「本屋のない人生なんて」

2024.06.25

 朝日新聞の1面の下段に載っていた童話「オレ、カエルやめるや」の広告を見て、緑色のカエルの絵がかわいらしく本の題も愉快なので、孫に買ってやろうと思い、早速文苑堂豊田店に電話しました。あいにく豊田店には在庫がなく、他の店の在庫を調べてみるということで、その日のうちに私の携帯電話に、他店にあったので豊田店に持ってきて、1階のカウンターで取り置いておくと言われました。そこで15日の土曜日に豊田店に出かけました。この絵本の内容は、出版社によれば「カエルはカエルがイヤなのです。だってぬれてるし、ヌルヌルしてるし、ムシばっかり食べるし……」。しかし、孫は二人なのでもう一冊買おうと思い、2階の子供向けの書籍コーナーに向かいました。売り場について目に飛び込んできたのが、染色家の柚木沙弥郎さんの絵の「魔法のことば」でした。柚木沙弥郎さんは、1922年生まれで、100歳を超えても染色を続け2024年に101歳で永眠された方です。この絵本の出版社からの内容紹介は、「エスキモーの人々に伝わる一篇の詩をもとに生まれた、美しく、楽しく、そしてなんとも不思議な絵本。人と動物の区別がなかった大昔、みんなが同じことばをしゃべっていました。そのとき、ことばは、「魔法のことば」だったのです。ことばは、かつて霊的な魔力をもっていて、ことばを口に出して言うだけで、何かがおこりました。そんな、おおらかな生命力に満ちた世界が、シンプルで力強い絵と言葉で鮮やかに描かれています」。柚木さんの作品は、我が家には暖簾が、会社には丑年に買った牛を描いた染め絵が第2応接室に掛けてあります。

   

 そして自分用に買った一冊が、2024年度本屋大賞受賞作品「成瀬は天下を取りにいく」でした。新聞記事でこの本の名前を見たのが記憶に残っていて、たくさん平積みされていたこの本を見つけて購入しました。

   

 

 さて、今回のコラムの題「本屋のない人生なんて」は、日経新聞の6月16日のコラム「春秋」に載っていた、三宅玲子さんのノンフィクションの題名で、検索すると「出版不況と言われて久しいものの、「本」という形態のメディアは決して不要となったわけではない。しかし、ネット書店で本を取り寄せる習慣は私たちの生活に定着し、本を「買う」場所は激変した。商店街のちいさな書店はもはや当たり前の風景ではなくなっている。しかし、それでも新しい「本屋」を開く店主たちがいる。いま、なぜ本屋なのか――。
北海道から九州まで。全国の気骨ある書店を訪ね歩いたノンフィクション」とあります。

   

 私は、本を買うのは、義兄が会長を務める文苑堂に決めています。文苑堂は「商店街のちいさな書店」ではありませんが、出かけることで、今回も目的の本以外に2冊の本に出会いました。

   

 私がお気に入りの、富山新聞のコラム「きょうの言葉」に、ノーベル生理学・医学賞を受賞した生物学者の利根川進先生が言われた「感じる力を内に持っていることは必要です」が紹介されていて、筆者は「勉強や趣味、仕事の分野で、自分の視野を広げてくれるような知識と感性を供えた友人や先輩との出会いは、人生を大きく変えてくれる。だが、そうした人物と出会うチャンスはめったにないし、利根川のいう通り、相手が優れた人物かどうかを見抜くのは、さらに難しい。では、そういう場合はどうすればいいのか。私個人の経験では、本を読むのがいちばんだ」

   

 「きょうの言葉」には、「ノンちゃん雲に乗る」などの作品で知られる石井桃子さんの「自分の波長を、ほかの人のなかに見いだすことが、人生の幸福の一つ」も紹介されていて、「人生をゆっくり歩けば、ひとりや二人は、きっとこんなわかりあえる友達や作家にぶつかる」と言う。ただし、「波長が合うかどうかは、対象が本でも人間でも、じっくりと向き合わなければ分からない」と書かれていました。

   

 私は、枕元に置いた本を、寝る前に30分ほど読むのが習慣ですが、読み始めたらすぐに波長が合いそうだと思った「成瀬は天下を取りにいく」が、私の、相手が優れた人物かどうかを見抜く力をつけることになれば、税込み1,705円は安いものです。

母の17回忌と父の13回忌

2024.05.24

 今月の18日(土)に、我が家の菩提寺である稲荷元町の光善寺で、平成18年(2006年)1月10日に亡くなった母 絹子の17回忌と、平成24年(2012年)5月24日に亡くなった父 俊郎(としお)の13回忌を行いました。

   

 母が無くなり、母が入院していた婦中町の富山病院から雪が酷く降る中を遺体が自宅に戻り座敷に遺体を安置し、僧侶に読経してもらおうとして、我が家の菩提寺がどこだか知らないことに思い至りました。そこで従兄のTさん(元 当社の常務取締役)に電話し、Tさんの住む館出の傍にある光善寺であることを教えてもらいました。そこは、祖父の銀蔵の葬儀を行ったお寺であったことを後から思い出しました。

   

 父は、私が44歳で社長になった時に80歳で会長になりましたが、70歳代から、当社の子会社「朝日ケア」が富山市北代で平成15年から運営する老人介護事業所あさひホームに行って、デイサービスを受けている母と一緒に食事をしていました。母が亡くなってからは会社に出ることもなくなり、朝晩の食事は渡り廊下で繋がっている離れから母屋の私の家に来てとり、昼は私の妻が作る食事をとったり、平成18年に開業した我が家の近くの、歩いて5分ほどのあさひホーム吉作のデイサービスでとったりしていました。しかし衰弱が進み歩くのもままならなくなったので、あさひホーム吉作のショートステイを利用するようになりました。そして平成24年の5月20日(土)、会社の4階で業務推進会議(現在の経営戦略会議)中に、妻から私の携帯電話に、父の腹痛が激しく救急車で済生会富山病院に搬送されているところだと連絡が入りました。私は会議を抜けて済生会富山病院に走りました。そしてその晩から、弟と交代で父の病室に夕方から朝まで泊まり込みましたが、私の当番だった5月23日(木)は血中酸素飽和度がどんどん下がりだし、翌24日の1時過ぎに息を引き取りました。

   

 前置きが長くなりましたが、18日に光善寺で行った父母の13回忌と17回忌の法要の際に、法語唱和という半紙が配られ、出席した私と妻と長男、次女、次男がその文章(法語)を唱和しました。その冒頭に、「私の意志を超えた縁(えにし)によってこの世に私は生まれました。親に育てられ、兄弟の絆、夫婦という不思議な縁で結ばれた伴侶をもち、子を生み育て、職業にたずさわって喜怒哀楽の生活を続けてきた人の一生です。お互い一人ひとりの一生を思うと、ただ不思議なご縁に生かされてきた人生が愛しくさえ感じられます。」と書かれていました。

   

 母の17回忌と父の13回忌の法要でこの文章に出会ったことをありがたく感じ、道ですれ違う人との「袖振り合うも他生の縁」の諺を大事にしながらも、もっと家族や親戚との縁を大切にして生きていきたいと思いました。

光をみつける~全盲ヴァイオリニストからのメッセージ~

2024.04.25

 昨年11月4日に、ほとり座で「光をみつける」というドキュメンタリー映画を観ました。この映画は全盲のヴァイオリニスト穴澤雄介さん(1975年生まれ)の日常を描いたものです。この日は上映が終わってから、主人公の穴澤雄介さんのヴァイオリン演奏と舞台挨拶があり、今回のコラムの題名の彼の著書も販売されていたので1冊購入し、その本の見開きに、トレードマークのカーボーイハットのイラストと漢字で「穴澤雄介」とサインしてもらいました。

   

 今回このコラムを書くにあたり本の目次を見ましたが、「そうそう、こういう話もあった、面白かったなあ」と思ったのが、第2章 ウサギとカメの競争にイモムシが勝つ7つの方法!!、でした。これは2016年ころからの講演の演題ですが、それまでにも2001年ころから中学・高校を中心に教育現場で「過去は変えられる、マイナスをプラスに」という演題で、生徒や保護者、教員向けに講演をしているうちに、だんだん自分自身が話している内容に疑問が出てきたとのことです。それは、特に学生たちには、もしかしたら「自分の過去を偉そうに話す人」と誤解されていないだろうか、「僕とは境遇の違う人の話だし」と最初から拒絶されていないだろうかということでした。自分のみを語っていたのでは駄目で、講演を聴く全ての方が、それぞれにその人と重ね合わせて想像し応用できる内容にしなければ駄目だ、そのためには物語の力を借りるしかないとの結論に達したとのことです。

   

 そこで講演で考えてもらうのが、「ウサギとカメの競争にイモムシが勝つ7つの方法!!」でした。以前から講演では、自分をウサギとカメの競争でカメにすらなりきれていなかったと表現していたのですが、「じゃあ、私のような立場を例えるなら?」と考えたときに出てきた生き物がイモムシだったとのことです。イモムシが勝つ7つの方法とは、

   

  1. ウサギとカメが進まなかったコースを行く
  2. ウサギやカメと違う手段で進む
  3. ウサギとカメが目指している地点とは異なるゴールを見つける
  4. ウサギとカメよりも早くスタートしておく
  5. ウサギとカメより遠くへ進む
  6. ウサギとカメが老いてから勝負に挑む
  7. ニンジンの中に潜り込んでウサギに連れて行ってもらう

   

です。一つひとつの方法を見ただけで、どんな内容なのか興味がわきますね。それぞれにエピソードや解説がしっかり書かれています。興味のある社員にはこの本をお貸ししますので申し出てください。

   

 彼は2017年の秋に、何のつても演奏会の予定もなくひとりでフランスへ出かけ、フランスに入国と出国の日を除いた6日間の内の5日間、各地の演奏会に参加しストリートライブをしています。2018年にはフルマラソンを完走し、2022年には富山マラソンを完走しました。

   

 2018年2月からは、ユーチューバーとして動画を毎日発信しています。40歳から水泳を習い始め、3年ほどで150mほど泳げるようになりました。東都大学野球の始球式ではノーバウンドで投げました。

   

 映画のナレーションは、技のデパート、平成の牛若丸と呼ばれ、小結まで登りつめた舞の海秀平さんでしたが、並々ならぬ努力と創意工夫があったはずだと思ったから依頼したとのことで、映画の最後は穴澤さんと舞の海さんとの対談場面でした。

   

 私が尊敬する中村天風師は「絶対積極」という言葉をいろんな講演会で話されていて、私も毎朝「絶対積極」と心の中で唱えていますが、穴澤雄介さんの生き方は「絶対積極」そのものだと思います。「絶対積極」には男女の区別も年齢も無関係、77歳の私ですが、これからは「絶対積極」をより強く意識して生きていこうと思います。