セールス・ガールの考現学

2023.06.26

 このコラムで映画について書いたのは、昨年は3月の「『禁じられた遊び』とウクライナ」、5月の「『ほとり座』での映画鑑賞」、10月の「こちらあみ子」の3本でしたが、今年に入って既に1月の「81+5」、2月の「チョコレートな人々」、3月の「そばかす」と3カ月連続で書いています。4月、5月は高志の国文学館の中西進館長に就いて書きましたが、今月は執筆する時間が無いので、また映画について書きます。

   

 5月26日からロータリーの世界大会に参加するためオーストラリアに出かけ、5月31日の昼前に帰宅して午後2時間半と6月1日の1日半仕事をし、また社員旅行で1班と2班の両方に3泊4日で参加したので、今年は去年ほど映画を観ていないのかと思っていましたが、今年1月から観た映画は今月のタイトルの「セールス・ガールの考現学」を入れて41本になり、この後も3本観ますので6月末には44本になります。でもこれまでに観た41本の映画のタイトルを見て内容を思い出せるのは10本くらいです。しかし「セールス・ガールの考現学」は来年になっても思い出せる映画になると思います。

   

 この映画は、ほとり座で予告編を観たときから絶対に観ようと決めていました。それはモンゴルでも映画が作られているのだと思ったことと、アダルトグッズ・ショップでアルバイトをする主人公の清楚な女子大学生に対して、謎のオーナーの中年の女性が「セックスショップはポルノ店じゃない。薬局よ」という言葉に興味がひかれたことによります。

   

 モンゴルと聞けば、大関に昇進した霧葉山や元横綱の白鵬や鶴竜、そして朝乃山が6連敗している横綱照ノ富士を思い浮かべ、草原を馬に乗って駆け回る光景を思いますが、この映画の舞台は高層ビルが立ち並ぶモンゴルの首都ウランバートルです。チラシから引用すると「モンゴル映画のイメージを鮮やかに覆す、軽やかで、キュートで、ちょっぴりおかしな成長の物語」であり「自分らしく、自由に生きるためのヒントがいっぱい!新星ヒロインと30年ぶりに銀幕復帰のベテランの最強シスターフッド!」(注:シスターフッドはsisterhoodで、女性間の連帯、女性同士の共感の意味です)。また、「オーナーが繰り出す、機知に富んだアドバイスの数々は説得力抜群です」とあり、人生のプロ、カティア(オーナーの名前)に学ぶ愛と性についての名言集の一つの「ボンヤリしないで。うつむいて自分の靴を眺めている間に、大切な時間は過ぎて行くわ」に、フーテンの寅の言葉「人生についてようく考えろって。ぼけっとしてる間に、あっという間に骸骨になっちゃうんだから、人間は」が重なりました。「若過ぎる成功は害になる。成功するために若さを犠牲にしてはダメよ」に、そうかもしれない、そんな例も身近にあったと思い、「親の言いなりなんてナンセンス。遅かれ早かれ、子供は自立して行くんだから」には、さて自分はどうだったかと思わされました。

   

 こんな風に書けるのも映画を観た後にチラシを持ち帰ったからであり、チラシを読んで映画が伝えたいところを知ることが出来たのです。観ているときは画面に引き込まれ、チラシにあるようなことは思いませんでした。でも、もしチラシを読んでから映画を観たらどうだったかなと思います。深く味わえるかと思いますが、私の場合は「頭で観る」という観かたになって、映画の楽しさが減るのではないかと思います。これからも、毎月の映画予定表にある数行のあらすじで観るか観ないかを判断しましょう。

「中西進のメッセージ」その2

2023.05.25

 先月のコラムの最後に、「来月は、高志の国文学館の書籍販売コーナーで買った中西先生の著「卒寿の自画像-わが人生の賛歌」で知った、言葉の意味について書きましょう」と記しました。早速、書いていきましょう。

   

万葉集は恋歌の多さで知られています。山部赤人にはこんな歌があります。

第3章の「花の咲くとき」に“日本の恋は「孤悲」”という節があります。書き出しの部分をそのまま書き写します。

   

  • 明日香河川淀さらず立つ霧の思ひ過ぐべき恋にあらなくに

 明日香川の淀みにいつも立ち込めている霧のように、わが恋もすぐに消えてなくなるようなものではありません、という意味です。この恋は万葉仮名では「孤悲」と表記されています。

 古代から日本では、恋の本質は孤独な悲しみなんですね。万葉集では一番好きといってもいい歌は悲しみが極まっています。

   

  • 吾(あ)が恋はまさかもかなし草枕多胡(たご)の入野(いりの)の奥もかなしも

 「まさか」は今、「奥」は未来。つまり、私の恋は今もこれからもかなしいと歌っています。一度きりの命、一期一会と思う恋を凝視した時にわきあがる感情が切なさ、悲しさで、これが「孤悲」につながります。

 恋が苦しい、愛がつらいという歌もありますね。

    

  • 近江の海沈く白玉知らずして恋ひせしよりは今こそまされ

 近江の海に沈んでいる白玉のように、あなたを知らないで恋していたときより、深い仲になった今のほうが恋しく、胸が苦しいという意味です。

   

 私はこの文章を読み、大学生時代にはやったシャンソン歌手の岸洋子の「恋心」を思い出しました。「恋は不思議ね 消えたはずの 灰の中から なぜに燃える (中略) 恋なんて 悲しいものね 恋なんて 恋なんて♫」。恋の悲しみ、恋の苦しみを歌っています。演歌では美空ひばりの「悲しい酒」や、検索すると他の歌手の「悲恋」、「悲恋雀」、「悲恋半島」、「悲恋海峡」などでてきます。ザ・ピーナッツの「恋のバカンス」という甘い歌もありますが、日本人には恋が悲しい、愛がつらいという感覚が強いのかもしれませんね。

   

 第4章「実りをめざして~拓くころ」の“中国で開けた真理の扉”の節に、山上憶良の有名な歌に「瓜食(うりは)めば 子ども思ほゆ 栗食めば まして思(しの)はゆ」があるが、なぜ瓜や栗を食べると子のことを思い出すのかがよくわからずにいた。その疑問は中国であっさり解けた。中国では、結婚式に瓜、栗などで四隅を飾る。「瓜」はうぶ声の「呱呱(ここ)の声を上げる」を連想させ、「栗」の音読み「リツ」は「立」と通じ、立子、つまり子を設けることの祈りなのだということで、真理の扉は思いがけぬところにあったのだと書いておられます。

   

 「雑」という言葉も、日本では雑音、雑多、雑念、雑談など、およそ役に立たないようなものばかりが登場するが、万葉集は「雑歌」に始まり、愛の歌、死の歌がつづく。愛の歌などにつづき、最後に「その他」の「雑歌」があるのなら理解できるが、巻頭に「雑歌」というのは今の日本人からするとかなり変であろう。でも中国では「雑」はすばらしい言葉で、辞書には「彩なり」とあり、多彩なすぐれたものを意味する。中国雑技団の妙技は多様のかぎりを尽くしたさまざまな技芸の取り合わせなのだと書いておられます。

   

 また、聖徳太子の十七条の憲法の中の十条「ふん(分の下に心)を絶ちしん(目の横に眞)を棄(す)てて人の違(たが)ふことを怒らざれ」について、心で怒ること、顔に出して怒ること、人が自分と違っていることに対して怒ることを戒めている。自分ができることを他人ができないと、「なんで、そんなこともできないのか」と怒る人がいるが、それは自分が賢い、偉いと思い、他人を愚かと思うからである。そして、自分だけの正義を信じ、相手を見下し、怒り、争う。それがこうじると戦争になると話されています。

   

 「自分だけの正義を信じ、相手を見下し、怒り、争う」ことは、私自身にも無きにしも非ずで、親子、夫婦、社員の間で、争いはしませんが自分だけの正義を信じ、相手を見下し、怒ることはままあります。そして、ロシアも中国も現在、まさに自分だけの正義を信じ、相手を見下し、怒り、争っています。

   

 先月と今月のコラムは、中西進著「卒寿の自画像 わが人生の賛歌」を読んでのものですが、東京書籍:本体1400円(税別)ですので、ぜひ購入し読むことをお勧めします。日本語の豊かさを感じ、日本に生まれてよかったと思われることでしょう。

「中西進のメッセージ」

2023.04.25

3月25日の土曜日に高志の国文学館で、4月に館長を退任される中西進先生の「中西進のメッセージ」を聴きました。講演だと思って入場したら、聴講者の椅子の上に置いてあったA4裏表1枚の資料「中西進選三編」に書かれた3つの詩について、富山の詩人の池田瑛子さんが聞き手となっての対談でした。

以下に、スマホにメモしたことを記します。最初の詩は、永瀬清子の「あけがたにくる人よ」です。

   

① 詩は良いですね、と言い合いましょう

  • 永瀬清子が81歳の時に書いた詩で、中西先生も大好きな詩
  • 詩は人を十分に騙す
  • 偽りは犯罪だが、嘘(うそ)は「あそ」と同じで遊び。ハンドルにも遊びがある。
  • 今日は遊んで帰った、と思ってほしい
  • 遊びには形式がないが、小説や戯曲には形式がある
  • あけがたにくる人よ、と書いてあるが、人は来ない。幻覚、幻視、幻聴であり、人がいなくても良い
  • 60歳を少し過ぎたころの永瀬さんに会った。「文学の言葉は現実の言葉とは違う」と言われた。畑から上がってきたようだった
  • 2連(2つ目のまとまり)では、家出をしようとした、恋だけを頼りにして、現実から逃避しようとした
  • 「バスケット」には昭和のにおいがする
  • 4連では、「もう過ぎてしまった」の過去と、「あけがたにくる人よ」の現在があり、甘え、艶やかさ、恋慕の情もある。恋心が持続している。

   

 ② 詩とは何か 八木重吉 「素朴な琴」

  • 詩は削ぎに削ぐ
  • 季節は秋でなければいけない
  • 明るい光の中で琴が鳴り出す
  • 詩を作り上げる要素は3つ
  1. 事物 発見
  2. 述べる 叙述する
  3. 音楽性 リズム。散文とは異なる
  • 「砂漠にラクダがいる」は、発見ではない
  • 琴は事物、光が琴の弾き手であり叙述。それをリズムの中に置く
  • 題名にある「素朴な」や、詩に書かれている「美しさ」という言葉は使ってはいけない(批判)
  • 「しずかに鳴りいだすだらう」とあるが、騒々しく鳴りだすはずがない
  • 「美しさに耐へかね」は「光に耐へかね」とすべき
  • 「この明るさのなかに」の明るさに、光が入っている

   

③ 田中冬二 「ふるさとにて」

  • 聞き手の池田さんが、自分の初めての詩集の出版記念会で、田中冬二から、「富山に住んでいるのなら自然をうたわなければいけない」と言われた
  • ふるさと性として、ほしかれひ、石をのせた屋根、街道、雪売り、の4つ
  • 「石をのせた家が ほそぼそと ほしかれひをやく」で、「ほそぼそ」は前の「家々」にかかる

   

 メモは以上ですが、最後に中西先生は、「富山は来る前も来てからも排他的だと言われたが、そうではなかった。私は小さい時から楽天的で、転校生として散々いじめられたが、富山の人は私を受け入れてくださった。12年間、無害の虫だと思われたのかもしれませんが」と、いつものユーモアで話を終えられました。

 宮沢賢治の詩が大好きな私ですが、詩の感じ方についての理解が深まったように思った1時間半でした。

   

 来月は、高志の国文学館の書籍販売コーナーで買った中西先生の著「卒寿の自画像-わが人生の賛歌」で知った、言葉の意味について書きましょう。