あさひホームが2003年(平成15年)4月1日に開業してからあっと言う間に10年が経った。その間の記録を写真を中心にまとめた記念誌が作成され、その巻頭の「あいさつ」に私は以下のように書いている。
「振り返ると、この間にいろんな問題が起こりましたが、特に危機感を抱いたのは次の二つの出来事でした。4月の開業前から持ち上がったのが、トランスに自信が持てない介護スタッフからの機械浴の導入要望でした。機械浴に絶対反対の私は、設計段階から貴重なアドバイスをもらっていた介護アドバイザーの青山幸広さんに4月6日に富山に来てもらい、デイサービスフロアでトランスの講習会を行いました。その後も何度か講習会を行い、今では当社の山田さんが外部の介護職の方々にもトランスの講習会を開催するまでになっています。」
そこで10周年を機に、あさひホームで機械浴を行わない理由について書いてみたい。
機械浴に違和感、嫌悪感を抱いたのは、あさひホームが出来る前に母が利用していた介護施設の浴室に置かれた機械浴を見た時であった。ショートステイから戻った母のオムツを換えていたら、お尻を拭いたタオルに少しだけれどもウンチが付いていたことがあり、下剤を飲んでベッドの上で排便した後はどのようにしているのかと介護スタッフに尋ねたところ、熱いタオルで清拭しているが、お風呂には入れていないとのこと。では、どんなお風呂なのか見せて欲しいと言って見せられたのが機械浴槽であった。白いタイル張りの大きくて殺風景な浴室の中に、何台かの機械浴槽が置かれていた。これが、富山型デイサービスで有名な惣万さんが言うところの「てんぷら揚げ機」であり、これでは文字通り「まな板の上の鯉」だと思った。私が、案内してくれた看護婦さんに「ストレッチャーの上に寝た状態で浴槽に漬けられては、怖くないですかね」と尋ねた時の「浴槽が上がってくるので怖くはないです」との返事を今でも覚えている。今にして思えば「認知症では、記憶は失われても感情はきちんとある」という基本的な知識がなかったのであろう。
その後、2001年の秋に自分で介護事業を始めることを決意し、2002年3月に東京の設計家の染谷正弘さんを紹介され、あさひホームの設計が始まった。染谷さんは機械浴はしたくないという私の考えに賛成してくれていたが、4月の打ち合わせの翌日、本社の裏にあるサンシップで行われた「にぎやか開所5周年記念講演会」に染谷さんと出かけ、「生活とリハビリ研究所」代表の三好春樹さんの講演を聞き、彼が提唱する「寝たきりに しない・させない。生活習慣を守る。主体性・自主性を引き出す。」という「生活リハビリ」の考え方に2人とも賛同した。そして、三好さんが言うとおり、お年寄りには機械浴という生活習慣はなく、機械浴ではお年寄りの主体性・自主性が引き出せるわけがないことを理解し、機械浴をしないという我々の考え方は正しいと確信した。
しかし染谷さんは介護施設の設計をしたことがなく、私も介護経験は母のオムツ交換だけなので、浴室をどう作ればよいかは試行錯誤であった。そんな状況で、三好春樹さんに相談してみたらどうかとの染谷さんの提案を受け、私が三好さんにコンタクトを取ったところ「あいさつ」に書いた青山幸広さんを紹介された。青山さんは、グループホームでのトイレのレイアウトに素晴らしいアイデアを出してくれたが、浴槽の大きさや配置にも的確なアドバイスをくれた。5人浴槽は要らないと3人浴槽にしたのもそのひとつだ。
青山さんから、風呂の形状は長方形で浴壁は垂直のものが介護に適していると教えられ、ホーロー製のそれを予定していたが、製造中止になっていて代わりに提案されたのが同じ形状のポリバス。入浴を大切に考えていた私にとって、母が入浴することも考えると、ポリバスは受け入れがたかった。そこで、当初、すぐに黒ずむので手入れが大変だということで選択肢から外していたヒノキの浴槽だったが、12、3年は黒ずまないという加工を施したヒノキの浴槽を建築会社の現場代理人が探し出してくれた。値段は張るがヒノキとすることにし、ついでに浴室の壁もヒノキに変更した。建築費はどんどん増えた。
風呂以外にも、どれだけたくさんの検討を重ねたことだろうか。ハードには自信を持って開業したあさひホームだった。しかし、この10年間に2回の増築を行った。実際に運営してみないと分からないことがあると知った。
先日、新しく開業したサービスつき高齢者向け住宅の内見会に出かけた。なかなかお洒落なつくりであったが、椅子やテーブルの高さが高すぎるし、何よりも浴室に機械浴槽が2台設置してあるのにがっかりした。「誰の為に機械浴にするのですか?」と責任者に尋ねたら、スタッフのためとの返事。経営においては、考え方、理念が大事だと改めて思った。
朝日ケアの介護スタッフが更にトランスの技能を磨き、ご利用者に普通の入浴を安心して心から楽しんでいただけることを願っている。