母の17回忌と父の13回忌

2024.05.24

 今月の18日(土)に、我が家の菩提寺である稲荷元町の光善寺で、平成18年(2006年)1月10日に亡くなった母 絹子の17回忌と、平成24年(2012年)5月24日に亡くなった父 俊郎(としお)の13回忌を行いました。

   

 母が無くなり、母が入院していた婦中町の富山病院から雪が酷く降る中を遺体が自宅に戻り座敷に遺体を安置し、僧侶に読経してもらおうとして、我が家の菩提寺がどこだか知らないことに思い至りました。そこで従兄のTさん(元 当社の常務取締役)に電話し、Tさんの住む館出の傍にある光善寺であることを教えてもらいました。そこは、祖父の銀蔵の葬儀を行ったお寺であったことを後から思い出しました。

   

 父は、私が44歳で社長になった時に80歳で会長になりましたが、70歳代から、当社の子会社「朝日ケア」が富山市北代で平成15年から運営する老人介護事業所あさひホームに行って、デイサービスを受けている母と一緒に食事をしていました。母が亡くなってからは会社に出ることもなくなり、朝晩の食事は渡り廊下で繋がっている離れから母屋の私の家に来てとり、昼は私の妻が作る食事をとったり、平成18年に開業した我が家の近くの、歩いて5分ほどのあさひホーム吉作のデイサービスでとったりしていました。しかし衰弱が進み歩くのもままならなくなったので、あさひホーム吉作のショートステイを利用するようになりました。そして平成24年の5月20日(土)、会社の4階で業務推進会議(現在の経営戦略会議)中に、妻から私の携帯電話に、父の腹痛が激しく救急車で済生会富山病院に搬送されているところだと連絡が入りました。私は会議を抜けて済生会富山病院に走りました。そしてその晩から、弟と交代で父の病室に夕方から朝まで泊まり込みましたが、私の当番だった5月23日(木)は血中酸素飽和度がどんどん下がりだし、翌24日の1時過ぎに息を引き取りました。

   

 前置きが長くなりましたが、18日に光善寺で行った父母の13回忌と17回忌の法要の際に、法語唱和という半紙が配られ、出席した私と妻と長男、次女、次男がその文章(法語)を唱和しました。その冒頭に、「私の意志を超えた縁(えにし)によってこの世に私は生まれました。親に育てられ、兄弟の絆、夫婦という不思議な縁で結ばれた伴侶をもち、子を生み育て、職業にたずさわって喜怒哀楽の生活を続けてきた人の一生です。お互い一人ひとりの一生を思うと、ただ不思議なご縁に生かされてきた人生が愛しくさえ感じられます。」と書かれていました。

   

 母の17回忌と父の13回忌の法要でこの文章に出会ったことをありがたく感じ、道ですれ違う人との「袖振り合うも他生の縁」の諺を大事にしながらも、もっと家族や親戚との縁を大切にして生きていきたいと思いました。