が発生したら個人としてまずどうするかは記されていません。生き残っていなければ会社から安否確認があっても応えられるはずもなく、ましてや復旧活動に当たれるはずがありません。
産経新聞2014年3月10日の記事、生存率99.8%「釜石の奇跡」「津波てんでんこ」の教えの正しさ(都司嘉宣)に、『平均して週1時間を防災教育に充て、年3回防災・避難訓練を行ってきた岩手県釜石市。その訓練時に生徒たちに指導していたのは「大きな地震が起きたら、とにかく早く、自分の判断でできるだけ高いところへ逃げる」という「津波てんでんこ」「命てんでんこ」の教えでした。この教えに従った児童・生徒562人全員は、無事自らの命を守ることになり、その俊敏かつ的確な判断と行動は、これまで多くのメディアでも取り上げられています。』と記されています。
 東日本大震災から5年経った今年、当社のBCPを見直す年にしたいと思います。

2015年の介護保険改定その後

2016.01.13

2014年12月のこのコラム「来年の介護保険改定に異議あり」は、「2000年から始まった介護保険制度では、介護サービスを提供する事業者が対価として受け取る公定価格の介護報酬が3年ごとに見直しがされ、来年は5回目の改定である。」と始まり、後半で「週刊ダイヤモンド11/18の記事を読み、驚きが怒りに変わった。10月8日に、財務相の諮問機関が介護報酬を6%程度引き下げるよう厚生労働省に求めたとあり、また、財務省が、介護の全サービスの利益率の加重平均が8%程度で、中小企業の売上高純利益率の平均2.2%より高いという理由で、利益率の高い事業の単価を下げるように主張しているという。さらに、財務省は「6%引き下げは、あくまで介護サービス平均」と言い、引き上げるサービスがある一方で、6%以上引き下げられるものもあるとしているとのことだ。」と書き、「利益率は各企業で違っていて当たり前であり、その平均値をサービス単価切り下げの根拠にするのは、顧客であるお年寄りやそのご家族に満足して頂きながら、同時に企業を継続するためにちゃんと利益を上げようという、まともな介護事業経営者なら普通の考え方に冷や水を浴びせるようなものだ。処遇改善への加算などを拡充して人手不足を解消しようとしても、介護事業者の事業自体が悪化して介護職員の処遇が引き下げられたり、経営意欲を失って廃業や経営破たんしたりするようになれば、本末転倒である。こんな自明のことが、財務省や厚生労働省の役人には分からないのだろうか。腹立たしい限りだ。」と締めくくっています。
 その後、財務省と厚生労働省の駆け引きを経て昨年4月の介護保険改定で、9年ぶりに実質4.47%、処遇改善加算などを加えても2.27%という介護報酬の大幅マイナスがなされました。

 朝日建設の子会社として平成14年に設立した(有)朝日ケアは、平成15年から「あさひホーム」、平成18年から「あさひホーム吉作」を運営する中で、平成22年から平成26年までの5年間、それまでの赤字を脱して、利益額は毎年減少し利益率は1%そこそこでしたが黒字でした。厚労省による経営実態調査、特養の利益率8.7%でディサービスのそれが10.6%(平成26年3月時点)は、どんな調査に基づいているのか実に怪しい数字だと思っています。
 しかし残念ながら昨年の5月末決算で、再び営業赤字に転落してしまいました。介護報酬の改定が4月で朝日ケアの決算が5月末ですから、介護報酬引き下げの影響は2ヶ月間だけでしたのに赤字になったのです。平成27年度の月次決算では、昨年はスタートの6月からずっと赤字が続き、今年5月末の本決算では昨年を大幅に上回る赤字が避けられそうにありません。
 さて、昨年9月に「介護事業者の倒産最多 今年1〜8月、55件 報酬減や人手不足響く」という見出しの新聞記事を読み、私のコラムで指摘した「廃業や経営破たんしたりするようになれば、本末転倒」の通りに進んでいると思いました。さらに12月には、「介護報酬が今年4月から9年ぶりに引き下げられたなか、2015年1-11月の「老人福祉・介護事業」の倒産は66件に達した。すでに前年の年間件数(54件)を上回り、介護保険法が施行された2000年以降では、過去最悪ペースをたどっている。介護職員の深刻な人手不足という難題を抱えながら、業界には厳しい淘汰の波が押し寄せている。」と報道されました。それに対して厚生労働省は、「今回の報酬改定が事業者の倒産につながったかどうか判断できないが、経営への影響を調査し、3年後の報酬改定に反映させていきたい」(NHK)とのこと。次の介護報酬改定の2018年までに多くの介護事業者が倒産し、介護保険制度そのものが成り立たなくなるとは考えないのでしょうか。自分で介護をしたこともなく、介護現場の現実も知らない厚生労働省の役人の能天気振りにあきれてしまいました。お年寄りや家族のために介護保険制度を考えているとはとても思えません。
 また、安倍首相が新たに掲げた「介護離職ゼロ」を達成するために、20年代初頭までに合計50万人分以上のサービス基盤を整備するという報道にもあきれました。新たに介護施設を作っても、人員基準数の介護職員が採用できず開業できない施設の多発が問題になっているのに、施設を増やしてもそこで働く介護職をどうやって確保するというのでしょうか。
 朝日ケアのホームページに「チョットいい話♪」というコーナーがあり、「あさひホーム」と「あさひホーム吉作」が、利用者さんやそのご家族からいかに喜ばれ感謝されているかがわかる話も掲載されています。あさひホームのサービスを全般的にご利用頂いているN様の娘様からのコメント「あさひホームはディサービス、ショートスティ、訪問介護、グループホームと連携がとれていて安心して任せられます。またスタッフのレベルも高く、些細な事も教えて下さり気付かされる事も多いです。ついつい頼ってしまいますがこれからもよろしくお願いします。」に感激しました。感動的な話が他にもたくさん載っていますので、ぜひホームページをご覧ください。
 最後に、私がこれまで12年間介護事業の経営に携わってきて思うことを書きます。第二次世界大戦で、現在90代の大正生まれ、現在80代の昭和1桁生まれのお年寄りは、男性は兵士として戦い、女性は銃後を守り、中等学校以上の生徒や学生は軍需産業や食糧増産に動員されました。また大都市の学童は、地方に集団疎開しました。そして戦後の焼け跡からの復興は、今の80代、90代のお年寄りの力によるものです。私の母も、富山の大空襲で焼夷弾の降る中シンガーミシンをかついで逃げ回り、戦後そのミシンを使って、注文を受けて洋服を作り洋裁を教えることで、家計を助け父の仕事を助けていました。戦中戦後にご苦労されたお年寄りにとって、あさひホームをご利用される時間がハッピーであって欲しいと心から願っています。この私の願いにあさひホームの介護職員の皆さんは、時にはここまでするのかと思うような介護で応えてくれています。感謝の念に耐えません。
 社会保障支出を抑制することしか考えない財務省と、介護事業所の実情を知らずに介護報酬をいじくり回す厚生労働省とに翻弄されている介護事業経営ですが、私は前述の思いを忘れずに、これからも知恵を絞って朝日ケアの経営に当たります。そのために経営者が必要なのですから。