2019.01.01

絶対積極

今年最初のこのコラムは、今月15日から17日までの3日間、各部門で行なった朝礼での私の話に肉付けします。

 私は富山市相撲連盟副会長として、毎年1月に行われる新春稽古始めの開会式で、小・中学生や高校生の選手を前に挨拶をしていますが、今年は、身体より精神が大事だという話をしようと思いました。そこで、このように話し始めました。

 日本では武道や相撲で「心技体」の3つの要素をバランスよく鍛えなければいけない、と言われますが、「健全なる精神は健全なる身体(肉体)に宿る」という言葉もあります。身体が健全であれば、それに伴って精神も健全になるとして、何事も身体が元であると言っているのです。しかし私は以前からこの言葉はちょっとおかしいのではないかと思っていました。プロ野球の大物スター選手で覚醒剤を使用し何度も逮捕された人もいれば、大相撲の力士にも野球賭博や暴力行為で廃業した力士がいました。アマチュアスポーツ界でも、ドーピング検査で陽性反応が出てメダルを剥奪された選手が世界各国にいましたし、昨年は特に、パワハラやセクハラで世間を騒がせた大物指導者が話題にもなっていたからです。

 そこでこの「健全なる精神は健全なる身体(肉体)に宿る」という言葉を調べてみました。そうすると古代ローマ時代の詩人ユウェナリスの言葉からきているが、元々は、「賢明な人間が神に願うのは、健全な精神と健全な肉体、この2つさえあれば、それだけで満足するべきである」というもので、「宿る」とはどこにも書いてないということです。

 その後しばらくは本来の正しい意味で使われていましたが、近世になって世界規模の大戦が始まると状況は一変しました。ナチス・ドイツを始めとする各国はスローガンとして「健全なる精神は健全なる身体に」を掲げ、さも身体を鍛えることによってのみ健全な精神が得られるかのような言葉へ恣意的に改ざんしながら、軍国主義を推し進めたのです。その結果、本来の意味は忘れ去られ、戦後教育などでも誤った意味で広まることとなり、このような誤用に基づいたスローガンは現在でも世界各国の軍隊やスポーツ業界を始めとする体育会系分野において深く根付いているということです(ウイキペディア、「ユウェナリス」から)。

  このことを紹介し、つぎのように挨拶を続けました。

 中村天風という昭和の大哲学者がいます。山本五十六、東郷平八郎、原敬、松下幸之助、稲盛和夫、ロックフェラー3世といった後の政界、財界の大物たちが天風の教えに影響を受け、大相撲で69連勝した横綱双葉山も天風の門下生でした。中村天風は日露戦争の軍事探偵、今で言うスパイとして満蒙で活躍。帰国後、当時不治の病であった肺結核を発病し、日本でもアメリカでも治らず、船での帰国途中にスエズ運河で停まっていたときインドのヨガの大行者に誘われ、その行者の下、ヒマラヤの麓での2年半の修行ですっかり結核が治りました。この天風は「身体病んでも、心まで病ますな」と言い、「心が体を動かしている」と考えました。この一年、皆さんはしっかり心を鍛えてください。

 以上が私の挨拶ですが、これからはこの挨拶の後、更に考えたことです。

私は今年の新年式で、今年から始まる新しい中期経営計画「VISION2021」のサブタイトル「3C」について説明しました。3Cとは、Chance,Challenge,Changeですが、これもまず心がスタートです。チャンスをつかもうとする心、挑戦しようとする心、変わろう、変えようとする心がなければ、念仏のようにこの3Cを唱えていても、何もつかめず、挑むこともなく、変わることもありません。3Cに向かう心は積極的な心なのです。

 私は人生においては中村天風が言う「絶対積極」が最も大事だと思います。天風の「絶対積極」とは、「人間として生きてきたからには、積極的に生きようではないか。苦しいことがあったからと言って、下を向かずに前を向くべき」というもので、人生を好転させるのは自分の心の持ちよう次第であるという積極的思考の教えであり、天風は絶対積極について、次のように言っています。

「心がその対象なり相手というものに、決してとらわれていない状態、これが絶対的な気持ちというんだよ。何ものにもとらわれていない、心に雑念とか妄念とか、あるいは感情的ないろいろの恐れとか、そういったものが一切ない状態。けっして張りあおうとか、対抗しようとか、打ち負かそうとか、負けまいといったような、そういう気持ちでない、もう一段高いところにある気持ち、境地、これが絶対的な積極なんですぜ。」

 日々、心がけたいものです。