聖路加国際病院理事長の日野原重明先生が2000年に「新老人の会」を組織され会長を務めておられるが、その富山支部の世話人代表(責任者)を作年から私が務めている。
日野原先生は全国の小学校で聴診器を使って「いのちの授業」をされているが、その「いのちの授業」が7月14日に七尾市立小丸山小学校で行なわれることを石川支部の会報で知り、今後の富山支部の活動の参考にしたいと授業参観に出かけた。
授業は6年生の児童を対象に行なわれた。音楽教室の前方で女の先生が弾くピアノ伴奏に合わせて校歌を歌う児童の間を、日野原先生(以下、先生)は両手で大きく指揮をしながら入ってこられた(写真1)。
最初に先生が児童に「私は何歳だと思いますか」と質問すると、事前に聞いていたらしく「98歳」と答えが返る。先生は明治44年生まれで今年99歳になると言って、男児にホワイトボードにその年号を書かせたら「明じ44年」。この男児に、明治44年は西暦何年かと尋ねて書かせると1945年と書く。今年は2010年だから引いたらいくつになるかとの問いかけに、その男児は答えを書けない。これを見て先生は、世界ではモンゴルでもインドでも、小学生が2桁同士の13×13や15×15などの掛け算を暗算で出来ると話し、「モンゴルをかける人?」と問いかける。勢いよく手を挙げた男児がかいたのは「モンゴル」のカタカナで地図ではない。これには、皆笑ってしまった。先生は、日本の地図を描き、ロシア、中国、そしてゴビ砂漠まで描き込む(写真2)。
その次に先生は、将来大きくなったら何になりたいかと問いかけ、サッカー選手や野球選手と答えた男児を相手に、サッカーではシュートさせて1度目は先生が受け、2度目は先生がはずして「これはスペインの勝ちだな」と笑わせ、野球(写真3)ではイチローの真似をさせ、「そうじゃないだろう」とご自身でユニフォームの袖をつまみ上げる仕草や打撃フォームを上手に真似される。ピアノを習っている女児にピアノを弾かせてから(写真4)、今度はホワイトボードの左端から右端に1本の線を引き、左端を0歳、右端を100歳として右端のちょっと左に98と書いた後、児童に年齢を尋ねると12歳と11歳という答。答えた女児たちに、線の上に12歳と11歳と思うところに印をつけさせてから、傍らの紙で0から12までの長さを合わせ(写真5)、それを24、36、48と移動させたら3回で100に届いてしまう。11でも同じこと。その上で先生は、両手を広げて左手で0右手で100を押さえ、おでこがついたところが50、そしてまた両手とおでこで0と50の半分が25と示してから、11や12の位置に印をされ、「君たちはここにいるよ」と話された。
ここから生きているということに話題が転換する。りんご(写真6)、ピーマン、レモンなどの模型を使って心臓の位置や大きさを説明してから、教室の前に出てきた数人の児童たちに聴診器(写真7)を左の胸に当てさせて自分の心臓の音を聞かせる。その数を数えさせてから、人間や象、そしてネズミなどの心臓の鼓動数の違いを説明される。そして、「心臓が動いているから生きているのでありいのちを持っているのだけれど、そのいのちは風や空気中の酸素と同じように目には見えない。でも君たちは朝起きて、食事をして歯を磨き、学校に来て勉強したり遊んだりしているのは時間を使っているということであり、時間を持っているということ。いのちとは時間。子どもの時は、時間を自分のために使うけれど、大人になったら自分のことにだけでなく、他人のことにも使うようになる」と話された。
締めくくりは「シャボン玉」の歌。シャボンが石鹸だということを子ども達は誰も知らなかったけれど、この歌の歌詞は野口雨情(写真8)が自分の赤ちゃんが生まれて間もなく死んでしまったことを悲しんで作詞したということを話され、女児のピアノ伴奏で先生が指揮して、生徒も参観していた父兄も音楽教室の皆が一緒に「シャボン玉」を歌った。
あっと言う間の45分間の授業だったが、内容は実に深く重かった。先生のお話は、私が富山経済同友会の課外授業で中学生に、そして我が社の社員に「働くとは、端・楽であり、周りを楽にすること。だから、自分のために働くのではなく、他人のために働くのです」と繰り返し言っていることと相通じるところがあると思った。
しかし、98歳の日野原先生の「いのちは時間であり、長生きできればそれだけ誰かのために多く時間が使える」というメッセージは、先生より35歳も若い私が言う話とは聞き手に与える力が全く違うと思った。そして、私もこれからの時間をもっとしっかり使わなければいけないとも思った。