「お白石持行事」に参加

2013.09.08

8月30日(金)、伊勢神宮の遷宮(せんぐう)行事「お白石持行事」に参加した。この行事について、伊勢市のホームページに次のように書かれている。

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「お白石持行事」は一連の遷宮諸行事のひとつであり、新しい御正殿の敷地に敷き詰める「お白石」を奉献する民俗行事で、宮川より拾い集めた「お白石」を奉曳車・木そりに乗せ、沿道や川を練り進みます。神域に入ってからは、一人ひとりが白布に「お白石」を包み、遷宮後は立ち入ることの出来ない新宮の御垣内、真新しい御正殿の近くまで進み、持参した「お白石」を奉献する行事です。

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今回この行事に参加したのは、父の実家がある伊勢市に住む従兄のSさんから手紙をもらったからだ。手紙には、「20年に一度の御遷宮の伊勢の雰囲気を肌で感じてみませんか。今日の日本の、日本人の多くの心が、気持ちが「伊勢」に集約されている気持ちがします(一人合点かも)」とあり、Sさんの町内が奉献する8月18日(日)の外宮(げぐう)奉献要領が同封されていた。
 私は、昨年5月に亡くなった父の故郷の伊勢市で20年に一度行われる遷宮行事に参加できるのは今年しかないであろうし、久しぶりに従兄たちにも会いたかったのでぜひ参加したいと思った。「日本人の心」に惹かれたことも大きい。しかし、8月18日にははずせない先約があったので、会社が休みの8月24日か31日の土曜日に他の町内の「お白石持行事」に参加するのはどうかと尋ねた。返事は、「お白石持行事」には、町内ごとに作っている法被を着ていないと参加できない、そこでSさんの分家が住む町内の法被が1枚余分にあるので、それを着てその町内が奉献する30日(金)に参加してはどうかというものだった。
 30日は経営戦略会議のある日だが、思い切って欠席して「お白石持行事」に参加することにした。鈴木さんが送ってくれた奉献要領には、男性の服装は 白基調のトレパン・肌着、白靴、着用する人は帽子も白とある。そこで白いズボンを買おうとユニクロに電話してみたが、ユニクロには無いとのこと。 妻が、お医者さんの白衣はどうかと言っていたのを思い出し作業服屋にでかけたら、お医者さん用の白いズボンがあり、布製の白い靴もあった。店員さんは、「お白石持行事」に団体で参加するために、白ズボン、白靴、そして白色の帽子の3点セットをまとめて買っていく人が何人かいたとのこと。「お白石持行事」のことを全く知らなかったことに少々恥ずかしさを感じた。

 8月30日、午後2時過ぎに近鉄宇治山田駅に着くと、Sさんと父の実家の当主のOさんが迎えに来てくださっている。昨年の5月に父の葬式で会って以来だ。Oさんは開口一番「70歳になりましたよ」。でも体つきは私の父とよく似ていて痩せ型だが若々しい。小太りの鈴木さんも、ステッキをついてはいるものの82歳には見えない。駅のトイレで白ズボンと白靴に替え(写真1)、素行さんが運転する車で外宮に向かう。鈴木さんから法被と白布に包んだ2個のお白石をもらい、杉並木の参道を 同じような服装の老若男女に続いて新御敷地に向かう。

白ズボンと白靴(写真1)

とても蒸し暑く、白いポロシャツの上に法被で、汗がたらたら流れる。新御敷地の入り口では警備員がチェックしている。私は、Sさんの分家の町内の人たちと一緒ではないので、もし咎められたら、「気分が悪くなったのでしばらく休んでいた」と言ったらよいと言われていたが、すんなり入ることが出来た。

ヒノキの香りが漂う新御敷地の中を歩いて、いよいよ真新しい御正殿へ。内宮でのお白石の奉献は7月26日から8月11日までで、外宮でのそれは8月17日から9月1日までであり、外宮の御正殿の周りの敷地は、残すところ3日間ということで、すでにびっしりとお白石が敷き詰められている。私も、前の人たちのやり方に倣って、白布から取り出した2個のお白石をそっと置いた。
 帰る時に、大勢の人が、木遣りを歌い、「エンヤ、エンヤ♪エンヤ、エンヤ♪」の掛け声をかけながら長い白い綱を引っ張ってくるのに出会った(写真2)。

長い白い綱を引っ張っる(写真2)

綱の先には「お白石」を入れた樽が積まれた奉曳車が見える(写真3)。18日にSさんの町内の人たちと一緒に白い綱を曳くことはできなかったが、伊勢の歴史と伝統を感じられて良かった。
 「お白石持行事」を終えてから、私の祖父母と父の長兄夫妻が眠る父の実家大西家の墓を参った。父は6人兄弟の5番目で、残っているのは妹だけ。この叔母を翌日訪ねた。87歳で一人暮らしだが、杖もつかずお元気だった。「これからもお元気でね」と握手して別れた。
 日本の伝統行事を訪ねて久しぶりに伊勢に出かけたが、父方の親戚と歓談し、何だかホッとした気分で帰途に着いた。父親のルーツを、そして日本人であることを改めて確認した1泊2日の短い旅であった。

「お白石」を入れた樽が積まれた奉曳車(写真3)

「あさひホーム吉作」での決断

2013.08.17

8月末日をもって、「あさひホーム吉作」のデイサービスを廃止することにした。理由は、不採算。
 富山市北代で「あさひホーム」、富山市吉作で「あさひホーム 吉作」を運営する有限会社朝日 ケアは、現在それぞれのホームにおいて以下の介護事業を展開している。「あさひホーム」では、デイサービス(定員30名)、ショートステイ(定員9名)、グループホーム(定員9名)、居宅介護 支援事業所、訪問介護の5事業、そして「あさひホーム吉作」では、デイサービス(定員10名/小規模事業所)とグループホーム(定員9名)の2事業を行っている。
 平成15年4月1日に開業 した「あさひホーム」は今年4月に開業10周年を迎えたが、この10年間に、いくつかの事業変遷があった。開業と同時に始めた居宅介護支援事業所を翌年の11月に休止し、平成18年9月に再開したこと、平成17年2月に訪問介護を新しく始めたこと、同年7月には介護タクシー事業も新たに始めたが平成19年3月に廃止したことなどである。デイサービスの定員は当初20名でスタートしたが、翌年5月に25名に変更し、さらに平成17年1月に現在の30名に変更している。
 「あさひホーム吉作」は平成18年7月1日に開業した。開業の経緯については、このコラムの平成18年6月号に詳しく書いているが、一言で言えば、「あさひホーム」が開業4年目にして採算が合いだしたので、それに続く事業所を作って「あさひホーム」が目指すレベルの高い介護サービスをより多くのお年寄りに享受してもらいたいと思ったからであった。
 デイサービス定員10名(床面積からは20名可能)、ショートステイ定員6名、グループホーム定員6名でスタートしたが、北代に続き吉作にホームを作ったことで介護スタッフが増え、事業所が2箇所になったこともあって、スタッフ間の意思疎通や信頼関係に齟齬(そご)をきたして不協和音が生じるようになり、職場の雰囲気がぎすぎすしてきた。そして平成20年4月に数人のスタッフが一時に退職し、介護スタッフ不足から「あさひホーム吉作」のショートステイの運営が出来ない状況に陥った。この問題を解決するに当たっての私の判断基準は、運営理念の「私たちの仕事はお年寄りに満足してもらうこと。満足を測る物差しの一つに心からの笑顔がある。この笑顔とは、お年寄りだけではなく、家族も介護スタッフも地域住民も含んだ皆の笑顔である。」だった。お年寄りに満足してもらえないような「あさひホーム」や「あさひホーム吉作」なら運営する意味がない、運営理念に合わないスタッフには辞めてもらってかまわない、そのことで一部の事業が運営できなくなってもかまわないと考え、平成20年6月にショートステイを廃止した。そして、ショートステイの収入がなくなる対策として、ショートステイの部屋をアパートとして賃貸し、その住人のお年寄りが1階のデイサービスをご利用いただくという、今はやりの「サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)」の仕組みを先取りしたような名案を吉作Mホーム長が考え出し、ショートステイ廃止後しばらくしてから実行に移した。おかげで私の義母もアパートの住人として入居でき、その後グループホームに入居し今もそこで暮らしている。また、思惑通りデイサービスの利用率が100%近くに増え、開業以来ずっと利用者さんの数が定員の10名の半分にも満たない日が続き常に赤字だった吉作のデイサービス部門が黒字に転じ、朝日ケア全体の収益に貢献できるようになった。
 しかしこのアパート事業も、グループホームと同じフロアで明確な仕切りなしに営むことは介護保険の規定に抵触するという役所の指導で、平成23年末で廃止せざるを得なくなった。そして昨年3月からはグループホームの定員を9名にして、12室のうちの余った3室を男女の休憩室と地域交流室とした。一方デイサービスは、利用者さんの数を増やすために定員を増やしてみようと、平成23年4月に定員を10名から15名にしたがさっぱり利用者さんは 増えず、利用者が10名の小規模事業所ということで介護報酬におけるサービス料の単位が通常より15%アップだったのも15名では無くなったことで、採算はより悪化してしまった。そこで1年後の昨年4月からは以前の10名に定員を戻し現在に至っているが、小規模で手厚い介護を実践していても、部門赤字は一向に解消されないままであった。
 そんな状況で、今年6月3日開催の運営会議で「あさひホーム吉作」のデイサービスの廃止が提案された。現在、デイサービスをご利用のお年寄りの中には、吉作でなければいけない、また、吉作でなければお世話できない方が何人かいらっしゃることを知っていたので一瞬判断に迷った。しかし、これまでいろんな努力を重ねてきても 状況が改善されず、朝日ケアの収益の足を引っ張っていること、さらに、北代のデイサービスもここ1年ほど、近所に新しいデイサービス事業所が増えたことから利用率が10%ほど下がり、この対策も喫緊の課題であることを考えると、朝日ケアを地域に必要な介護事業所として存続させ続けるためには利益が必要であり、不採算部門の吉作のデイサービスの廃止はやむを得ないと判断し、8月末を目処に廃止することをその場で決定した。
 現在ご利用のお客様には、北代のデイサービスをご利用いただく、あるいは担当のケアマネージャーさんと相談して 新たな事業所をご利用いただくなど、廃止に伴うその後の手続きをしっかり進めてはきたが、やはり気になるのは吉作での デイサービスが最適と思われるお年寄りのことであった。しかし実にタイミングよく、富山市においてもグループホームの共用部分を利用してデイサービスを行う「共用型認知症対応型デイサービス(定員3名)」が行えることになった。サービス料の単位が現在よりマイナス 42%に低く抑えられはするが、吉作のデイサービスに1日に3人までは通えることになる。報告を受けて素直に嬉しかった。早速富山市に申請し、9月1日からこのサービスを開始することにした。
 経営には「選択と集中」が大切だと言われるが、こうして振り返ると、北代でも吉作でも多くの「選択」がなされてきた。今回の吉作のデイサービス廃止は、採算が合っているサービスを「選択」してそこに介護スタッフを「集中」するための決断であり、これから収益がどう改善されていくか、非常に楽しみである。そして今回の吉作でのデイサービスの廃止は、吉作でのショートステイの廃止と共に、朝日ケアの歴史に深く刻まれることになるであろう。

宇奈月中学校での課外授業

2013.07.25

6月28日に、黒部市立宇奈月中学校と宇奈月国際会館「セレネ」で栃木県、群馬、新潟、中部そして富山の5つの経済同友会の教育担当委員会交流会が「課外授業講師派遣」をテーマに行われ、宇奈月中学校での「授業参観」から交流会がスタートした。
 1年生を私、2年生を射水市の牧田組の牧田社長、3年生を宇奈月町の大高建設の大橋社長と、偶然にも建設会社の社長3人が講師を務めたが、私の授業のテーマは3月の黒部市立生地小学校6年生の課外授業と同じ「夢をもって」とした。
 美術室で1年生2クラスの生徒に、生地小学校の授業で使ったパワーポイントに手を加えたものを使って授業を行ったが、生徒は皆さんとても真剣に聴いてくれ、ネコや犬の面白い写真や私の駄洒落にもしっかり反応してくれたので、気持ちよく13:45から14:30までの45分間の授業を行うことが出来た。
 毎回のことではあるが、課外授業を受けての生徒の感想文を頂いた。今回は1年生45人全員の感想文だった。感想文の最後に書かれている「いろいろとためになる話をしてくださって、勉強にもなったし、楽しかったし、おもしろかったです」、「まだわからないこともあるので、ぜひもう一度来てください」、「時間があればもう少しお話を聞きたかったです」に授業の内容や進め方が間違っていなかったと確認した。また、「私は勉強が苦手です。でも将来の夢があるし、大人になるために勉強しなくちゃいけない。勉強がいやになった時は、林さんの話を思い出して勉強にはげんで、人に役に立つような大人になっていきたいです」や、「ぼくも自衛官になりたいのですが、林さんのおかげでもっと夢をかなえられるように進んでいきたいと思いました」、「林さんの夢にも感動しました。“富山の役に立つ”という夢でした。今もその夢に向かって頑張ってらっしゃるのがよく伝わってきました。私も夢に向かって一歩一歩進んでいきたいと思います」などの言葉に、私の授業テーマが生徒たちに伝わってよかったと思った。そして、何人かからの「これからもお仕事、がんばってください」、「応援してます」に、素直に「ハイ」と心の中で返事した。
 中にこんな感想文があった。書き出しの「今日の勉強でよくわかりました。みんなも入るかどうかわからないけど僕は入りたいです。」に、何に入るのだろうと思いながら読み進むと、「入ったらとするとせいいっぱいやりとげて、林さんに認めてもらうまで絶対あきらめないから、林さんがいる会社に行ってがんばってやっていきたいと思います。」と続き、さらに「でもまだまだなので、もっとがんばって知識をもっと取り入れてから林さんのいる会社に行きたいと思います」に、文章は少し分かりづらいけれども、当社に入社したいのだと知った。
 これまで多くの感想文を読んだがこんな感想は初めてであり、彼はなぜそう思ったのだろうかと考えた。今回のスライドには、当社が施工した工事の事例として、これまでの課外授業で写真で紹介した土川橋架け替え、富山大橋橋脚・橋台・右岸函渠工・橋面舗装、中島大橋橋脚耐震補強などに加えて、富山空港の滑走路の写真と空港の駐機場に停まっている旅客機の写真を載せた。この空港の写真が功を奏して生徒の印象に残ったのか、「富山空港の滑走路や富山大橋を作ったり、すごい方とわかりました」、「富山大橋や空港の滑走路などあんなに大きくて丈夫な物を作るのはすごくかっこいいです!」などと、何人かが滑走路のことを書いていた。当社に入社希望のこの生徒も、当社が施工した滑走路にあこがれたのかと思った。
 しかし、「社長ってすごくこわいイメージがあったけど、とても分かりやすく楽しく話して頂きました」や「林和夫さんはどんな人かなあと最初は思っていたけど、優しくてユニークな人だったので安心しました」、「さわやか社長の写真で、思わず笑ってしまいました」、「今日のお話はとても役に立つお話で、私も林さんのようになりたいなと思いました」などの感想のように、この生徒も私のキャラクターに惹かれたのかなと、うぬぼれてもみた。
以前D所長から、「社長が学校で課外授業をしているのなら、生徒たちに建設業に入るように勧めて欲しい」と言われたことがあるが、自ら当社に入りたいと思った生徒が現れたことは、D所長の要望に十分応えたことになろう。
 今回の宇奈月中学校の課外授業で、他人の話ではなく、自分自身の夢を、その夢に向かう姿を真剣に話すことが、生徒に共感を与えられることを実感した。「他のお客さんも楽しそうで私もうれしかったです」とのことなので、授業参観した富山経済同友会のメンバーにも、感想を聞いてみたい。