8月12日(土)の午後9時から13日(日)の午前3時ころまで、八尾町桐谷にある当社の保養所アサヒ・ツイン・ドームズで天体観測会が行われました。社員の皆さんでこの保養所に出かけたことのある方は少ないのではないかと思いますので、天体観測会の様子を書く前に、この保養所の建設の経緯を記します。
当社は1940年(昭和15年)10月に、初代社長林銀蔵(私の母方の祖父)が高岡市において土木・建築請負業巴組を創業しました。戦後の1946年(昭和21年)10月に富山市館出において株式会社朝日組を設立し、1948年(昭和23年)4月に朝日建設株式会社に改称しました。今でも大林組、清水建設、鹿島建設、熊谷組、佐藤工業など、創業者の姓を付けた会社が多くあるのに、設立時から社名に林ではなく朝日という名前を付けたことに、祖父の先進的な気質を感じています。
1940年創業ですので1990年(平成2年)が創業50周年に当たるということで、記念事業を行おうと考えました。1つは50周年記念誌の発刊、2つ目は、八尾町の総務課長さんに紹介され購入した八尾町桐谷の800坪の土地に社員のための保養所を作ることで、過疎化対策にもなるものです。
当時、ログハウスが流行っていましたが、男性向け雑誌「ターザン」に思想家、発明家、建築家でもあるバックミンスター・フラー博士によって発明されたフラー・ドーム・ハウスが紹介されていました。このハウスの特徴は、2種類の形の異なる三角形を用い、それを相互に組み合わせることで、最小の部材から最大の空間容積を生むことができる構造物です。これにしようと即決し、このドーム・ハウスを設計できる設計事務所が金沢にあることを突き止め、設計を依頼しました。
このドーム・ハウスの事例は1棟単独で建てられた事例ばかりでしたが、私はこれを2つ繋いで片方を研修棟に、もう片方を宿泊棟にすることを思いつき、名前も「アサヒ・ツイン・ドームズ」と決めました。
設計ができていざ確認申請を取るという段階で、柱がない建物では許可できないと言われ、やむなく張りぼての柱を研修棟の真ん中に立て、許可をとった後に壊しました。こうして、1991年(平成3年)のゴールデンウイーク前にドーム・ハウスが完成し、最初の利用者は私の家族で、その夏には会社のビアパーティーを行いました。2000年にはミレニアムコンサートin桐谷と銘打ってジャズコンサートを行ったり、中南米出身者4人で作るアンデス音楽グループWAYNO(ウエイノ)が、ドームの音響が良いということでCDを制作したりもしました。
しかし、台風で窓が破れたり、冬に水道管が破裂したり、雨漏りがし出したりし始め、経費もかかることから取り壊そうかと考えていた時、ドームを拠点にして、ドームのすぐ下の耕作放棄田で一から土壌を復元して無農薬の米作りをしているNPO法人アイ・フィール・ファインの中心メンバーの長谷川由美さんから、集客や維持管理、軽微な修理などをNPO法人で行うので存続してほしいと要請がありました。当社の総務部で行っていた利用者からの集金作業や維持の手間も省けるので、この要請を受けることにしました。
さて、昨年3月に長谷川さんの紹介で、富山市内の小学校で数学の教員をしていた岡本さんが当社を訪ねて来られ、天体観測が趣味なのだが、空気が澄み、夜には集落の明かりが消えて夜空の観測には打ってつけのドームの敷地内に、直径2メートルほどの小型の天文台を設置したいという申し出をされました。私は、ドームを使ってもらうことで、ドーム内の空気の換気や掃除もできると思い承諾しました。
岡本さんは、多くの方に天体観測を知ってもらいたいとの思いから、今年4月に観測会を計画されました。しかし天気が悪い予想だったので中止され、改めて8月12日の午後7時から観測会を行うとの案内を頂きました。おそらく10年以上出かけていなかったドームで帰り道が怖いので泊まりで参加することにしました。
参加したのは、長谷川さんの知人の高山から来られたご夫婦と小学生の男女のお子さん2人、富山大学医学部のお医者さん、岡本さんと岡本さんの娘さんとその友達、そして長谷川さんと私の全部で10人です。
小型天文台のそばに設置された天体望遠鏡は、直接覗いても岡本さんが説明する星座はなかなか見つけられませんが、この望遠鏡は自動的に目的の星を探してカメラに画像を送り、それをiPadで見ることができます。また、岡本さん持参のそれほど大きくない倍率の双眼鏡でも、はっきり見ることができました。
この後は、研修棟でそれぞれ夕食をとり、日が変わって午前2時から流れ星を観測しました。私は自宅から持ち込んだサントリーの角瓶を楽しみながら、研修棟についているデッキで夜空を眺めていました。岡本さんが言う通り、2時頃から流れ星が見え始め、小学生の子供たちは「見えた!」と歓声をあげますが、私は見上げる方向が違っていて、なかなか見られませんでした。しかし、3時頃に夜空の真ん中を左上から右下に明るく輝いて流れる大きな流星を見ることができました。これまでに見た流れ星で一番美しく、大満足で研修棟にあるゲストルームに引き上げ、幸せな眠りにつきました。
解散後、岡本さんは、「アサヒ・ツイン・ドームズ星空観望会」というLINEのグループを作られました。今のところ参加者は5人です。私から、夜空に思いを馳せそうなロマンチストの社員に、このLINEへの招待状が届くかもしれませんが、その時は参加をよろしくお願いします。一緒に夜空の星を見上げましょう♪
6月29日から九州地方を中心に大雨になりましたが、このニュースを聞いて直ぐに思ったのが6月2日から第1班、3日から第2班に分かれて総勢49人で出かけた熊本・大分への社員旅行で訪れた立野ダムのことでした。
当社の社員旅行は、以前は観光地に出かけ宴会をするだけでしたが、2013年に東日本大震災の被災地を訪れ建物や土木構築物の破壊状況を見てからは、社員旅行の目的を観光だけではなく、それにプラスして土木構築物を見たり文化に触れたりすることにしました。旅行会社は私が所属する富山みらいロータリークラブの友人が経営するエヌトラベルですが、彼の企画で2019年には高さ18m、重量500tの巨大な柱59本が天井を支える光景が神殿のように見えるので地下神殿と呼ばれる首都圏外郭放水路を見学し、その後は浅草で芸者さんをあげて宴会をしました。
今年の社員旅行の熊本・大分の企画書に、2016年4月に発生した大地震で被害を受けた熊本城の見学と熊本県南阿蘇村にある立野ダムが書かれていました。立野ダムは聞いたことのないダムでしたが、パンフレットの工程予定表には「立野ダム工事現場視察」今しか見られない工事現場・普段は水を貯めない“洪水調整ダム”と記されていました。
私は1班で出発し2班で帰ったので立野ダムは2度見学し、ボランティアガイドさんからの国交省立野ダム工事事務所や現地での説明でダムの目的と構造はよく理解できましたが、実際に洪水が起きた時のことは想像できませんでした。そこに、冒頭に記した6月末の大雨です。早速、「熊本、立野ダム、大雨」と入力したところ、熊本の国営立野ダム、初の洪水調節 熊本の国営立野ダム、初の洪水調節 白川の流量カット、国交省「機能発揮した」のタイトルの2023年7月1日 の熊本日日新聞の以下の記事が見つかりました。
(以下、記事全文)
国土交通省は6月30日までに降った大雨で、白川上流の国営立野ダム(熊本県南阿蘇村、大津町)が初めて白川の流量をカットし、洪水調節をしたと明らかにした。4月に本体のコンクリート打設が完了し、洪水を調節できる状態になっていた。
立野ダムは、熊本市街地などの洪水防止を目的にした治水専用の流水型ダム。本体に約5メートル四方の穴が三つあり、普段は貯水せず、大雨時は穴を流れきれない水が自然にたまる仕組み。
国交省立野ダム工事事務所によると、ダム上流域の28日午前4時から30日午後7時までの総雨量は276ミリ。30日午後5時40分から同7時まではダムへの流入量が穴からの放流量を上回った。
30日午後6時半の時点では、流入量が毎秒861トンだったのに対し、放流量は同828トンで33トンをカットした計算となる。ピーク時には、ダムの水位が平常時から約22メートル上昇して52万6千トンを貯水。総貯水量(1010万トン)の約5・2%だった。
同事務所は「ダムが洪水調節機能を発揮したと考えている」としている。(東誉晃)
(ここまで)
そして、平常時と洪水時の写真が載せられていたが、旅行で見た「平常時」が、今回の大雨でこのような「洪水時」に変わったことに、このダムの目的が達せられたことと土木の重要性を改めて感じました。皆さんはいかがですか。
蛇足:話がとても面白かった1班のバスガイドさんの、立野ダムに関する話
「立野の地名は阿蘇山に住む神様がふもとに降りてきたときに転んで立てなかったので、この地が、立てんのう⇒立野 と名付けられた」
「立野ダムの総工費は1,270億円。1,270円ではない。奥(億)が深い」
このコラムで映画について書いたのは、昨年は3月の「『禁じられた遊び』とウクライナ」、5月の「『ほとり座』での映画鑑賞」、10月の「こちらあみ子」の3本でしたが、今年に入って既に1月の「81+5」、2月の「チョコレートな人々」、3月の「そばかす」と3カ月連続で書いています。4月、5月は高志の国文学館の中西進館長に就いて書きましたが、今月は執筆する時間が無いので、また映画について書きます。
5月26日からロータリーの世界大会に参加するためオーストラリアに出かけ、5月31日の昼前に帰宅して午後2時間半と6月1日の1日半仕事をし、また社員旅行で1班と2班の両方に3泊4日で参加したので、今年は去年ほど映画を観ていないのかと思っていましたが、今年1月から観た映画は今月のタイトルの「セールス・ガールの考現学」を入れて41本になり、この後も3本観ますので6月末には44本になります。でもこれまでに観た41本の映画のタイトルを見て内容を思い出せるのは10本くらいです。しかし「セールス・ガールの考現学」は来年になっても思い出せる映画になると思います。
この映画は、ほとり座で予告編を観たときから絶対に観ようと決めていました。それはモンゴルでも映画が作られているのだと思ったことと、アダルトグッズ・ショップでアルバイトをする主人公の清楚な女子大学生に対して、謎のオーナーの中年の女性が「セックスショップはポルノ店じゃない。薬局よ」という言葉に興味がひかれたことによります。
モンゴルと聞けば、大関に昇進した霧葉山や元横綱の白鵬や鶴竜、そして朝乃山が6連敗している横綱照ノ富士を思い浮かべ、草原を馬に乗って駆け回る光景を思いますが、この映画の舞台は高層ビルが立ち並ぶモンゴルの首都ウランバートルです。チラシから引用すると「モンゴル映画のイメージを鮮やかに覆す、軽やかで、キュートで、ちょっぴりおかしな成長の物語」であり「自分らしく、自由に生きるためのヒントがいっぱい!新星ヒロインと30年ぶりに銀幕復帰のベテランの最強シスターフッド!」(注:シスターフッドはsisterhoodで、女性間の連帯、女性同士の共感の意味です)。また、「オーナーが繰り出す、機知に富んだアドバイスの数々は説得力抜群です」とあり、人生のプロ、カティア(オーナーの名前)に学ぶ愛と性についての名言集の一つの「ボンヤリしないで。うつむいて自分の靴を眺めている間に、大切な時間は過ぎて行くわ」に、フーテンの寅の言葉「人生についてようく考えろって。ぼけっとしてる間に、あっという間に骸骨になっちゃうんだから、人間は」が重なりました。「若過ぎる成功は害になる。成功するために若さを犠牲にしてはダメよ」に、そうかもしれない、そんな例も身近にあったと思い、「親の言いなりなんてナンセンス。遅かれ早かれ、子供は自立して行くんだから」には、さて自分はどうだったかと思わされました。
こんな風に書けるのも映画を観た後にチラシを持ち帰ったからであり、チラシを読んで映画が伝えたいところを知ることが出来たのです。観ているときは画面に引き込まれ、チラシにあるようなことは思いませんでした。でも、もしチラシを読んでから映画を観たらどうだったかなと思います。深く味わえるかと思いますが、私の場合は「頭で観る」という観かたになって、映画の楽しさが減るのではないかと思います。これからも、毎月の映画予定表にある数行のあらすじで観るか観ないかを判断しましょう。