中央タクシー

2013.06.27

6月14日に、富山法人会のセミナーに出かけた。最近はすっかりご無沙汰していたこの法人会セミナーだが、3月に回覧されてきた、4月から6月までの法人会セミナーの講師プロフィール一覧を見て是非出席したいと思い、すぐに予定表に書き込んだ。6月の講師として、「お客様が感動し社員が躍動する会社づくり」というテーマで、長野市の中央タクシー株式会社の宇都宮会長が載っていたからだ。
「中央タクシー」という社名を見て、講師略歴には書いてなかったが、私が読んだ「日本でいちばん大切にしたい会社3」(法政大学大学院政策創造研究科教授 坂本光司 著)で取り上げられていた会社だと直感した。
 私が坂本教授を知ったのは、2010年1月に行われた富山商工会議所の新春会員講演会だったが、その後、昨年の3月31日(土)の朝日新聞「be」欄「フロントランナー」に坂本教授が登場した。「フロントランナー」のインタビュー記事には、

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「根底には「『正しい経営』をしている会社に光をあてたい」という思いがある。「正しさ」の基準はシンプル。会社に関わる「5人」を重視する経営だという。社員とその家族、外注先・下請け企業、顧客、地域社会、最後に株主。この優先順位にこそ意味がある、と強調する。「顧客のことを考えるより、社員の幸せを真っ先に考えるのが経営者の仕事」と言い切る。「社員第一主義なんてきれいごと」という声には、こう反論する。「社員を大切にしている会社はどこも好業績です。私が語っていることは、理想でも理論でもない。この目で見てきた現実なのです」
(インターネットで記事を検索)

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と書かれていた。この記事を読んだときの私の感想は、会社に関わる「5人」は知っているが、優先順位をつけるとするなら、「顧客満足」という言葉があるくらいだから、当然顧客が一番だろう。だからわが社のISOの品質目標に「私たちの仕事はお客様に満足してもらうこと」と最初に書いているのだ。また「顧客満足は従業員満足」ということも学んだが、それは、「従業員満足がない顧客満足はない」と、顧客満足と従業員満足を同列に捉える言い方であり、「社員第一主義」はないだろう、というものであった。
 そこで坂本教授の考え方をしっかり知ろうと思って、シリーズ合計55万部突破という「日本でいちばん大切にしたい会社」を遅まきながら購入した。5社が紹介されていたが、こんな会社が日本にあったのかと驚くばかりだった。最初に紹介されている会社は、社員の7割が障害者で「障害者の方々がほめられ、役に立ち、必要とされる場をつくりたい」という、粉の飛ばないダストレスチョークを作っている日本理化学工業。読んでいて思わず目頭が熱くなった。後の4つの会社の話も、それぞれ感動、感激しながら読んだ。
 しかし、わが社のような公共事業がメインの建設会社では、真のお客である納税者・地域住民の姿が見えにくく、直接の発注者である役所を向いての仕事にならざるを得ない。だから、顧客第一ではなく利益確保に走ることになりがちとなる。従って顧客第一の前に社員第一主義があるべきだと言われても、それが建設業で通用するとはどうしても考えられなかった。しかし私のこの考え方は、坂本教授に言わせると、「問題は内ではなく外」と嘆き悲しむ、被害者意識に凝り固まった他力本願タイプの中小企業の“5つの言い訳”のひとつ「業種・業態が悪い」と言っていることになるのであろう。
 その後、「日本でいちばん大切にしたい会社3」に、島根電工という会社が取り上げられていると知り、わが社が電気設備工事もしていることからどんな会社な
のか知りたくて、この本を買った。その中に中央タクシーも取り上げられていたのである。
 中央タクシーの創業者である宇都宮会長は、私と同じ1947年生まれであった。たくさんの感動的なエピソード(中央タクシー物語)を話されたが、ここで紹介するだけの紙面は無い。しかし、スライドに映し出された理念と憲章はどうしても伝えたいので、スマホで撮った写真を見ながら、次に書き記そう。
 中央タクシーの理念は、【お客様主義】で、「お客様が先、利益は後」に続いて、「わが社の永遠にして不滅の理念である。理念とは、すべてにおける行動基準・行動規範である。つまり、理念なきところに行動はない」と記されていた。そして憲章は、「我々は長野市民の市民生活にとって必要不可欠であり、さらに交通弱者・高齢者にとってなくてはならない存在となる。私たちに接することによって、〈生きる勇気〉が湧き、<幸せ〉を感じ、〈親切〉の素晴らしさを知ってくださる、多くの方々がいらっしゃる。
 私たちはお客さまにとって、いつまでも、この上なく、<なくてはならない人〉としてあり続け、この人がいてくれてほんとうに助かります、と思わず涙とともに喜んでいただける、わが社はそんな人々によってのみ構成されている会社です」とあった。
 宇都宮会長が話した「中央タクシー物語」は、まさしく「お客様が先、利益は後」という理念の実践であり、憲章は「中央タクシー物語」から生まれたのだと知った。
ひるがえって、わが社はどうだろうか?社長の私はどう考えているのだろうか?
 老人介護事業を営む朝日ケアでは、北代のあさひホームの近所にデイサービス施設が次々に出来て競争が激化し、デイサービスの利用者さんが減り、5月末決算が危うくなっている。そこで、今月初めの運営会議で私は、「利益は収入から支出を引いたものだから、利益を上げるためには、収入を増やすか支出を減らすかである。支出の大部分を占めるのが人件費だからといって、私は給料を下げるとか、福利厚生水準を下げようとは思わない。他業種に比べて重労働の割には給料が安い介護業界において、他社より見劣りする給料や福利厚生制度にする気はない。だから、年間休日日数も今年4月から大幅に増やした。従って収入を上げるには、デイサービスの利用者さんを増やすしかない。そのためになすべきことは、新聞広告での宣伝ではなくて、“して当たり前”の普通水準のサービスではなく、文字通り“有り難い”、他所では受けられないと思われるようなサービスをすること。それによって口コミでお客様が増える」と話した。老人介護事業を始めたときから、利益よりお客様へのサービス水準の向上を考えているという点では、中央タクシーの「お客様主義」に近いとは思う。
 しかし朝日建設では、お客様のことを考えないわけではもちろん無いが、「お客様が先、利益は後」と考えて仕事をしているとは言えないだろう。また、坂本教授が言う「顧客のことを考えるより、社員の幸せを真っ先に考えるのが経営者の仕事」とは、私は考えてこなかった。
 今年の3月のコラム「夢をもって」で、建設工事を通して世の中の役に立つ(ふるさと富山を発展させる)という夢を実現するためには、「三方良しの公共事業改革」で富山の公共事業が行われるという理想を掲げ、そのために、発注者と施工者に「三方良しの公共事業改革」をしっかり理解させるための勉強会やワークショップを行うという計画をたて、それを実行することで夢が成功すると書いている。
 しかし、今回、中央タクシーの宇都宮会長から直に「お客様が先、利益は後」の実例の数々を聞いて思ったのは、私の夢(=経営に対する想い、理念)を実現するための私自身の行動がまだまだ生ぬるいということであった。社員に対して、「もっと限界まで考えてみろ!」と常々言っているのに、自分自身が限界まで考え、限界まで実行しているとはとても言えない。こんなことでは、「三方良しの公共事業改革」を実現できないと思った。
 「ふるさと富山を発展させる」という想い・理念を社員と一緒にかなえるための方策が「三方良しの公共事業改革」であり、これからは「三方良しの公共事業改革」の一点に集中して経営に当たることで、結果として「社員の幸せ」になれば良いと、今は考えている。

3+1の旅

2013.05.25

「3+1の旅」と言っても、黒、赤、青の3色のボールペンとシャーペンシルが1本になった「3+1」の筆記用具を持って旅をしたという話ではない。女性3人と男は私1人が4月21日の日曜日に新潟に旅したという話。だから「3+1の旅」。
 この3人の女性は2人が91歳でもう1人が81歳。65歳以上の人のことを高齢者(老人)と定義する国連の世界保健機構(WHO)の高齢者の区分では、66歳の私は65〜74歳までの前期高齢者、81歳のS.Mさんは75〜84歳までの後期高齢者、91歳のS.KさんとK.Kさんは85以上の末期高齢者となる。前期高齢者、後期高齢者、そして末期高齢者とは、英語をそのまま訳したのだろうが、何というデリカシーの無い失礼な言葉だろうか。訳したのは誰なのかと腹が立つ。
財団法人ライフ・プランニング・センターの理事長であり、聖路加国際病院理事長でもある日野原重明先生は、かねてより、半世紀前に国連で定めた「65歳以上を老人」とする捉え方はすでに実態に即しておらず、老人は75歳以上として、自立して生きる新しい老人の姿を「新老人」と名付けた。そして「新老人運動」に賛同する人々の集まりとして、2000年9月に日野原先生を会長に「新老人の会」が発足した。
 2007年に発足し2009年から私が世話人代表を務めている富山支部では、2011年9月9日に、当時99歳の日野原先生を富山にお呼びして講演会を開催した。しかし、現在全国に44ある支部の中で会員数がビリから2番目の弱小富山支部では、そうそう富山で講演会を開催することはできない。そこで、4月21日に新潟支部が新潟市で開催する日野原重明先生101歳講演会「私たちの運命は自分でデザインできる」に参加者を募って出かけることにした。それで「3+1の旅」となったのだが、私にとっては、日野原先生の講演ももちろん良かったが、3人の女性会員との椅子を回し対面にして座ったJR車中やタクシーの中での会話が楽しかった。
 行きの特急はくたかで、K.Kさん(91歳)が、大学ノートを横に半分に切って作った自作のメモ帳を取り出し、そこにはさんであった朝日新聞日曜版に掲載の日野原先生のコラム「101歳・私の証 あるがまゝ行く」の「私の椎骨骨折闘病記」の切抜き(上)(下)2枚を見せてくださった。私は3月の東京での拡大世話人会で、先生が手術され、術後4日目に講演されたことを聞いてはいたが、新聞の切抜きを読んで詳細がよく分かった。K.Kさんは講演会の間ずっとこの特製ノートにメモを取っていたが、帰宅してから読み返して清書するとのこと。メモは取るものの、後から読み返すと何が書いてあるか分からない私のメモを反省した。
またK.Kさんは「私なんか日曜日に家に居たって、こたつに入ってサッカーのテレビを見ているだけ。林さんがお世話してくださったこんな良い機会に4人しか行かないなんて、参加しない人は何を考えているのかしら」と嘆かれた。
 S.Mさん(81歳)は私に、「350年も前に、貝原益軒が現代にも通用する養生訓を書いたのよ」と薦めてくれたのが、「すらすら読める養生訓」(立川昭二 著)で、この本に書いてあることを実践していると言う。同じ著者による「愛と魂の美術館」もお奨めだった。驚いたのは、著者の立川さんに富山の啓翁桜(私には初耳の桜だった)を添えて感想の手紙を出したと言う。
 また、初めて富山で日野原先生の講演を聞いた時にとても感激し、富山空港から東京に帰る先生に花束を渡して飛びついたら、先生に喫茶店に誘われ、出発までの時間いろんな話をさせてもらったというエピソードも披露してもらった。
 私は以前S.Mさんから、8週までの胎児をサポートする「円ブリオ基金」のための1円玉を入れる貯金箱をもらったのでその話をしたら、「自分に出来る社会貢献がしたいからやってるのよ」と言われた。
 新潟に出かける前は、駅で手を引かなければいけないかもしれないと思っていたが、全くの杞憂であった。ただ笑ってしまったのが、K.Kさんは、エスカレーターの上りは大丈夫だが下りは苦手だということ。新幹線で新潟駅に到着してエスカレーターで下りた私は、走って離れた場所の階段に回わり、プラットホームまで上がって、K.Kさんの手を引きながら一緒に階段を下りたことくらいが私の手助けであった。
 新潟駅から会場までのタクシーで、運転手さんが、道を挟んで建っている野球場とサッカー場を案内したら、K.Kさんは「私は野球は好きでないけどサッカーは好き。〇〇(名前を忘れたが有名選手)のボールさばきがいい」と言い、「昨日のアルビレックス新潟と横浜F・マリノスの試合、アルビレックス新潟、負けたがやろ?」と運転手さんに尋ねるのにビックリ。運転手さんは「アルビレックス、1対ゼロで勝ちましたよ」と答えた。また、学校の音楽の先生であったというK.Kさんは、車窓からまだ花が残っている桜の木を見て、「きれいやね」と言って、さくらさくら 弥生の空は 見わたすかぎり♪と歌いだし、他の2人も歌いだす。声を合わせて無邪気に歌う3人に、助手席の私の頬も緩んだ。
 帰りの列車では、91歳のお2人とも一人暮らしなのだが、今でも車を運転していると聞き、またまたビックリ。S.Kさんは運転暦50年。「富山から新潟までは3時間くらいね」と言うので「高速を走るのですか?」と唖然として尋ねたら、「大型車の後ろを走れば、80キロで安心よ」とのたまう。一方K.Kさんが運転免許を取ったのは59歳で、免許を取った動機が、「道路工事現場で作業員が仕事をしているのを見たとき、これは車のために仕事をしているのだ、そうなら、私も車を運転しなければ損だと思った」と話され、開いた口がふさがらなかった。
 K.Kさんからは、中年のおばさんの温泉でのマナーの悪さ、ピアノを教えている子どもには、ピアノを教える前にしつけを教えなければいけないという話も聞いた。
また、3人とも私が車中で「すらすら読める養生訓」を検索するのに使ったスマホに大変興味を示された。
 帰りの新潟駅で、私が「笹だんご」のお奨めの店を紹介したら3人とも買われたが、後日S.Mさんから、とても美味しかったと笹だんごの絵を手描きしたはがきを頂いた。
 「新老人の会」の3つのモットーの内のひとつに、「創(はじ)めること」があるが、それを実践し、こんな風に明るく積極的に生きている3人の「新老人」との日帰り旅行は、新潟支部の事務局長との電話でのやり取り、帰りのJRのきっぷの事前購入、各自に電話で伝えた列車の時刻を間違いの無いようにするための3枚のはがきの作成などの手間や時間は問題にならないほどの収穫を私にもたらしてくれた「3+1の旅」であった。なかなか経験できない旅が出来たことに感謝したい。

 

あさひホームで機械浴を行わない理由(わけ)

2013.04.28

あさひホームが2003年(平成15年)4月1日に開業してからあっと言う間に10年が経った。その間の記録を写真を中心にまとめた記念誌が作成され、その巻頭の「あいさつ」に私は以下のように書いている。
 「振り返ると、この間にいろんな問題が起こりましたが、特に危機感を抱いたのは次の二つの出来事でした。4月の開業前から持ち上がったのが、トランスに自信が持てない介護スタッフからの機械浴の導入要望でした。機械浴に絶対反対の私は、設計段階から貴重なアドバイスをもらっていた介護アドバイザーの青山幸広さんに4月6日に富山に来てもらい、デイサービスフロアでトランスの講習会を行いました。その後も何度か講習会を行い、今では当社の山田さんが外部の介護職の方々にもトランスの講習会を開催するまでになっています。」
 そこで10周年を機に、あさひホームで機械浴を行わない理由について書いてみたい。
 機械浴に違和感、嫌悪感を抱いたのは、あさひホームが出来る前に母が利用していた介護施設の浴室に置かれた機械浴を見た時であった。ショートステイから戻った母のオムツを換えていたら、お尻を拭いたタオルに少しだけれどもウンチが付いていたことがあり、下剤を飲んでベッドの上で排便した後はどのようにしているのかと介護スタッフに尋ねたところ、熱いタオルで清拭しているが、お風呂には入れていないとのこと。では、どんなお風呂なのか見せて欲しいと言って見せられたのが機械浴槽であった。白いタイル張りの大きくて殺風景な浴室の中に、何台かの機械浴槽が置かれていた。これが、富山型デイサービスで有名な惣万さんが言うところの「てんぷら揚げ機」であり、これでは文字通り「まな板の上の鯉」だと思った。私が、案内してくれた看護婦さんに「ストレッチャーの上に寝た状態で浴槽に漬けられては、怖くないですかね」と尋ねた時の「浴槽が上がってくるので怖くはないです」との返事を今でも覚えている。今にして思えば「認知症では、記憶は失われても感情はきちんとある」という基本的な知識がなかったのであろう。
 その後、2001年の秋に自分で介護事業を始めることを決意し、2002年3月に東京の設計家の染谷正弘さんを紹介され、あさひホームの設計が始まった。染谷さんは機械浴はしたくないという私の考えに賛成してくれていたが、4月の打ち合わせの翌日、本社の裏にあるサンシップで行われた「にぎやか開所5周年記念講演会」に染谷さんと出かけ、「生活とリハビリ研究所」代表の三好春樹さんの講演を聞き、彼が提唱する「寝たきりに しない・させない。生活習慣を守る。主体性・自主性を引き出す。」という「生活リハビリ」の考え方に2人とも賛同した。そして、三好さんが言うとおり、お年寄りには機械浴という生活習慣はなく、機械浴ではお年寄りの主体性・自主性が引き出せるわけがないことを理解し、機械浴をしないという我々の考え方は正しいと確信した。
 しかし染谷さんは介護施設の設計をしたことがなく、私も介護経験は母のオムツ交換だけなので、浴室をどう作ればよいかは試行錯誤であった。そんな状況で、三好春樹さんに相談してみたらどうかとの染谷さんの提案を受け、私が三好さんにコンタクトを取ったところ「あいさつ」に書いた青山幸広さんを紹介された。青山さんは、グループホームでのトイレのレイアウトに素晴らしいアイデアを出してくれたが、浴槽の大きさや配置にも的確なアドバイスをくれた。5人浴槽は要らないと3人浴槽にしたのもそのひとつだ。
 青山さんから、風呂の形状は長方形で浴壁は垂直のものが介護に適していると教えられ、ホーロー製のそれを予定していたが、製造中止になっていて代わりに提案されたのが同じ形状のポリバス。入浴を大切に考えていた私にとって、母が入浴することも考えると、ポリバスは受け入れがたかった。そこで、当初、すぐに黒ずむので手入れが大変だということで選択肢から外していたヒノキの浴槽だったが、12、3年は黒ずまないという加工を施したヒノキの浴槽を建築会社の現場代理人が探し出してくれた。値段は張るがヒノキとすることにし、ついでに浴室の壁もヒノキに変更した。建築費はどんどん増えた。
 風呂以外にも、どれだけたくさんの検討を重ねたことだろうか。ハードには自信を持って開業したあさひホームだった。しかし、この10年間に2回の増築を行った。実際に運営してみないと分からないことがあると知った。
 先日、新しく開業したサービスつき高齢者向け住宅の内見会に出かけた。なかなかお洒落なつくりであったが、椅子やテーブルの高さが高すぎるし、何よりも浴室に機械浴槽が2台設置してあるのにがっかりした。「誰の為に機械浴にするのですか?」と責任者に尋ねたら、スタッフのためとの返事。経営においては、考え方、理念が大事だと改めて思った。
 朝日ケアの介護スタッフが更にトランスの技能を磨き、ご利用者に普通の入浴を安心して心から楽しんでいただけることを願っている。