先月のこのコラムの最後に、「そして私には、毎回30分間の「トップコメント」が割り当てられています。今考えている内容は、私のこれまでの70年の人生と、経営者としての考え方がどのように形成されてきたかを、6回にわたり一代記のようにして語ることです。楽しみながら取り組んでいこうと思っています。乞う、ご期待!!」と書きました。しかし3月中には講義(「トップコメント」が「トップ講義」に変更)資料の作成にとりかかれず、4月3日の入社式が終わってから、第1回研修会2日前の4月5日にようやく取りかかりました。
6回の講義内容は、第1回1日目「生まれてから高校卒業まで」、2日目「大学時代」、第2回「サラリーマン時代」、第3回「朝日建設に入社してから」、第4回1日目「重大ニュース」、2日目「創業100周年に向かって」と、ざっくりと考えていました。
そこで4月5日は、第1回の2つの講義用に、生まれてから大学時代までのスナップ写真と、大学時代の柔道部の部誌「東北大学柔道」のバックナンバーを家中あちこち探して付箋をつけ、研修会前日の6日には、使いたい写真をスキャンしそれを使ってスライドを作る作業を行いました。
4月7日の第1回1日目「生まれてから高校卒業まで」では、私は幼い頃母に毎晩のように本を読んでもらっていて本が好きだったので、小学2年生のときに、先生から大きくなったら何になりたいかと問われ、「作家」と答えたところ「サッカー選手」だと間違われたが訂正できなかったこと、高校では大学受験勉強の合間に宮沢賢治の童話や詩を読み、東北地方にあこがれるようになり、東北大学に行きたいと思うようになったこと、また、小学4年生のとき、担任の先生が1~3年のときの中年の女の先生から若い男の先生に代わり、その先生が私に学芸会の劇に出るように勧めてくださったことをきっかけに、自分から手を挙げることの無かったおとなしい私が積極的な性格に変わりだしたことの二つを柱に講義をしました。
第1回2日目「大学時代」では、何を学んだか全く覚えていなくて、5年間の柔道部生活が記憶のほとんどを占めること、体力が無かったのに何とか稽古に耐え、勝つことはできなくても寝技では負けないようになり、15人勝ち抜き戦の国立7大学柔道大会には3年生から3年間ずっと正選手として出場し、この間に1度も負けなかったことを話しました。そして今でも忘れられない4年生のときの名古屋大学との試合について話しました。14番目の副将の私の前まで全員が引分け、私の相手も引分け役だったので開始早々に寝技で上になり難なく引分け、勝敗を大将戦にゆだねたのでした。大将は主将であり同じ経済学部の親友である大野良司君で、寝技に引き込んだものの押さえ込まれ、何とか逃れたが再度押さえ込まれて負けたのです。さらに、相手も引分け役だからといってなぜ私が取りに行かなかったのか、もしも勝てていたら、名大の大将には勝ち目は無いものの少しは体力を消耗させて大野君につなぐことができ、大野君の勝ち目が出たかもしれなかった、それがいまだに悔いとして残っていると続けました。
柔道部の同期4人とは今でも友人として付き合っていますが、同じく経済学部で一緒だった和田清君は非常な読書家であり、彼に太宰治や坂口安吾の小説を読めと言われ、初めて2人の小説を読みましたが、10年ほど前の年賀状で宇野千代の「天風先生座談」を勧めてくれました。この本をきっかけに私は中村天風の「心身統一法」を知り、今年に入ってから仕事上のことで大変苦しんでいたときに、高岡市で開催された「中村天風いのちの力を強くする1日セミナー」に参加して「心身統一法」を基礎から学び、それまでの悩みを解決する道が開けた思いがしたと話し、一生の友人を持つことの大切さを中心とした講義をしました。
講義の準備は大変ですが、準備を通して自分のこれまでの人生を振り返り、その時々にどんなことを考えていただろうかと思いをめぐらせることは、これからの人生を歩む上での貴重な機会であり、今回の研修会は若手社員よりもむしろ私にとって有意義だと思います。
このコラムを書き終えたあとは、4月26日の第2回「サラリーマン時代」の準備です。昭和45年から50年までの5年間、いろいろありました。講義の柱は、「サラリーマンを経験しての学び」になると思います。