3月25日の土曜日に高志の国文学館で、4月に館長を退任される中西進先生の「中西進のメッセージ」を聴きました。講演だと思って入場したら、聴講者の椅子の上に置いてあったA4裏表1枚の資料「中西進選三編」に書かれた3つの詩について、富山の詩人の池田瑛子さんが聞き手となっての対談でした。
以下に、スマホにメモしたことを記します。最初の詩は、永瀬清子の「あけがたにくる人よ」です。
① 詩は良いですね、と言い合いましょう
- 永瀬清子が81歳の時に書いた詩で、中西先生も大好きな詩
- 詩は人を十分に騙す
- 偽りは犯罪だが、嘘(うそ)は「あそ」と同じで遊び。ハンドルにも遊びがある。
- 今日は遊んで帰った、と思ってほしい
- 遊びには形式がないが、小説や戯曲には形式がある
- あけがたにくる人よ、と書いてあるが、人は来ない。幻覚、幻視、幻聴であり、人がいなくても良い
- 60歳を少し過ぎたころの永瀬さんに会った。「文学の言葉は現実の言葉とは違う」と言われた。畑から上がってきたようだった
- 2連(2つ目のまとまり)では、家出をしようとした、恋だけを頼りにして、現実から逃避しようとした
- 「バスケット」には昭和のにおいがする
- 4連では、「もう過ぎてしまった」の過去と、「あけがたにくる人よ」の現在があり、甘え、艶やかさ、恋慕の情もある。恋心が持続している。
② 詩とは何か 八木重吉 「素朴な琴」
- 詩は削ぎに削ぐ
- 季節は秋でなければいけない
- 明るい光の中で琴が鳴り出す
- 詩を作り上げる要素は3つ
- 事物 発見
- 述べる 叙述する
- 音楽性 リズム。散文とは異なる
- 「砂漠にラクダがいる」は、発見ではない
- 琴は事物、光が琴の弾き手であり叙述。それをリズムの中に置く
- 題名にある「素朴な」や、詩に書かれている「美しさ」という言葉は使ってはいけない(批判)
- 「しずかに鳴りいだすだらう」とあるが、騒々しく鳴りだすはずがない
- 「美しさに耐へかね」は「光に耐へかね」とすべき
- 「この明るさのなかに」の明るさに、光が入っている
③ 田中冬二 「ふるさとにて」
- 聞き手の池田さんが、自分の初めての詩集の出版記念会で、田中冬二から、「富山に住んでいるのなら自然をうたわなければいけない」と言われた
- ふるさと性として、ほしかれひ、石をのせた屋根、街道、雪売り、の4つ
- 「石をのせた家が ほそぼそと ほしかれひをやく」で、「ほそぼそ」は前の「家々」にかかる
メモは以上ですが、最後に中西先生は、「富山は来る前も来てからも排他的だと言われたが、そうではなかった。私は小さい時から楽天的で、転校生として散々いじめられたが、富山の人は私を受け入れてくださった。12年間、無害の虫だと思われたのかもしれませんが」と、いつものユーモアで話を終えられました。
宮沢賢治の詩が大好きな私ですが、詩の感じ方についての理解が深まったように思った1時間半でした。
来月は、高志の国文学館の書籍販売コーナーで買った中西先生の著「卒寿の自画像-わが人生の賛歌」で知った、言葉の意味について書きましょう。