6月2日に、日本道路建設業協会(道建協)北陸支部の幹事会、総会、そして講演会が新潟のホテルで開催されました。一昨年までは講演会の後に、国土交通省北陸地方整備局の局長以下幹部職員を交えての懇親会があったのですが、昨年に続き今年も懇親会は行われませんでした。それは、大手道路舗装会社が加盟している業界団体は、昨年から発注官庁の職員を交えた懇親会に限らず会員だけの懇親会も自粛しているからです。
5月に東京で開催され、富山県アスファルト合材協会会長として出席した日本アスファルト合材協会の総会は、講演会も無く55分間で終了したので、終了後に、当社の基幹コンピュータシステムの「HAKRA」を導入し、メンテナンスやカスタマイズを依頼しているハルシステム設計の、最近引っ越した新社屋を訪問し、その後5時半から、東京駅近辺の居酒屋で大学時代の柔道部の同期生2人と愉しく飲み、21:04東京駅発の最終新幹線「かがやき」で帰りました。
6月2日も、5時で講演会が終わってそのまま富山に帰るのはチョット寂しいと思い、誰かと飲もうと考えました。思いついた相手は、今年の道建協本部総会で副会長に就任したことで、この支部総会をもって北陸支部長を退任することになった新潟の道路舗装会社の社長さんでした。この社長さんと美味しい料理と酒を楽しみながら、経営の話や個人的な話をし、ご機嫌で新潟駅から20:02発のJR信越本線「しらゆき」10号に乗り込みました。
22:02に上越妙高駅に着き、22:17発の北陸新幹線「はくたか」577号に乗り換えるはずでしたが、寝込んでしまってハッと目が覚めたらどうも上越妙高駅。時計を見たら22:22。何時の新幹線だったかの覚えも無く、上越妙高駅の第3セクター妙高はねうまラインの改札口に駆け上がり、駅員さんに「新幹線は?」と尋ねたら「もう出ましたよ。これが最終でした」とのこと。「どうすればいいのでしょうか?」と聞くと、「この駅は周辺にホテルも何もないので、直江津に戻り、そこで泊まって、明日の朝またここから新幹線に乗るしかありません」に、酔いが一度に醒めました。
23:06発の列車に乗って23:22に直江津に着き、駅前に2軒あると聞いていたホテルの1軒に入ったら満室。隣のホテルも満室だったらどうしようかと思いましたが、7,560円を前払いして泊まることができました。翌朝は、朝食時間前にチェックアウトし、6:01発のガラガラの列車に乗って上越妙高に行き、自由席特急券代2,590円払って、6:35発の北陸新幹線「はくたか」591号で7:15に富山駅に着きました。朝食は、コンビニで買ったサンドイッチとヨーグルトを、総務部の社員が私の方を見ていないときを見計らって少しずつ食べました。
思い返せば、これまでにも酒を飲んでのこのような失敗が何度かありました。新潟から越後湯沢経由で富山に帰るのに、上越新幹線で越後湯沢を乗り越してしまい、次の停車駅の高崎で降りて新幹線で引き返して長岡駅まで行き、午前3時頃の青森からの夜行急行列車「北国」で帰ったことが2度ありました。夜中の長岡駅の待合室やプラットホームの情景が思い出されます。
また、何の用があって乗ったのか忘れましたが、JR時代に鈍行で新潟方面から富山駅に戻る際に、富山駅に着いたと思って慌てて降りたら手前の東富山駅。富山行きの列車はもう無くて、代行タクシーを呼んだけれど1時間ほど時間がかかり、人気の無い駅でホットの缶コーヒーを飲みながら寒さをしのいだこともありました。
高岡からの帰り、呉羽で降りて妻に駅まで迎えにきてもらうことになっていたのに乗り過ごし、富山駅からタクシーで帰ったことは2度や3度ではありません。
今回の10,150円の自己負担を伴ったホテル泊まりの失敗を深く反省し、対策として、酔う状況になることが分かった時点で、降車時刻の5分前に携帯電話のアラーム設定をすることにしました。
6月18日の土曜日、金沢でのロータリークラブの会議後の懇親会でしこたま飲んで列車に乗り、案の定居眠りをしていて、目が覚めたらどこかの駅に停車中。まだ呉羽駅ではなさそうだと思いながらもそのまま乗っていたら、発車してからしばらくして会社の携帯電話のアラームが鳴りました。いつアラームを設定したのか思い出せませんでしたが、呉羽駅に迎えに来てくれていた妻の車に無事に乗ることが出来ました。
次回からは、懇親会が案内された時点で、あるいは懇親会が無くても飲もうと決断した時点で列車時刻を調べ、会社と個人の両方の携帯電話にアラーム設定することにします。